鬼畜魔王ランス伝

   第23話 「想い、矢に乗せて」

 引き絞られる弓弦が軋む音、矢羽が風を切る音、何か固いものを貫き突き立つ音。
 城の中庭からは、その音しかしない。しわぶき一つ、いや、衣擦れの音すら無い。
 背に負った矢筒から矢を抜き、番えて放つ。流れるように自然な一連の動作は、機械の正確さで一定のリズムを刻んでいる。
 だが、見る者を圧する程の漲る気、全身にうっすらと浮かんだ汗が、彼女があくまでも人間である事を主張している。
 鏃の無い矢にも関らず、厚い樫板に中ほどまで突き刺さる。そんな事が出来るのは、彼女が使う弓が並みの男では引けない程の強弓である事もあるが、それ以上に研ぎ澄まされた闘気が練り込まれ矢に込められている事が大きいだろう。

 無心で矢を射る。ただひたすらに。的に向かって射る。機械の如く正確に、機械の如く乱れ無く。身体に染み付いた武技が、頭で考えずとも矢を放つ。
 女だてらに覚えた武技、女を捨てていた時に鍛えた武技が、考えたくも無い思惟を巡らすのを止めてくれる。
 部下の命を人質にして彼女を服従させた男、好色で狡猾な男。だが、自分を武人として認めてくれた男であり、ひとたび配下とした後は寛大な主であった男。そして……自分が女である事を思い出させてくれた男のことを。
 その男の事を思うたび、彼女は自分の心の事が自分で分らなくなる。
 人類の敵になってしまった事を怒っているのか?
 それとも、そうなってしまった事を心配しているのか?
 黙っていなくなってしまった事が悲しいのか?
 それとも、会えなくなってしまった事が淋しいのか?
 女として会いたいのか?
 敵として相対したいのか?
 分らない。答えも出ない。いや、出せない。
 だから、矢を射る。何も考えなくてもいい時間に浸れるように。

 しかし、それでも、ふと考えてしまう瞬間は来る。
 敵としてあの男が出て来た場合、自分はこの矢を射る事が出来るのだろうか、と。
 脳裏に浮かぶ影が、鮮やかな映像となって的に重なる。その男……ランス王の顔が。
 弓弦を引き絞る手が途中で止まる。矢の先端が激しくブレる。
 その時、ランス王が動いた。誰か女の人と話をしているらしい動きに、心の中で何かが動く。
 ムカッ
 自分でも良く解らない怒りが込み上げるままに、矢を放つ。ついさっきの停滞が嘘のように滑らかに身体が動く。無意識に込めていた気は、本来狙っていたハズの的とは別の標的を……狙うべき的を目指して空を疾駆する。

 “疾風点破”

 愛弓・疾風丸の弓弦が一弦琴のような澄んだ音色をたてる。闘気を纏った矢は、標的に導かれるように途中で進む方向を変え、林立する木立をギリギリでかわし、標的へと突き立つ……寸前で標的自身の手で掴むように受け止められた。
「おい、危ないじゃねえか五十六! 俺様を殺す気か!?」
 その声で、彼女……山本五十六は我に返った。
「ま、まさか……ランス王でいらっしゃいますか?」
「おう、こんなハンサムが2人もいる訳ないだろ。」
 間違いなく本人だ。こんな物言いをする人物を彼女は他に知らない。
「な、何故こんな所に……魔王になられて、ここを出て行かれたのではないのですか?」
「おまえに会いに来た。魔王になったのは事実だがな。」
「えっ。まことですか?」
 リーザス城に来た用事自体はともかく、ランスが中庭にやって来た用は五十六に会う事なので、別に嘘をついている訳ではない。
「それで、私にいかような御用がお有りなのですか? ランス王。」
「おまえが俺様に出した条件。俺様は未だ引っ込めさせたつもりはないが、おまえの方はどう考えている?」
 その言葉を聞いた瞬間、五十六はその言葉の意味が良く解らなかった。
「条件とはいかような……」
 と、そこまで口走った所である事に思い当たった。顔がいきなり赤く染まって言葉が出なくなる。アウアウと慌てるが、うまく意味のある言葉になってくれない。
「おまえが俺様の女になる代わりに、生まれた子を山本の名でJAPANの君主にするってアレだ。」
「ラ、ランス王……」
 ようやく意味のある言葉が出せたが、それ以上は続けられない。感極まってしまったのか目尻が熱く潤んでしまって目を開けているのも困難になってしまった。
「お、おい。泣くな。俺様は女の子に泣かれるのが苦手なんだ。」
「すみませんランス王。でも……」
 嬉しそうな苦笑を浮かべた泣き顔とでも言おうか、複雑な表情を浮かべた五十六が俯き気味だった顔を上げて目尻を手で何度も拭うが、一向に涙は乾かない。
「あー、もーわかったから好きなだけ泣け。」
 怒ったような口調で頭を抱え込まれて胸板に押しつけられた。
「どうして、どうして今頃になって……」
「やっとJAPANに手出しする余裕が出来たからな。それでだ。」
「私が、私がどんな思いで今までいたか。見捨てられたんじゃないか、忘れられたんじゃないかって……」
 後は嗚咽と混じり合って言葉にならなかった。
「悪かった。だがな……それを話してったら付いてくるだろ、おまえなら。いや、付いてこなくても俺様の意図が知られていればJAPANと民って人質を取られる事になりかねなかったからな。そうしたら、俺様はともかくおまえがマズイだろ。」
「あ……」
 驚きで一瞬涙が止まる。だが、その言葉を理解した途端に涙が止めようがなくなってしまった。感動とある種の心地好さが涙腺を手一杯弛めてしまったのだ。
「わ、私などのためにそこまで……」
 結局、ランスがこの状況から解放されるまでに1時間を要したのである。

「しっかし意外に涙脆いな、おまえ。」
「す、すみません。」
「まあ、泣き顔もそそるからグッドだったぞ。笑ってる方がなおグッドだがな。」
「ランス王、そんな……恥ずかしゅうございます。」
 ちょっと困った顔の照れ笑いなどという難易度の高そうな微笑みを浮かべて、モジモジとする五十六に、ランスのハイパー兵器はエネルギー充填率120%になってそそり立っていた。
「で、どうなんだ? 俺様に付いて来るか否か。どっちだ?」
「はい、付いて行かせていただきます。」
「おう。で、人間として付いて来るか? それとも魔人として付いて来るか? ちなみに信長の野郎は魔人だったが。」
「えっ」
 あの信長公が魔人だった。ならば、JAPANの王座が魔人のものであってもそれほど問題は無いかもしれない。そう理論立てて考えられたのは後の事。今はただ……
「魔人として付いて行かせていただきます。」
 今はただ、埋め難いまでに開いてしまった二人の存在の差異を埋める事こそが、それだけが理由だった。
 首筋に突き立てられた牙から何かが流れ込んできた時、相手の一部になってゆく感覚に言い知れぬ心地良さと安心感が広がるのを感じながら五十六の意識は闇に閉ざされていった。


 魔人化を始めた五十六をかなみに任せ、ランスは次なる人材のスカウトに出向いた。だが、それは空振りに終わった。目的の人物がすでにリーザス城内にいなかった為だ。
「ちっ、俺様に断りも無しに……」
 無茶な言い草である。第一、ランスがリーザス城を出た翌日にはハーレムが解体されているのだ。行き場の当てがないので城に雇われる事になった者を除いては、他の者全員が元々の居場所に帰還していた。一部の例外を除いては……

「あー! 馬鹿ランス。何でノコノコこんな所に……」
 廊下の曲がり角から思いがけずに現れた魔王に対して瞬時に戦闘態勢を整えたのは流石に熟練の冒険者である。油断無く構えた杖に魔力が収束されていく。
「俺様の勝手だ。それに、こんな所で魔法を使ってもいいのか?」
「う……」
「まあ、おまえの魔法ごときじゃ俺様には傷一つつかんだろうがな! がーはっはっはっはっ。」
「おのれ、ランス見てなさい!」
 志津香は両手の間に白い魔力球を発生させ、それに己が制御可能な限界まで魔力を注ぎ込む。魔力が高まるに従って輝きは強まり、やがて直視するのも難しい程の光輝となる。
 収束率を限界まで上げ、威力が及ぶ範囲を極力限定すると共に威力自体を高める。そして、全ての準備が終了した所で最後に魔力を発動させる鍵となる言葉を唱える。
「白色破壊光線!!」
 人間が使う魔法の中でも最強格に並べられる攻撃魔法、白色破壊光線である。この魔法を普段の戦争であれば効果範囲の拡大に使用されている増強呪文を威力の上昇のみに使って発射したのである。
 その莫大な光の魔力にランスの全身が飲み込まれる。志津香が自分の勝利を確信しかけた時、ある重大な事実を思い出した。
『そう云えば、こいつって魔王じゃない。それじゃ手傷なんて受けないじゃないの。』
 そう、魔王や魔人は“絶対防御”といわれる加護によってダメージを受けないという基本的な事実を、怒りのあまりについ失念していたのである。
 今の一発で巻き起こした周辺被害を思ってトホホ顔になっていると、白光が薄れて見えてきた人影に志津香は驚愕する。
「がはははははは。そんな呪文が俺様に通用する訳ないだろ。馬鹿はおまえの方じゃないのか志津香。」
「ちょ、ちょ、ちょっと。傷付かないのは魔王だからしょうがないとしても、微動だにしないのはどういう訳よ。」
 ダメージは受けないにしろ体勢を崩す程度なら、あわよくば転倒を……そう期待した志津香の思惑は無残にも崩れ去った。
「決まってる。こんな提灯か微風みたいな魔法じゃ弱過ぎるってだけだ。」
 もっとも、魔王ランスと魔剣シィル、おまけに魔人フェリスの複合魔法防御をどうにかするだけでもゼス四天王と四将軍が総力でかからないと無理だろうから、別に志津香の魔法が弱い訳ではないのではあるが……。
「なっ!」
 そこまでは流石の志津香でも判らないようである。いや、頭に血が上って分析力が低下しているのかもしれない。
「もうちょっと工夫して来い。退屈しのぎにもならん。」
 馬鹿にしたような。いや、実際に馬鹿にしたにやにや笑いに志津香の血圧が益々ヒートアップする。
「くぅぅぅぅぅ! ランスのくせにぃぃぃぃ!」
「まあ、俺様は別の楽しみ方をさせてもらうがな。」
「え。」
 志津香は一瞬で全身に金縛りをかけられてしまい、身動きが出来なくされてしまう。こういう魔法は対象が動揺していたり、怒りに我を忘れていたりすると魔力が高い者にもかかりやすくなるが、志津香もその例外ではなかったのである。
「さぁて、おまえには俺様のいきり立ったハイパー兵器を鎮めるのに協力してもらおうかな。」
 にじり寄って来るランスに対して身悶え一つ許されず立ち尽くす格好で固まっている志津香。それならば、せめて最後の瞬間まで睨み付けてやろうと決意する。殺されるにしても、それとも別の事をされるにしても。
 だが、あと数歩のところでランスは踏み止まった。意外も意外ななりゆきに志津香はとまどいを隠せなかった。目の前の男なら絶対に自分を襲うと確信していたのだから。
『ちっ、あと1分しないうちに人が来るだと? なに、マリスにリックにレイラさんにランちゃんか……。そのメンツなら仕方無い。今回は見送るしかないか。』
 フェリスの報告を密かに受け取ったランスは、気を取り直して志津香を挑発する。
「まあいい。今回は勘弁してやるから、別の事で俺様を楽しませてもらおうか。」
「なによ。そんな事する訳ないでしょ!」
「この破壊活動の弁解と弁償問題。さぞかし見物だろうなぁ。」
「ぐっ。」
 自分でも意味がない攻撃魔法を使った自覚があるので、志津香の顔色が悪くなった。まさか、そう来るとは思ってなかったので動揺も激しい。
「マリスとランちゃんがそこまで来てるから、すぐにも見せて貰えるぞ。」
「ぐぐっ。」
 旗色が悪い。それはもう思いっきり。見る人が見れば状況は一発で理解できるほどに分り易いからだ。いわゆる準現行犯って奴だから仕方がない。
「俺様に助けて欲しかったら、きちんと謝った後でお礼の1発でも貰おうか。」
「ぐぐぐぐっ、誰が! 誰があんたなんかに!」
 そこまで言ったところで、マリス一行が曲がり角の向こうから現れる。
「志津香っ! 大丈夫っ!」
「ラ…ラン……あのね……」
 ここは逃げの一手しかない。そう思い決めると、ランスに襲われそうになったから魔法で足止めして逃げようとしたが金縛りされてしまったという説明をする。
「ランス君……それ、本当なの?」
 レイラの詰問に対してランスが無言で懐から出したものを見て、志津香がまともに顔色を変える。
「まさか……そんな……嘘……そんなタイミング良く……」
 それはラレラレ石が嵌め込まれた音声記録装置である。映像や音声を貯め込む性質があるラレラレ石の性質を利用して、数十分前までの音声記録を常に更新しながら貯め込んでいるというマリア謹製の装置で、過去に志津香も試作品の開発に協力した品である。
「俺様は『今』更新停止ボタンを押した。これが何を意味するかは……おまえの顔を見りゃわかるな、志津香。」
「あ…はは……」
 顔色を青くしたままの志津香を心配してエレノア・ランが介抱しようとするが、志津香にとってはそれどころじゃない。
『う、まさか物証を用意しているなんて。うかつだったわ。あいつの性格と魔王だって事で場をうやむやに出来ると踏んでたのに……。』
 冷や汗がつつっと額を伝う。背筋を走る寒気は既に我慢出来なくなりかかってる。
「さて、再生ボタンを…」
「待って!」
 もうこれ以上は隠し通せない。今なら自首扱いが見込めるが、音声記録を再生されてしまっては万事休すだ。そうなったら、ランにも酷く迷惑をかけてしまう。
『覚えてなさいよ〜。この借りはいつかきっと取り立ててやるわ!』
 観念して事実をそのまま話す。死んでもあいつの手だけは借りたくない。助けて欲しかったら1発やらせろって所でレイラとランの眉が顰められたが、それだけだ。別に無理矢理手込めにしようとした訳でもないので、それぐらいの事でランスを責めるような人物はここにはいない。
「しかし、キング。どうしてそんな物を都合良くお持ちなんですか?」
「がははははは。天才は何でもお見通しなのだ。がはははは。」
 そうなると、志津香はまんまと罠にはまった事になる。屈辱でにわかに声が出なくなった志津香を一瞥した後、ランスは更に続けてこう言う。
「まあ、持って来たのは交渉の記録用になんだがな。」
 宿屋での会談が口約束で済まない可能性を示唆した上、志津香を意図的に罠にかけた事を否定する。その巧みな交渉術に、交渉術の基礎を教え込んだマリスも舌を巻く。
「と、いう訳で俺様は今回ただの被害者なんだから損害の請求はそっちにやってくれ。」
「わかりました王。それでは行きましょうか志津香さん、ランさん。」
 腕を引っ張られたせいで、志津香は自分の金縛りが既に解けていたのにようやく気が付いたが、もう遅い。そう、もう遅いのである。
 その夜、リーザス城の一角で泣き叫ぶ気の強そうな女性の声とすすり泣くような声で小言を呟く気の弱そうな女性の声が聞こえた。という噂があちこちに広まり、リーザス城の新たな怪談のひとつとなったという。


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 この話は書き出す事が出来るようになるまでに3日かかるというほど難産でした。書き出せてからも何度も中断するハメに……。
 さて、今回の主題は五十六と志津香です。本当は後半部分は別なキャラが出る予定でしたが、志津香が出番を無理矢理ゲットしてしまいました。……墓穴掘ったかも(笑)。
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読んだ後は是非感想を!! 貴方の一言が作者を育て、また奮起させます


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