鬼畜魔王ランス伝

   第36話 「剣士と剣と……」

 リック・アディスンが意識を取り戻したのは、冷たい雪の上だった。
 激しい殴打を執拗に加えられたかのように、全身に鈍痛が広がっていた。
 彼の視界にいるのは二人。
 彼を打ち倒した魔人メナド・シセイ。そして……
「キング……何故……」
 魔王ランスだった。
「がはははははは。いくらお前でも俺様がパワーアップしといたメナドには勝てなかったようだな。がはははははは。」
 メナドはランスに力を分け与えられる事によって、短期間のうちにパワーアップを果たしていた。魔法で身体能力を増幅しなくてもリックと同等の力が出せるまでに。
 それを理解できず、苦手な暗闇での戦闘によるあれこれとバイロードを使う事による間合いの変化のみに気を取られた……今回の真の敗因がそれである事に、リックはランスの言葉によってようやく気が付かされた。
「だが、正直お前ぐらいになるとちょっぴり惜しいから改めて俺様の部下にしてやっても良いが……どうだ?」
 魔王になったにも関わらず相変わらずの口調と態度に、彼……リックは混乱せざるを得なかった。
「キング……何故人間に……リーザスに敵対したのですか?」
「俺様が魔王になったからって文句をつけてきそうな連中を黙らせるには、力じゃかなわないって事を見せるのが一番だ。それに、お前らが弱っちいままだと俺様が後で苦労するしな。」
「人間が……私達が弱いままだと、何故苦労なされるのですか?」
 怜悧な声が会話に参加して来る。
 その声の持ち主……美貌の女侍は血と泥に汚れた己の顔を拭おうともせず、真っ直ぐにランスの眼を射るような視線で見詰め、言った。
「役に立たないからに決まってるからだ。この先の戦いにはな。」
 ランスの返答には迷いがない。
「役に立たない……」
「ふん。だから面倒臭いが俺様自ら鍛えてやってるんだ。ありがたく思え。」
 その言葉自体もだが、その語調に秘められたニュアンスがリックには妙に気になった。
「いったい何と戦おうというのですか、キング。」
 その質問にしばし目を閉じたランスは、目を開くと同時にこう言い放った。
「俺様の敵と……だ。」
 その視線は、人の世界にも魔物の世界にも向いていなかった。その場にいたリックや日光、そしてメナドには、それを薄々感じ取る事ができたのだった。

「ところでランス殿。ひとつ聞きたい事がございます。」
「おお、何だ日光さん。」
「美樹様の事でございますが……健太郎様がおっしゃる通りランス殿がその手にかけたのでしょうか。」
 言葉こそ丁寧だが、思わず詰問調になってしまう。そんな日光の態度に、ランスは悪い癖をやらずにはいられなかった。
「おう、それか。確かに美樹ちゃんは俺様が殺したぞ。」
 悪びれもせず、あっけらかんと重大な事実を語る。その言を耳にした日光の眉が顰められ、ただでさえ鋭い眼光に怒りの感情がこもる。
「そう…ですか。」
 日光は自分の人物の見立てが間違っていた事、健太郎の言っていた事が正しかったと知らされて静かな殺気を湛えた。自身のみで魔王を傷付け得るのであれば、この場で斬りかかっていただろう。
「日光さんもホーネットちゃんと似たような反応をするんだな。怒った顔も素敵だぞ。」
 ランスの顔は緊張感のかけらもない。それが日光の癇に障った。
 ピリピリした殺気が場に満ちる。
「あの……“美樹ちゃん”って、前魔王の女の子の事ですよね。」
 おずおずとしたメナドの声が状況を僅かに動かす。
「そうですが。それが何か。」
 日光の返事は抜き身の刀のように冴え冴えとした殺気を孕んでいた。だが、それは次の爆弾によって粉々に吹き飛ばされた。それはもう跡形も無く。
「生きてますけど、彼女。」
 メナドが放った言葉の爆弾の直撃は、日光とリックの思考をしばしの間だけ止める程の破壊力を示したのだった。


「王様っ。負傷者の救護終わりました。」
 膠着した空気の中にアールコートが現れた。
「がははははは。ご苦労。で、どれだけ助かった?」
「1万7千人ぐらいですね。8千人ぐらいは手の施しようがなくて……ごめんなさい。」
 泣き出しそうにあるアールコートの頭をガシガシと撫でてやりながら、ランスは柄にも無く慰めた。
「まあいい。全部死ぬよりマシだ。それより連中を運ぶうし車は着いてるんだろうな。」
「はい。もう搬出が始まってます。」
 ローレングラードから徴発された市民兵部隊は、槍の代わりに救急箱を持たされて戦場に送り込まれた。負傷者の救護のためだ。……と言っても彼らは魔物兵を治療する訳ではない。魔物兵は生命力が強いため、たいていは戦闘不能イコール死亡であるし、死んでなければ休んでいるだけでもかなり回復するからだ。つまり、ランスは人間の負傷兵を助ける為だけに救護部隊を編成したのだ。
 その思考法は常人には理解し難いが、リック達に語った事が事実ならば頷ける行動だ。
 この人間界侵攻そのものが、命がけの軍事演習であるとするならば。


 メナドが投じた言葉の爆弾によって引き起こされた沈黙の時間は、余り長くは続かなかった。
 それまでも苦しい息を吐いていたリックが遂に血を吐き出したからだ。
「フェリス! 容態を教えろ。」
 慌てたランスの声に応えて、それまでどこかに控えていた元悪魔の魔人フェリスが現れて、リックを魔法で手早く診察する。
「肺と内臓を数ヶ所傷付けてますね。このままでは助かりません。」
 ランスは腰の愛剣に問い掛けた。
「シィル。この状態のリックを治療できるか?」
「すみません、ランス様。私の魔法ではちょっと……」
 ランスはその返答に舌打ちした。
「キング……」
 苦しげに話しかけようとするリックの機先を制するかのようにランスが言葉を被せる。
「仕方ねぇ。野郎に使うのは気が進まんが、レイラさんに恨まれるのも嫌だからな。」
 ポリポリと頭を掻きながら、倒れたままのリックの傍に寄る。
 そのまま顔を覗き込むように膝を着く。
「どうだ? 俺様に付いて来るか?」
「キング……いったい……何を……」
 溢れそうになる血を押えながら、切れ切れの返答をするリック。
「お前を俺様の魔人にする。」
 ランスの言葉は澱み無い。
「キング……」
 リックがそれを決意したのはいつだったのか。
 負けた時か。
 美樹が生きていると知った時か。
 負傷者の救護を手配していると知った時か。
 キングが自分達ではない何か強大な敵と戦おうとしているのに感づいた時か。
 それとも……
「早く決めろ。いくら俺様でもあんまり遅いと助けられん。」
 それとも、ぶっきらぼうに急かす口調にかすかに混じる心配の念を読み取った時か。
「キング………僕…は……あな…たの……部下で……す。……今で…も……。」
 喉に込み上げてくる何か熱いモノが口から溢れ出てきたのと、首筋に何かが噛み付いたのを知覚したのを最後に、リックの意識は闇に沈んでいった。

「ちっ、男の首筋なんかに噛み付いても面白くも何ともないわ。」
 ランスは、その辺の地面(と言っても一面の雪だが)に唾を吐き、毒づいた。
「あ、あの……王様。」
「がははははは。抱いて欲しいんなら後だぞ。」
 おずおずと聞いてくるメナドに不真面目に答えるランス。後だと言いながらもお尻に手を伸ばすのも忘れない。
「ち、違うよ。」
 赤くなって離れるが、膨れっ面の口元は僅かに緩んでいる。
「ん、抱いて欲しくないのか。」
 にやにや笑いながらからかう。
「そうじゃないけど……リック将軍大丈夫かなぁ。」
 心配そうな口調のメナドを見て、ランスは少しは真面目な返答を返す。
「まあ、あいつなら大丈夫だろう。人間なら既にヤバイが、魔人ならもうちょっとは大丈夫なぐらいの怪我だったからな。」
 相手が女の子なら一応の治療ぐらいはするくせに、やはり男が相手だとそこまでの親切心はないようである。
「ところで日光さん。俺様はこの後美樹ちゃんの体調を看に行かなきゃならん。何なら一緒に来るか?」
 美樹が生きていると聞かされてから、日光はここでの遣り取りに関して傍観者の姿勢に徹していた。そんな日光に対し、ランスが言った一言は日光の意表を突いた。
「え?」
 それは、まさに日光が要求しようと考えていた事だったからだ。
「お礼は一発でいいぞ。がはははははは。」
 いかにもランスらしい言い草だ。これを承知せねば美樹との対面は実現しないであろう事は想像に難くない。
 逆に、この男が意外と約束を守る事が多いのも、彼の腰を飾っていた事もある日光であるから知っている。都合が悪くなったら破る事も多いのは問題と言えば問題であるが、今のところ日光との約束が破られた事はない。もし、美樹が生きているのであれば、ランスが約束を反故にしたとは言えないからだ。
「わかりました。ただし、美樹様と会った後でという条件ならば、ですが。」
 熟慮した末に出した日光の結論に、ランスは豪快に笑いながら即答した。
「いいぞ。がははははは。じゃあ、早速GO!」
 日光の腰をガシッと掴んで夜空へ駆け上がる。後に魔人達を残して。
「えっと……ローレングラードまで退却します。」
 アールコートとメナドで応急手当を施したリックを担架に乗せてうし車へと運ぶ。
 救護部隊がローレングラードに帰りついたのは、翌朝の事となった。


 逃げる。
 逃げる。
 武器も投げ出し、盾も投げ出し、重い鎧も脱ぎ捨て。
 逃げる。
 命令を投げ出し、任務を投げ出し、誇りを投げ出し。
 逃げる。
 戦友を置き去りにし。
 逃げる。
 自分の命だけを大事に抱えて。
 逃げる。
 ただひたすら逃げる連中が“それ”を見つけたのは、朝焼けの空の光に浮かぶ帝都ラング・バウ……彼らの目指す場所が見えたのとほぼ同時だった。
 まるまるとした怪生物。
 ぷくぷくとした怪生物。
 それらは、その真ん中にいる女の子が彼らを指差すと同時に
 攻撃を開始した。
 5000体の幻獣と
 戦意も武器もない烏合の衆とでは
 全く戦いにはならなかった。
 虐殺。
 一方的な殺戮劇は、整然とした陣容を保って退却してきた主力部隊が到着するまで続けられ、唐突に終了した。
 幻獣たちは消え去り、真ん中にいた女の子も、後ろに控えていた栗色の髪の女性魔法使いに抱きかかえられて西の空へと飛んでいった。
 後には逃亡者たちの屍だけが転がっていた。
 累々と。
 点々と。


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 こないな風になりました。リックがメナドに負けたのは、魔人が相手だからじゃなくて暗闇が苦手な事(モンスターやお化けが苦手な人間が、魔物の軍勢と暗闇の中で戦っている事)が最大原因なんです(笑)。まあ、他の原因もありますけど。
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