福音という名の魔薬

 第弐拾八話「未来は誰の手に、誰の為に」

 宵闇孕んだ蒼空に、翼を広げた17匹の白いエイが円を描いて飛ぶ。
 150を超える落下傘の白い花が空に舞う。
 迂闊にも近付き過ぎ、炎を上げて墜落してゆく輸送機から解き放たれた死の使いが。
「侵攻戦用のエヴァ・パペット17機全機投入とは。」
 発令所のモニターでそれを見た冬月が苦笑する。
 ゼーレ側のエヴァ・パペットが高価な分だけ高性能とはいえ、使徒能力者が本気になれば高価な棺桶に過ぎない。
 そんな初歩的な戦闘力の差も分からない御老人方でもあるまいに…と。
 しかし、そう判断するのは早計に過ぎた。
「え、ATフィールドが2種類……パターン青! 使徒です!」
 青葉の驚愕の叫びが、発令所全体に波及する。
「なんだと!」
 予定外の使徒がまたまた襲来して来た事に。
「使徒が4体! それに未知のパターンが多数!」
 驚いても仕事はちゃんとこなしているマヤの報告を横目に、
「とにかく迎撃よ。全砲門を使徒じゃないヤツの一匹に集中して。」
 ミサトはとにかく敵の数を減らすよう指示した。
「はいっ! 全砲門、射撃開始!」
 しかし、兵装ビルや列車砲から放たれた高射砲弾もレーザー光線も荷電粒子プラズマも対空ミサイルも目標には一発も届かなかった。
「何だって!」
 パラシュートで降下中の人間達全員が一斉に展開した紫色に光る六角形に阻まれて。
 そうなった原因に冬月は心当たりがあった。
「“聖裁の矢”か……まさか完成させていたとはな。」
 エヴァ・チルドレン計画から派生した外道な計画の産物。チルドレンとしての資質を多少なりとも備えている子供達を洗脳し、使い捨ての兵器に変える悪鬼の所業を。
「老人達は先の事など考えてない。ここで全員使い潰す気なのだろう(老人達のカードがこれだけとは考え難い。何か、未だ何かあるはず……まさか、アレか!)。」
 歯軋りしつつ対抗策を練っていたゲンドウは、遂に決断した。
「出撃。」
 自分にとって最大最後の切り札を切る事を。
「しゅ…出撃って……何をですか?」
 だが、流石に省略し過ぎの命令で他人に分かって貰う事などできなかった。
「赤木博士と伊吹一尉を除く全ての使徒能力者を出撃させろ。サードもだ。急げ。」
 ミサトに訊き返されたゲンドウは、仕方なく詳細を補足してから司令席を立つ。
「冬月先生、後を頼みます。」
「……分かっている。ユイ君によろしくな。」
 傍らに立つ、腹心の部下にして盟友である男に後を任せて。
 そして、眼下の第1発令所でも、
「了解。初号機と弐号機の両パペットを市内に呼び戻して。……後、お願い。」
「我々が発進した後、天蓋部の全通路の隔壁を閉鎖し、ベークライトを注入しろ。」
 ミサトとカティーが出陣前最後の指示を出し、戦場へと歩み往く。
「分かりました。……お気をつけて。」
 日向や青葉やマヤ達が捧げる敬礼に見送られて。



 空を往く白いエイの一つの背中から、突然赤い筒が突き出る。
「約束の時は来た。」
 薄暮を過ぎ黒に染まってゆく空で円陣を描く白き翼の中から、声無き声が響いた。
「今こそ、贖罪の時。」
 その“声”に応え、他のエイ達の背からも赤き筒が次々と突き出る。
「今こそ、救済の時。」
 そして、見る見るうちに妙に生物的な印象の4機を除いて13機全ての筒が露出した。
「四大熾天使、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルよ。我等の道を拓け!」
 続けて発せられた“声”に後押しされるかのように、生物的な4機の白エイは高度をどんどん下げてゆく。
「今こそ、復活の時。」
 けしかけた後は“声”は、それらに何の注意も払わず、先を続ける。
「ゆくぞ、同志諸君!」
 赤い筒…エントリープラグ…の上蓋が開いた。
 中から現れたのは、柄の両側に刀身が付いた片刃の剣を持ち、白銀に輝くプラグスーツに身を固めた、老人の顔と青年の身体を持つ12人の男達だった。
 続いて、金と銀に輝くプラグスーツに身を包む、丸眼鏡をかけたニキビ面の少年が赤い筒の中のパイロットシートから立ち上がり、空中に己が身を委ねた。
 投身自殺では無い。
 少年の身体はこともなげに大空を飛翔し、12人の青年達がそれに続いて空を飛ぶ。
 いつしか、13人は白エイが作る輪の中にもう一つの輪を描いて飛んでいた。
「我等の下僕、機械の巨人よ。我等の為に時を稼げ。」
 白い視力補正バイザーをかけた青年が発した空気を振るわせない“声”に応え、白いエイの背中に突き出ていた赤い筒が体内に戻り、再び装甲が覆う。
 そして、先行した4機を追いかけて地上へと降下していった。
 やはりそれにも構わずに、老人の顔をした青年達は叫ぶ。
「今こそ、断罪の時!」
 と。



 重力の誘いにパラシュートが生み出す揚力で抵抗し、純白のプラグスーツに身を包んだ青少年達が軽やかに地に降り立った。
 そこに信号機に偽装されていた機関砲が上から撃ち下ろすが、目標にされた金髪の少年はATフィールドを盾状に展開して攻撃を難無く弾く。
 間髪を入れず別の年端もいかない赤毛の少年が無表情でナイフを投じ、信号機を撃ち抜いて爆発させる。
 横合いの消火栓から高圧で噴き出す水も黒髪の青年のATフィールドで防がれ、彼の長柄斧槍の一閃で消火栓は真っ二つにされ、噴水と化した。
 郵便ポストが迫り上がり、下に隠されていたノズルが炎の舌を伸ばすが、これもまた黒い肌を持つ少年がATフィールドで弾き、手に持った槍で突き壊した。
 このように、手に手に携えて来た思い思いの武器で行く手を邪魔する全てを破壊しつつ青少年達は無人の市街を我が物顔で往く。
 放たれた“矢”の如き勢いで。



 僕が待機してる第1カタパルト室に、ミサトさんとカティーさんがやって来た。
「あれ? 今回はミサトさんとカティーさんも発進するんですか?」
 2人のプラグスーツ姿って見るの珍しいから見違えちゃうよ。
 ちなみにミサトさんのプラグスーツは茜色、カティーさんのは藍色がベースカラーだ。
「ええ、そうよ。今回とにかく手が足りないのよ。」
 いつもなら襲来する使徒は1体なのに、今回は一挙に4体。しかも、厄介なオマケ付きの上に真打ちまでいそうなのだ。
 手が足りなくなるのも当然かもしれない。
「リツコとマヤ以外の使徒能力者全員が出撃する予定だ。」
 ゼーレが投入して来た物量に対するには、こちらも物量を以ってかかるしか無かった。
「すると、カヲル君も……」
「ああ。別便で出撃するそうだ。……行くぞ。」
 僕は電磁カタパルトで地上に打ち出されるGに歯を食い縛って耐えながら、今回襲来した使徒へと想いを馳せた。
 ……今度はどんな使徒なんだろうって。



 一般市民が避難している地下シェルターの警備を保安部機械化歩兵連隊に引継ぎ、アスカ達は久々に地上へと実戦出動した。
「とにかく、上から来るガラクタを片付けるわよ!」
 言うが早いか、アスカ自身も飛行用ユニットを装着している白いエイの様な不恰好な姿の侵攻用エヴァ・パペットに向かって強力な光線を放った。
「了解!」
 更に即応したマナが加粒子砲を拡散発射すると、アスカの光線を食らって爆発四散した1機を除く12機の機械の巨人は背の飛行ユニットの薄い主翼を破られてしまって、ことごとく墜落した。
「え!?」
 1機12兆円もする高価な兵器の意外な脆弱性に、一同の目が思わず点になる。
「……何、あれ?」
「飛行用装備は未だ実験段階よ。どうやら、向こうでも同じだったようね。」
 流石に呆れたアスカが呟いた疑問の答えは、やはり通信機の向こうで呆れ返っていたリツコからもたらされた。
「何てゆ〜か、馬鹿?」
 恐らくは格好優先で装備を選んだのであろう事に、敵ながら呆れ返らざるを得ない。
「呆れてる暇は無いわよ、アスカ! 山岸さんと能代さんはあの人達を調べて。私達は碇君が来るまで何とか食い止めるわよ。」
 が、そんなアスカ達を仕切り屋の本性を発揮したヒカリが叱咤して迎撃に戻させる。
「分かってるわよ!」
 背の翼を畳んだ歪な人型の頭部に赤い唇のウナギの頭をくっつけた様な白い使徒らしきモノ、自分達に向かって殺気と武器を向けてくる“矢”の青少年達、墜落にもめげず再起動を果たした満身創痍の機械人形のどれでもなく、アスカは光線を上空で何やらやっている集団へと向けた。
「こういうのは、頭を潰せば終わりよ!」
 しかし、ジオフロントの特殊装甲を軽く18枚貫くゼルエルの光線は、円陣を構成する13人を守るべく出現した八角形のATフィールドの盾であっさり防がれてしまった。
「嘘っ!?」
 驚くアスカに構いもせず、円陣を組む老人の顔した青年達は怪しげな呪文を朗々と唱え続けるのだった。
「ちっ! ……あっちは後回しね。」
 ATフィールドを纏わせた武器で殴りかかって来る“矢”の似非チルドレン達の攻撃を捌くのに辟易している使徒能力者達を尻目に……。


 基礎の戦闘能力では少々劣るとしても数的に圧倒的な似非チルドレン達は、ネルフ側の手が回らないのを良い事にジオフロントへの出入り口を強引に抉じ開けつつあった。
「南のハブステーション、破壊されました。」
 閉鎖されたシャッターを切り裂き、
「西、5番搬入路にて火災発生。」
 通路を塞ぐ車両を破壊して炎上させ、
「台ヶ丘トンネル使用不能。」
 時にはやり過ぎて埋まって自滅しながら。
「侵入部隊は第1層に侵入しました。」
 閉鎖されて無人になった通路を埋めるベークライトをATフィールドで砕きつつ、一歩一歩確実に地下へと侵攻してゆく青少年達の顔には、植え付けられた強い憎悪と怨恨で酷く歪んだ笑いが浮かんでいたのだった。


「ごめん、遅れて。」
 斜めに切断されたエレベータービルの中から、ミサトとカティーに守られたシンジがようやく戦場に到着した。
「謝るのは、後。……今は、とにかくアレを。」
 ミサトに言われ、シンジは自らのATフィールドを周囲に手一杯広げる。
 しかし、いつもであれば効果絶大なシンジのATフィールドへの応えは、ウナギ顔の白い巨人が振り下ろす黒い剣だった……。



 俺は暗い路地で雑魚どもにたかられて押されている元クラスメイト達を空中から見下ろしながら、腹の底から笑いが込み上げて来るのを抑えるのに必死だった。
「我等12の使徒がメシアと共に呼びかける!」
 だって、あの忌々しい霧島が手も足も出ないんだぜ!
「我等、人の子を代表して呼びかける!」
 五月蝿くてうっとうしかった委員長も、小生意気な惣流も、
「我等、心を一にして呼びかける!」
 そして、俺を裏切ったカスミさんも、みんなだ。
「我等と汝の契約の言の葉に従い!」
 これがスッとせずに何がスッとするんだ!
「我等、人の子が流した血に報いたまえ!」
 おっと、ようやく碇の野郎が出て来たな。
「我等が贖罪を為す為に!」
 待ってろよ。
「我等が救済を為す為に!」
 これが終わったら殺してやるからな。
「人類に福音をもたらす為に!」
 神の摂理に逆らう邪悪な666の獣……碇シンジめ!
「新たなる王国の為に!」
 この救世主様が、正義の名の下に直々に退治してやるぞ!
「汝が欠片より生まれし子等の呼び声に応え、来れロンギヌス! 我等の手に!!」
 神が創った断罪の聖槍“ロンギヌス”でな!



「大丈夫、シンジ君!」
 振り下ろされた黒刃の下から間一髪体当たりで弾き出されたシンジは、自分を弾いた勢いで一緒になって地面を転がったミサトに弱々しく微笑んだ。
「う、うん……ミサトさんは?」
 早くも跳ね起きたミサトに手を貸して貰って立ち上がったシンジは、次いで地面スレスレに横薙ぎにされた黒剣を避ける為に空中高く跳躍するミサトの腕に抱きかかえられる。
「大丈夫、かすり傷よ(……拙いわね。傷の再生が遅い。)。」
 別の1機が空中にいる自分達を切り裂こうと唐竹割りにしてくるのを、ミサトは刀身を横に弾く斜めのATフィールドを張ってわざと弾き飛ばされる。
「ATフィールドが切り裂かれた! 何かあるわね、あの剣。」
 しかし、ミサトが展開したATフィールドは、浅くではあったが黒刃に切り裂かれてしまっていた。もし、ATフィールドで黒剣を防ぎ止めようとしていたら、今頃は真っ二つにされてしまっていただろう。
「みんな! あの黒い武器に気をつけて!」
 通信機で注意を促し、ミサトは不利な戦況を打開する作戦を考えつつシンジを狙って暴れる巨人の振り回す腕から逃れ続けるのだった。
 愛しいシンジを両腕で抱えたままで。



 黒く塗られた人造の巨人に乗ってセントラルドグマの縦穴を下り行くゲンドウは、巨人の手が握っているリフトを吊るすワイヤーが揺れている事から異変を察知した。
『くっ……何が起こっている……』
 プラグスーツに着替える手間も惜しんだ為、ネルフ司令官の黒い制服のまま頭の天辺までLCLに漬かっているゲンドウの額に汗が噴き出す。
 だが、揺れなど前兆に過ぎなかった。
 バコオオオオッ!!
 下の方でぶ厚い金属をひしゃげさせる轟音が鳴ったかと思うと、ゲンドウの乗ったパペットの直ぐ脇をナニかが衝撃波を蹴立てて突進して行ったのだ。
「何だとっ!」
 ガコオオオオオオオン!!!
 そして“それ”は……ネルフ本部のピラミッド状建造物の横にある四角く窪んだセントラルドグマの上蓋を軽々と貫き、
 ドゴオオオオオオオオン!!!
 全く勢いを減じずにジオフロントの天蓋部のど真ん中を埋め込まれた22層の特殊装甲ごと貫き、大穴をぶち開けた。
 “それ”が貫通した跡を真っ赤に溶融したガラスの如くドロドロに変えて。
「槍……か。それが、老人達の切り札か。」
 よもや遠隔操作すら可能だとまでは予想していなかった事に歯軋りするゲンドウの心に不安がよぎる。
 たった今まで“槍”が刺さっていたモノがどうなってしまっているかについての。



 空中で円陣を組んでいる12人の老人の顔した青年達が交差させている刃先からぶら下がっている様にも見える位置で急停止した巨大で捩じくれた真紅の棒状の物体。
「どうぞ、メシア様(せいぜい踊るが良い、黄色いサルめ。我等が思惑通りにな。)。」
 視力補正バイザーをかけた老人に促された円陣を組んでる中では唯一徒手空拳の眼鏡の少年は、右手をおずおずと伸ばしてそれに触れた。
 すると、全長50mはあった巨大な槍は少年の背丈に合わせて見る見るうちに縮み、瞬く間に長さ2mほどになった。
「凄い…凄いぞ、これは! これなら! これならっ!」
 秘めた力はそのままに。
 歓喜と憎悪から自然と滲み出て来る笑みを浮かべ、少年は雲を蹴って急降下する。
「行くぞ。」
 12人の老人達も、黒剣を手にそれに続く。
 向かう先は……
 サードチルドレンこと碇シンジが、黒い剣を振り回す白い巨人…人造使徒…に追いかけ回されている、まさにその場所だった。
「よう、シンジ。久しぶりだな。」
 巨人のうちの1体の『01 Michael』と描かれた肩に、槍を手にした眼鏡の少年が降り立つと、4体の巨人達は今までシンジを猛り狂って追い回していたのが嘘のように鎮まった。
「相田…君……」
 金と銀のツートンカラーに塗られたプラグスーツに身を包んでいるのは、紛れも無く先日行方をくらましたクラスメイト 相田ケンスケであった。
「何だその顔は!? 俺なんかがチルドレンになってるのがおかしいとでも言うつもりなのか? え!?」
 驚く面々を不愉快そうにやぶ睨み、難癖をつけてくるのに、
「ご、ごめん。そう言う訳じゃ…無いけど。」
 シンジが率先して頭を下げ、弁解しようとする。
 しかし、もはやシンジのやる事なす事全部気に入らない境地にまで達しているケンスケに取っては、謝られたところで少しも嬉しくは無い。
 むしろ腹立たしいだけだったのだ。
「それに、お前如きに『相田君』なんて馴れ馴れしく呼んで欲しくないね。ちゃんと『メシア様』って呼びな!」
 槍を立て金に塗られた胸を張って堂々と出した要求は、シンジの恋人達だけでは無くケンスケの後から降下して来ていた12人の老人顔の青年達からも二の句を奪った。
「相田君、変な宗教にハマったのかしら?」
 少し離れた場所で金髪の青年が振り回す日本刀を光鞭で斬り折りながら、それを小耳に挟んだヒカリが思わず小声でツッコミを口走ってしまいはした。だが、彼女にしても当人に改めて確かめてみる気には到底なれなかったのだ。
 なので、それに何か言い返す気力を残していたのは、この場ではシンジだけだった。
「ところで、あ…メシア様。どうして、こんな所に?」
 よくぞ聞いてくれましたとばかりに満面に嘲笑を浮かべて、
「それは……シンジ! 貴様から何もかも奪う為だ!」
 両膝を軽く曲げて、
「地位も! 名誉も! 金も! 女も! 勿論、カスミさんもだ!」
 ケンスケは紅槍の二股に分かれている穂先をシンジの胸元にビシリと向けた。
「え? ……なんで、カスミの名前がそこに。」
 意外な名前を聞いて一瞬ポカンとできたシンジの隙を見つけ、ニヤリとしたケンスケが巨人の肩から飛び降りる。
「そして……命もだ!」
 ロンギヌスの槍を構え、一発の凶弾と化して。



 ケンスケがシンジの胸目掛けて飛び込んでいる頃、ネルフ本部は受けたダメージを少しでも補うべく急ピッチで処置を進めていた。
「アルファユニット閉鎖完了。セントラルドグマの隔壁、第1から第10まで閉鎖。」
 大穴が開けられてしまった天井部分の代わりに隔壁でどうにか穴を塞ぎ、
「パペット部隊をジオフロント内に配置、機甲部隊と共に迎撃態勢。機械化歩兵部隊は引き続きシェルターの警備を。」
 同じく大穴が開けられてしまったジオフロント天蓋の中央に向け、極秘で建造されていた26機のエヴァ・パペットと61両の“クオックス”装甲砲戦車が筒先を向ける。
「本部第5層まで放棄。避難完了後、自動防衛設備起動。」
 それでも、ジオフロント地表に近い浅い階層は捨てざるを得なかった。
 ……万が一、敵に侵入して来られたらどうにもできないからだ。
「兵装ビル各位、ゼーレ側エヴァ・パペットに攻撃を集中せよ。」
 また、不利に傾いてしまっている戦況を挽回するべく、
「パペット初号機、弐号機は引き続き地上迎撃を。」
 次々と指示が下されてゆく。
 初号機パペットがスマートライフルから40p砲弾を、弐号機パペットが両手に構えたランチャーガンから600oロケット弾を放ち、兵装ビルが地対地ミサイルや機関砲弾などを浴びせて、墜落の衝撃でただでさえ壊れかけのゼーレ側パペットを単なる残骸に変えてゆく。
「対ATフィールドミサイル、用意。使徒2番と4番に向けて発射。」
 また、ウナギ頭の巨人…パターン青の発信源…の中でもシンジ達が近くにいない個体を目掛けて特殊ミサイルが放たれ、たたらを踏ませる。
 ちなみに対ATフィールドミサイルとは、マヤの髪の毛を弾頭内に仕込む事でマヤの任意でATフィールドを展開できるようにしたミサイルの事で、使徒に対してもそれなりの打撃効果を持つ兵器である。
 だが、発令所が可能な限り最善を尽くしても、ゼーレ側が投入した150名を超える擬似チルドレンによる破壊活動で、使用可能な兵装ビルや砲台がどんどん破壊されてゆくのを食い止める事はできなかったのだった……。



「ちいっ!」
 カティーがナイフを手に踊りかかってくる5人の少年のうちの一人を引っ掴んで投げ飛ばした時、
「シンジ君!」
 マナが老人顔した青年3人に囲まれて黒剣で切りかかられている時、
「だから、邪魔だって言ってるでしょ! あんたら!」
 アスカが剣を手にした青年20人に十重二十重に囲まれて辟易してる時、
「大滝君、どうしてっ!?」
 ヒカリが襲撃して来た連中の中にシンジの転入直前に疎開して行った元級友の少年の姿を認めた時、
「おにいちゃん!」
 シンジへの攻撃に気を取られてしまったハルナの脇腹に赤毛でがっしりとした青年が振り回す戦斧が食い込んだ時、
「ケンスケ!」
 カスミが両手を大きく広げてシンジを庇って前に立った時、
 それは現れた。
 キィィィン!
「なにっ! 誰だ、邪魔する奴は!」
 何処からか自分目掛けて投擲された光輝くナイフを辛うじて槍で弾いたケンスケは、突進を途中で止めて復讐を邪魔した無粋な不埒者へと非難の声を上げる。
 答えは、未だ残っている兵装ビルの上からした。
「恋人の危機に颯爽と登場するヒロイン。……リリンが生み出した王道の極致だよ。」
 蒼いプラグスーツで身を鎧い、白く光り輝くナイフを3本、刃の方を持つ持ち方で左手に携えた少女…勿論、渚カヲル…は、口元に微笑みを浮かべると黒剣を構えている老人顔の青年達に視線を移した。
「ゼーレの評議会の皆様が総出でいらっしゃるとは。……他人の身体を勝手に変な事に使わないで欲しいですね。」
 自分が男だった時の身体の上に老人の顔が載ってるのを直視してしまい、流石のカヲルも顔をしかめて文句をつける。
「お前の身体は我等が生み出したものだ。我等が使って何が悪い。」
 だが、彼らが文句を言われたからといって『はい、そうですか』と行いを改めるような連中であれば、そもそもこんな騒ぎは企まないだろう。
「では、どうあっても?」
「愚問だ。」
 念押しにも色好い返事が返って来ないと確かめたカヲルは、
「では、力尽くで処分させていただきましょう…かっ!」
 ビルの屋上から飛び降りざま、ナイフ状に具象化されたATフィールドの刃を白い視力補正バイザーを着けた老人顔の青年…キール…に向かって3本まとめて投げつける。
「甘いぞ、タブリス。」
 しかし、キールの持つ黒剣がカヲルの投げたナイフを3本とも斬り裂き、光へ還す。
「リリスの確保を急げ。」
「さよう。あの男に時間を与えるのは危険だからな。」
 眼鏡をかけた細面の男がキールの指示に賛同すると、ロンギヌスの槍が開いた縦穴に擬似チルドレンの少年達のうち半数以上が飛び込んでゆく。
「くっ……」
「お前等には、あいつらは殺せないだろう。それが、お前の限界なんだよ、シンジっ!」
 悔しさと焦りに唇を噛み締めるシンジに向けケンスケが再び槍を構えた時、カスミは何時の間にか庇って前に立っているシンジの身体の前に再び立った。
「もう止めようや、ケンスケ。こんな事して何になるんや。」
 困惑の混じった泣きそうな目、憐れみが混じった悲しそうな瞳。
 それを向けられ、ケンスケの心の何処かに微かに残っている良心がチクチク痛む。
「今更言うのか、それを! 俺を裏切った……俺を選んでくれなかった癖に!」
 だから、それを振り払うべく、大声で相手を非難するのだ。
 自分は悪くない。悪いのはお前等だと。
 自棄になったチンピラ同然に落ちぶれた親友の姿を痛ましく見せつけられ、カスミはやむなく一生ずっとケンスケには言わないでおこうと思った真実を伝える決意を固めた。
「あんな、ケンスケ。……ワイはな、実はな……トウジなんや。」
「え!?」
 ドスよろしく槍を小脇に抱えて突進しようとしていたケンスケの足が止まり、驚愕で表情が引きつる。
「やから……ケンスケとは付き合えへんって答えたんや。ケンスケとやと、どうしてもワイが男やった時の事、思い出してしまうさかいな。」
 時が、止まる。
 会話の最中にも外野で斬り結んでいた面々も、ゼーレの評議員も、あまつさえ人間兵器にされた似非チルドレンの青少年達や人造使徒の巨人も動きを止めた。
 そして、耳を澄ましてケンスケの次の一言を待った。
 その一言が、下手をすればこの戦いの決着を告げる角笛となるかもしれないからだ。
「……誰に吹き込まれたんだよ。」
 地獄の奥底から響くような怨嗟の声。
「誰にそう言えって吹き込まれたんだよ! シンジか! それとも、そのオヤジか!」
 ケンスケの…ゼーレのメシア様の選択に老人達はホッと胸を撫で下ろし、手にした黒刃を怨敵どもに向かって振りかざす。
「違う! ホンマなんや!」
 ともかく、メシア様の選択はなされた。
 戦い……と。
「問答…無用っ!」
 ケンスケの凶刃が、まずはシンジを庇って五月蝿く弁解を続けているカスミへと向けられ、大きく突き出された。
 キィィィィィン!!
 カスミの心臓を貫く直前だったロンギヌスの槍の穂先を上に弾き飛ばしたのは、シンジが右手に顕した光り輝く長剣だった。
「カスミは皆と協力して他の敵を。メシア様……いや、相田君は僕が止める!」
 背に12枚の光る翼を薄く顕現させたシンジの。
「やってみろよ! やれるもんならなぁ!!」
 横薙ぎに振るう槍を剣尖で地に叩きつけられながらも、ケンスケの攻撃は止まらない。
『くっ……凄い………受けただけで手が痺れちゃう…………』
 刹那の間に繰り広げられた攻防を肌で感じ、このままではシンジが自分を庇う為に余計な力を割いて不利になると、カスミは悟った。
「分かった。ケンスケの事は任せたで。」
 なので、断腸の思いを残しながらもシンジに後を任せ、カスミは他の雑魚を蹴散らすべく吶喊するのだった。


「全軍、射撃開始!」
 ジオフロントの頂上部にぽっかりと開いた縦穴、そこから降りて来る人影を目掛け、ジオフロント内に配置されたエヴァ・パペット、戦車、護衛艦から猛砲撃が加えられる。
 本来ならATフィールドを展開されて無傷で楽々突破して来られるのだろうが、対ATフィールド弾が混じった弾幕がそれを許さない。
 展開が不完全になってしまったATフィールドでは大威力の砲弾の直撃を充分に防ぎ止める事ができず、穴から侵入して来る少年達は次々と穴だらけにされていく。
「でも、本当に良いんでしょうか。……利用されてるだけなのに。」
 その光景を両手で顔を覆う誘惑に耐えて直視していたマヤに、
「残念ながら助ける術は無いわ。こっちの調査と能代さんと山岸さんの精神探査のどちらも、彼等が既に殺されてるという結果が出たわ。」
 隣で少年達の分析をようやく終わらせたリツコが答える。
 少年達が強力な…使徒にすら匹敵しかねない強度の…ATフィールドを搾り出せるようになっている為、身体がそれに要するパワーに耐えられず崩壊を始めていること。
 そして、徹底的に施された洗脳と精神支配のせいで、彼等本来の自我がほとんど残されていないことを。
「そんな……」
「あれは死体よ。……例え、生きてるように見えてもね。死んだ人間を助けられるのは神様だけ、私達には無理よ。」
 生理学的な生命活動こそ停止していないが、実質的にはゾンビも同然の生体兵器……自分で纏め上げた結論に反吐が出そうになりながらも、リツコは戦闘中の全員に対して情報を送信した。
 ……自分達が彼等にしてやれる事は、もう楽にしてやる以外残されていないのだと。
「それに、ここで彼等に突破されてしまっては、こちらが殺されてしまうですわ。……避難民の皆様も危ないですわね。」
 そして、プラグスーツの機能を低下させるシステム『サキュバス』で擬似チルドレン達の戦闘力を多少なりとも削ぐのに忙しいマリィも、リツコの意見に賛同した。
 現在ジオフロントに配置されている兵力で彼等とマトモにやりあっては勝ち目が全く無く、ほとんど一方的に殺戮されるだけになりかねないからだ。
 しかし、火力によって支えられている危うい防塁が決壊する瞬間は、刻一刻と迫りつつあった……。


「みんな、反撃よ!」
 リツコからもたらされた痛ましい結論を受け取ったミサトは、日本刀で斬りかかって来た少年の咽喉を手刀で貫きつつ、とうとう反撃を開始するよう指示を下した。
 シンジの手前もあって、できれば少年達ぐらいは助けられないだろうかと計画を練っていたのだが、残念ながら徒労に終わってしまったのだ。
 体内に灼熱を流し込みながら、別の少年が突き込んで来た十字槍に対する盾として振り回したミサトの唇が切れ、紅い筋が滲んでいる。
「ごめんなさいっ!」
 自分に幾つもの手傷を負わせた赤毛の青年の胸の真ん中に、涙目になったハルナの光槍が突き刺さり、遥か向こうの防壁ビルにまで押し飛ばして貫く。
 プログナイフ1本で相手をしていた少年5人を瞬時に沈黙させたカティーを侮り難い獲物と見たのか、老人2人が黒剣を手に猛攻をかけて圧しまくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 そして、ヒカリが両掌から出した光鞭を縦横無尽にしならせて、押し寄せる少年達の首や腕や胴体や足を謝り倒しながらスパスパ斬り裂いてゆく。
「いいかげんして! あんたらっ!」
 また、取り囲む20人を怒りに任せて噴き上がる爆発的なATフィールドでまとめて吹き飛ばしたアスカは、額に青筋を浮かべながらソニックグレイブの赤熱した刃を人間兵器達の素っ首目掛けて横に滑らせる。
「身体も心も武器までコピー、美しくないね。……見るに堪えないって事さ。」
 そのアスカを狙い乱戦に紛れて投擲された黒剣が変形した槍を、何時の間にか持っていた光り輝くハルバードで横合いからカヲルが叩き落す。
 そのカヲルに向かって殺到する矢の雨を、シズクの口から吹き出された粘性の投網が絡め取って叩き落す。
 更に、シズクを殺そうと黒剣を手に殺到して来た老人顔の青年2人は、戦列復帰したマユミとトウジが行く手を塞いだのを見て、手下の似非チルドレン達をけしかける。
 しかし、悲しいかな廉価版の“矢”では、躊躇いと言う名の枷が外れた御使いの力を得た者達を相手するには役者不足に過ぎたのだった……。


「取った!」
 回避不能のタイミングでシンジを脳天から股下まで唐竹割りで真っ二つにした時、ケンスケは勝利を確信した。
「はははははっ! 正義は勝っ……ううっ!」
 だが、現実はそう甘くは無かった。
 真っ二つにした筈のシンジの右半身と左半身がポンと膨らんで各々ちゃんとした身体を備えたシンジの姿になり、4つの眼を光らせた。
「うあわああああああ!!」
 槍の自衛本能が辛うじて破壊光線を防ぎ止め、ケンスケがカヲル・コピーを吸収して得た高出力のATフィールドが爆発の余波から身を守る。
「もう止めようよ、相田君。」
 閃光の残滓が消えた時、シンジは再び一人に戻り剣を持ってない左掌に輝く光を溜め込んでケンスケを狙っていた。
「化け物めっ!」
 直後に迸った光の奔流をケンスケはジャンプ一番躱したが、彼には気付けなかった。
『コピーだから気にしないで破壊して良いってカヲル君が言ってたけど、どういう意味だろう? ……本体が別にいるのかな?』
 それが本当は彼を狙ったのではなく、ハルナの背中に向けて槍を投げつけようとしていた老人顔の青年の1人を狙い通り蒸発させたのを。


 三方を取り囲んで斬りかかって来る老人達の黒剣を必死で避けながら、マナは断続的に電撃を周囲に撃ち放つ。
 だが、それで黒焦げになるのは巻き込まれた“矢”の少年達ばかりで、肝心の老人達の身を守っているATフィールドはビクともしない。
 逆にマナのATフィールドは3人がかりで中和されてしまい、最大の武器である加粒子砲ごと封じられてしまっていた。
『使えるのは電撃と硬質化だけ……ちょっと厄介かな。』
 それでも戦自仕込みの軍隊格闘技を高度に洗練させた格闘技術は、マナに3人がかりの攻撃を凌がせ続けていたのだった。

 ゼーレの評議員として世界を裏から牛耳っている彼等ではあったが、直接荒事に出て来るのは初めての経験だった。
 スペックデータ的にはどの使徒能力者でも確実に殺せる能力を備えているはずの彼等の攻撃は、イスラフェルの使徒能力を継いだ秋月スズネの3次元的音速移動を捉え切れずにことごとく空を切らされていた。
「おのれ、ちょこまかと!」
 だが、スズネが両目から放つ光線もカヲルのクローン・ボディを乗っ取って得た強靭なATフィールドに完璧に弾かれ、全く効き目が無い。
『焦れて近付いて来たか! これが貴様の最後だ!』
 その爺顔の青年は気付かなかった。
 派手にコンクリートの破片を蹴立てて迫って来る妹を陽動にして、彼の背後から姉が渾身の一撃を撃ち込むべく狙いを定めた事を。


 地上での戦局の変化は、地下の戦線にも影響を与えていた。
「駄目です! 支え切れません!」
 使徒能力者相手では役に立たないと見切りをつけたキールが、地上に残る“矢”のほぼ総員をジオフロント攻略に差し向けた結果、遂に強引に弾幕を突破してジオフロント地表に落ちて来る連中が現れたのだ。
「敵、数14!」
 今まではミサイルの爆圧で押し止めていた連中、その一部が後続に押されて落ちてきてしまったのだ。
「落下地点にも火力を集中!」
 対応は早かった。
 だが、これは失敗だった。
「駄目です! 敵、次々突破して来ます!」
 何故なら、それは、必死に抑えていた地獄の釜の蓋を押さえる手の力を緩めてしまう行為に等しかったのだから。
「も、もう駄目か……」
 何処からか聞こえて来た弱音。
「諦めるのは早い。まだ子供達が戦っている。」
 その弱音を冬月が否定した時、それは起こった。
 ジオフロントの天蓋、その中央を貫く縦穴を埋め尽くし広がる眩い光を。
「何だ!」
「強度のガンマ線を確認! 対消滅反応と思われます!」
 青葉の報告は、リツコに今まで影に潜んでいた伏兵の存在に思い当たらせた。
「……これは、多分チカゲさんね。」
 チカゲはディラックの海にある反物質を通常空間に現出させて対消滅反応を起こすというレリエルの能力を応用した破壊能力を持っていた。
 恐らくATフィールドを備えた相手に対する手頃な攻撃手段に乏しいので、今まで異相空間に隠れて機を窺っていたのだろう。
「全車散開! 各個に攻撃しながら後退!」
 ただ、チカゲのおかげで後続が断たれただろうとは言え、既にジオフロントへと侵入してしまった“矢”の少年達は脅威そのものであった。
「うわぁあああああ!!」
 満身創痍ながら単独で戦艦にも勝る攻撃力を有する人間大の存在。
「パペット伍号機、拾弐号機、弐拾弐号機大破!」
 近距離から放たれた戦車砲弾の直撃にも平然と耐え、
「この野郎! 死にやがれ!」
 主力戦車の砲撃にすら楽々と耐えてみせる装甲を電磁バリアごと切り裂き、
「クオックス隊、全滅です!」
 オートバイすら軽々と追い抜く速度で地を駆ける少年達。
「“たちかぜ”に被弾! 中破です!」
 あまつさえ、斬撃にATフィールドを乗せて撃ち出すような真似さえする。
「原子炉緊急停止! 炉心閉鎖急げ!」
 使い捨ての戦術兵器と割り切れるのなら、彼等は確かに第一級の兵器であった。
「先輩っ!」
 次々と破壊されてゆく味方を見て、マヤもまた決意した。
「後、お願いします。」
 やりたくもない殺し合いに赴く事を。


 純白と緋色の2色に彩られたプラグスーツを着たショウコの照射した光線が白い巨人の一体に当たると、再び暴れ回っていた巨人の動きはピタリと止まった。
「今、強制の楔を解いてあげます。……そう、良い子ですね。」
 残念ながら少年達は手遅れであったが、彼等はダミーシステムとケンスケが発している精神支配の両方さえどうにかできれば何とか助けられそうだったのだ。
 しかし、ゼーレがそんな事を許す筈が無かった。
「……仕方あるまい。ガブリエルを破棄する。」
 動きを止めた人造天使を見たキール議長が即決すると、巨人の体内に予め仕掛けられていたN地雷が炸裂し、火柱と化した。
 近くにいたショウコまでもを爆炎に巻き込んで……。


 ゼーレ直轄部隊との戦闘は続いていたが、ネルフの敵はゼーレだけでは無かった。
「第7師団、第4次防衛ラインを突破しました! 数、およそ2600!」
 攻め寄せて来た戦略自衛隊の精鋭達が、満足な装備が無いにも関らず狂瀾怒涛の進撃を続けていたのだ。
「第12旅団、仙石原の各所で地下への侵攻を開始しました! 数、およそ700!」
 ただ、無謀な行為と一刀で斬って捨てる事も不可能だった。
『市内と天蓋部の対人要撃システムは壊滅状態。……当面、手の打ちようは無いわね。』
 彼ら戦自を食い止めるべく用意した数々の戦備が、ゼーレ直属部隊との交戦でかなりの損耗を余儀無くされ、迎撃能力が大幅に低下していたからである。
「パペット部隊、残機3!」
「敵、本部施設への攻撃を開始しました!」
「“たちかぜ”轟沈!」
「敵、第356、第435、第653、第677シェルターへ攻撃開始!」
 更に次々飛び込んで来る悪いニュースに、発令所の面々の表情が暗くなる。
 だが、舞い込んできたのは悪いニュースだけでは無かった。
「第6格納庫に負傷者多数出現! クオックス隊の隊員だと思われます!」
「伊吹一尉が本部施設の直衛に着きました! 敵との交戦開始!」
「第3格納庫に“たちかぜ”乗員出現!」
 無人だったエヴァ・パペット隊を除く迎撃部隊から、破壊されてしまう直前に何者かが何らかの手段で脱出させていたのが判明したのだ。
 ……残念ながら、全員を脱出させる事はできなかったようだが。
「襲撃されてるシェルターから市民の避難を急がせて。護衛部隊はギリギリまで後退。途中の隔壁で時間を稼ぐわ。」
「了解。」
 リツコの提案に日向が一も二も無く飛びついたが、マリィ以外の発令所の面々は気付いていなかった。
『……あの“矢”のATフィールドの出力は私よりも上。隔壁に擬態してる私の細胞でどれだけ時間が稼げるかしら……』
 自身満々に胸を張っているリツコが両の拳に汗を握り締めている事を。


 第3新東京市とジオフロント…2つの地表で激戦が繰り広げられている頃、静謐に包まれたターミナルドグマでは一人の男が機械の巨人から降りて塩の島に佇み、何かを待っていた。
「やはりここに来たか。」
 いや、何かではなく、誰かを。
「碇司令……」
 それは、綾波レイ。
 十字架に架けられたリリスと共振した事で槍の影響を受け体調を崩したと思われる彼女が、今、自らの意志でここに来るであろう事はゲンドウには先刻承知だったのだ。
 レイの備えた感覚なら、零号機で素直に出撃するのが自殺行為そのものな戦況に陥ってしまっていると正確に理解し、事態を打開し得る“力”を求めに来るだろう事を。
 彼女にとって大切な少年、碇シンジの為に。
「約束の時が来た。新たなる世界を作る為、私に協力してくれ。」
 右手の手袋を左手で脱ぎ、全裸のレイの目の前にかざすゲンドウ。
 その掌に爛れて癒着した化石のようなモノは、目の当たりにしてしまったレイの心に抗い難い誘惑を湧き出させる。
「駄目。……碇君が待ってるもの。」
 しかし、レイは視線をゲンドウのサングラスと“それ”から離さぬままに申し出を拒絶した。……自分がここに来たのはゲンドウの為では無いのだと。
 そんなレイにサングラス越しに微笑ましげな視線を送り、ゲンドウはかねてから考えておいた提案をする。
「私に協力すれば、シンジと普通の恋人同士にしても良いぞ。お互いにただ一人の愛する恋人にな。」
 今のライバルいっぱいのハーレム状態を解消して、自分一人が好きなだけシンジに甘えられる恋人同士の立場が欲しくは無いのかと。
「……みんなはどうなるの?」
 だが、その提案は能面に近かったレイの端整な顔の眉を寄せさせた。
 そうなった時の“仲間”に対する思い遣りで。
「……それぞれに相応しい誰かを見つけるだろう。……多分な。」
 虚言で騙そうとしても後で確実に露見してしまう為、ゲンドウは誠実に答える。
 協力して新たな世界を築いてる最中にレイがゲンドウに反発してしまっては、取り返しのつかない事になりかねないのだ。
 ……最悪だと、世界が滅びかねない程に。
「みんなの想いはどうなるの?」
 ただ、ゲンドウはレイの気持ちを正確には把握していなかった。
「私も碇君と同じ。みんなが良い。」
 レイ自身がシンジを通して得た多くの絆を、掛け替えの無いモノだと想っている事に。
 シンジがそう考えていると言う事と関係無く。
 いささか変則的ながら、絆に飢えていた少女に与えられた多くの絆。
 レイは自分一人だけの幸せよりも、皆と一緒に幸せになる事を選んだ。
 ……誰よりも絆を大切にし、絆を失う事を恐れるが故に。
「……そうか。」
 諦念を篭め、ゲンドウは溜息にも似た納得の言を吐いた。
「さよなら。」
 右手を下ろしたゲンドウに向け改めて別れの言葉を投げたレイは、宙に浮き上がり後ろへとずんずん引き寄せられてゆく。
 七つ目の仮面を被せられた白い巨人に。
「レイ!」
 巨人の腹部のぶよぶよの腐肉にレイの身体が沈み込む瞬間、
「幸せに、な。」
 鼓膜を微かに震わせた祝福は、彼女に透明感のある微笑みを浮かべさせた。


 破壊された消火栓が流し続ける莫大な水は、いつしか街の一角に小さな人造の湖を作り上げていた。
「かかったな。」
 追われていた筈の金髪美女が、その湖の真ん中で足を止めて不敵な笑みを口元に浮かべると同時に、のこのこ追撃して来た2人の爺顔の青年の足下から沢山の噴水が彼らへと襲いかかる。
「ぐはあああああ!」
 それも、ただの噴水では無い。
「ぎゃあああああ!」
 一本一本が数万気圧もの水圧をかけられた水の糸で編まれた大瀑布の不意討ちだ。
 ダイヤモンドを削り鋼鉄に穴を穿つ水の弾丸の雨霰の奇襲を受け、戦い慣れないゼーレの爺達のATフィールドは展開が間に合わず、全身を貫かれて悶絶した。
『三流以下だな。……まだ新兵の方がマシだ。』
 カティーの台詞と気配の変化に気を取られ過ぎたが故に。

「がはっ!」
 マナを攻囲している3人の爺顔のうちの1人の胸から、突如黒い刀身が生えた。
「お待たせっ!」
 紅いプラグスーツに身を包んだミサトが何処からか調達してきた“黒剣”が、背中から彼を貫いたのだ。
 スパッ! スパッ!
 更に夜陰に紛れて光学迷彩で隠密接敵したヒカリが、光鞭を残りの爺の右手首に巻きつけて持っていた黒剣ごとあっさり斬り落とす。
 形勢は、コロリと逆転した。
「ありがとう、みんな!」
 完全に破綻した連携の隙を目掛け、マナはようやく再び使えるようになった加粒子砲を最大出力で発射する。
「うあわああああああ!!」
 直撃を受けた青年の化けの皮が焦げ、特殊メイクの老人の仮面が溶け剥がれる。
 それに留まらず、次の刹那には全身が松明と化し、一気に炭化した。
 残る一人の運命は、風前の灯と言えた……。

「す〜ぱ〜ハルナちゃんぱ〜んちっ!」
 ドゴオオオンンッ!!!
 エヴァ・パペット初号機と弐号機を倒し、地上を暴れ回っていたウナギ頭の巨人は、それを見かねた小柄な女の子から顎に鉄拳制裁を食らって空中高く舞い上がった。
 ……全高40mの巨人が、身長が150pも無い女の子に、である。
 殴った反動で空中をくるくる回転したハルナは、ビルの瓦礫に膝をクッションにして着地し、また再び凄い勢いで跳躍した。
「す〜ぱ〜ハルナちゃんき〜っく!」
 ズゴオオオオンンッ!!!
 更にもう1体の巨人が腹を蹴り飛ばされ、くの字になって先に飛ばされていた巨人の後を追う。
「す〜ぱ〜ハルナちゃんび〜むっ!」
 カッ!!!
 止めに女の子の目が光り輝き、夜空高く飛ばされた2体が十字架型の爆光に包まれる。
 なりが比べ物にならないほど大きかろうが、剣呑な特別製の武器を持とうが、しょせん浅知恵で作られた人造の偽天使には、真の天使の魂を継ぐ少女の本気を凌ぐ事などできなかったのだった。
「ショウコおねえちゃん、だいじょうぶかなぁ……ぶじだといいけど………」
 ゼーレの老人達の計算を遥かに超えた、怒れる使徒っ娘の実力を……。


 妹のハルナが最後の白い巨人の体内に埋め込まれたコアに光り輝くパイルを突き刺して葬り去っているのを横目で見ながら、姉のカスミは黒曜の髪をひるがえして老人の仮面を被った青年2人が振り回すドス黒い剣を難無く躱していた。
『こいつら……確かに強え。基礎のスピードもパワーもワイとは段違いや。』
 後ろで避けた斬撃が生んだ衝撃波がビルをあっさりと寸断する轟音を聞きながら、カスミは脳内で敵の戦闘能力を分析する。
 基礎能力だけで見れば、ゼルエルの魂を継ぐアスカすらも上回ると。
『やが、あの肩に11って書いてるジジイ…狙う場所を目で見とるし、08ってジジイは毎回攻撃が大振りやから、子供でもどこ攻撃するか分かるってもんや。』
 しかし、相手の狙い所が予測し易過ぎ、更にフェイントすら見え透いてると来ては、余程とんでもない実力差が無ければ命中するものではない。
 しかも、
『それに連携も悪い。……ホンマ、なっとらんやっちゃ。』
 カスミが正面にいる11の爺が生み出した光輝く矢の雨を間一髪避けると、彼女の後ろから斬り込んで来た08の爺に当たりそうになる。
 慌ててATフィールドを防壁状に展開して流れ弾に対処する08の爺だが、その隙を突かれ、シズクが口から霧状に吹き付けた溶解液を頭から浴び、マユミが右手に生み出したシャムシエルの能力をコピーした光鞭で袈裟懸けにされてしまった。
 残った11の爺の方も……
『オマケに、集中ってモンを知らん。惣流や霧島の攻撃に比べたら、こいつらの攻撃なんぞハエが止まってるようなモンやで。』
 攻撃と攻撃の間に横たわる隙間を通され、カスミに腰の捻りを効かせた拳を胸板深く抉り込まれてしまっていた。
 避けるのは無理そうだと悟った爺仮面は、タブリスの強力なATフィールドを八角形の障壁として実体化させて防ごうとしたが、カスミが拳法の要領で全身の引き絞った腱が伝達する筋肉の収縮力とATフィールドの力を束ね、命中する瞬間に筋力と意志力を炸裂させると、いともあっさりと打ち貫かれてしまったのだ。
「な、何故だ! 我々の力をもってすれば、ラミエルでもゼルエルでもタブリスでも確実に滅ぼせると言うのに! 何故、何故バルディエル如きに!」
 計算外の結果にうろたえ、わめくが、わめいた所で現実の結果は変わらない。
「それが敗因や。」
 拳がめり込んで軋みを上げている爺のコアに、カスミは全身の細胞から集めた生体電流を直列繋ぎにして叩きつけた。
 己が持つ使徒の力をより有効に発揮できる“技術”を練磨してきたカスミ達と、高性能なのは確かだが使い慣れない兵器を工夫も無く使っているゼーレの老人達。
 しかも、自分達の能力の高さに胡座をかいているのか、それとも根本的に習熟期間が足りなかったのか、爺仮面の戦闘技術はせいぜい基礎の基礎……元々タブリスが持っていた技巧ですらも活用し切れていない者が多かった。
 ここまで揃えば勝敗の行方は、おのずから明らかである。
 そして、ゼーレのもう一つの誤算は、彼女らの基礎能力の方も毎日のように行なわれていた特訓で鍛えられ、全般的に能力が向上していた事だった。
 裏死海文書の預言から導き出された予想戦力水準を、遥かに超過してしまうほどに。



 バシャァァァァァン!!
 腰斬されて上半身だけになっていた白い巨人から失われていた下半身が生え、釘で打ちつけられていた両掌を無理矢理引っぺがして紅い水面に着水する。
 自ら流した血の海……LCLの湖に。
 右手を胸に当ててレイとは真逆に体内から押し出した何かをそっと掴み、白い塩の小島で成り行きを見守っているゲンドウの前へと前屈みになって“それ”を置く。
「ユイ……」
 今までリリスの中に留まり、エヴァによる身体の崩壊を防ぎ止めていた彼の妻を。
 身を起こした白い巨人から七つ目が描かれた仮面が肉を引き千切って剥がれる。
 その下に隠されていた素顔は、レイのものだった。
 ……いや、レイとの融合によって“そうなった”と言う方が正解だろう。
 肌だけでは無く髪の毛まで病的に白い巨人の闇を湛えた眼窩に仄暗く灯る赤い光が、赤い瞳へと姿を変えると同時に、巨人の手足は劇的に縮み始めた。
 ぶよぶよだった腐肉の手足はヒトの大きさへと凝縮されるにつれて張りのある色艶を取り戻し、のっぺりした白でしか無かった髪は青銀色に染まる……レイの髪の色に。
 白磁の柔肌に微かな暖かみが脈動し、作り物めいていた端正な顔が緊張に引き締まる。
「碇君。」
 一言の呟きが生み出した光が全裸のレイの身体を包み、蒼い戦鎧となって具現する。
 ……零号機にも酷似している鎧を。
 刹那、水面に佇んだレイがチラとゲンドウ達に視線をやってから、真上へと飛び立つ。
 彼女の愛しい人と愛すべき仲間達が戦っている場所へと向かって。
 その勇姿を見送ったゲンドウは、目を覚まさない全裸の妻の身体を両腕に抱いて呟く。
「レイがああ決めたなら、私も覚悟を決めねばなるまい。」
 と。



 白く輝くハルバードを手に、カヲルは黒剣を手にしたキールと対峙していた。
「残るは貴方とあのメシアとやらだ。覚悟を決めて貰うよ。」
 身体能力とATフィールドの強度は互角。
「何でも思い通りになると思わない方が良いぞ。」
 ただし、キールの手にあるロンギヌスの槍のコピーは、アダムとリリスを除けば使徒最強を誇る強度のタブリス…カヲル…のATフィールドを易々と切り裂ける。
 だが、それはカヲルがATフィールドを物質レベルまで凝縮して生み出したハルバードにも同じ事が言えた。
 キィィィン!
 が、それも漫然と展開している場合に限られる。
「何?」
 魚の鱗ほどの大きさに凝縮展開されたATフィールドでカヲルの大振りな攻撃を受け止めたキールは、腰を薙ぎ切ろうと黒剣を水平に振るう。
「おっと。」
 後ろに飛ぶのを避けて飛び上がる背後でビルの破片が衝撃波で砕かれる音を聞いたカヲルは、追い打ちを阻むべく左手でATフィールドをハエ叩きの如く振り下ろす。
 これも黒剣が迎え撃って斬り砕くが、その間にカヲルは空中で体勢を立て直していた。
「さすがはキール議長、他の方々とは一味違うみたいですね。……でも。」
 その台詞が吐かれると同時に、キールの脳天は背後から飛んで来た衝撃波に呆気無く砕かれ、スイカ割りのスイカの様に血と脳漿をぶち撒けて倒れた。
「でも、“メシア様”が放った流れ弾にまでは気が付かなかったみたいですね。」
 身体には不似合いな老人の顔した仮面と視力補正バイザーを朱に染めて。


 戦況は不利だった。
「な、なんとかここで食い止めないと……」
 ネルフ本部を襲撃して来た少年達よりも、確かにマヤのATフィールドの方が強い。
「あうっ!」
 だが、有利な点はそれだけと言っても過言では無かった。
 マヤと言うかサハクィエルの得意攻撃はATフィールドによる重力操作。
 無重力化、高重力化、圧壊などを引き起こす技だ。
「やっぱり……」
 しかし、残念ながらこの攻撃はATフィールドを展開できる相手に対してはそれほどの効果を持たなかった。
 今回ネルフ本部1階ロビーの壁に食い込むまで吹き飛ばした5人の少年達も、手の武器さえ離さぬまま平然と立ち上がって来る。
 かと言って、まともに戦ったとてマヤが軍人としての嗜みで修得している護身術程度が通用する相手でも無い。拳銃を持ち出してみても彼我の戦闘力の差を埋めるには全然足りない。基礎の身体能力にもATフィールドの強度にも決定的な差が無いなら、人数が多く技量も高い少年達の方が有利なのは自明の理だ。
 絶望感が心を蚕食し、避け切れ無かった凶刃が浅手を玉の肌に刻んでゆく中で、それでもマヤは自ら決めた持ち場を死守し続けていたのだった。


「もう止めようよ。残ってるのは、もう相田君だけだよ。」
 角度を変えて3重に張ったATフィールドで致命的な斬撃が身に届くのを僅かに遅らせる事でケンスケが放つ連突きを辛うじて躱しながら、シンジは停戦を呼びかけていた。
「お前こそ、いい加減死ねよ。この女誑しの大悪魔がっ!」
 しかし、そんな態度はますますケンスケの逆鱗に触れ、返答代わりにロンギヌスの槍の刃がシンジの掠れた12枚の光る翼目掛けて袈裟懸けに振り下ろされる。
 その槍尖を手に現した白く輝く片刃長剣で横から叩いて逸らし、ケンスケの内懐へと斬り込むシンジ。だが、ケンスケは槍身を擦り上がって迫って来る刃をATフィールドをシンジに叩き付けた反動を使いバックして躱す。
 勢いが殺されて空中で止まったシンジに向けて、ケンスケが虚空に生み出した白い光の矢が四方八方から逃げ場無く殺到する。だが、命中する直前にシンジの姿がぶれ、輝きの豪雨は全部通り過ぎてしまう。
「くそっ! どんな手品使ってるんだよ!」
 マトモに一太刀も入れられない事にイラつきながらも、肩で荒い息を吐き始めた怨敵の姿に、内心で自らの勝利を確信するケンスケだった。


「こっちより本部とシェルターの方がヤバイわね。カティー、何人か連れて応援に行ってくれない?」
 老人の仮面を被った黒剣使いと人造使徒のウナギ頭した白巨人を何とか葬り去って一息入れられるようになったところで、ミサトはピンチに陥ってるだろう本部基地に余裕が出た分の戦力を回すよう指示を出した。
「分かった。ハルナ、ヒカリ、スズネ、シズク、カスミ、一緒に来てくれ。」
 いや、正確には余裕では無い。
 それは、複製品の槍など問題にならないほど強力な威力で大気を裂くロンギヌスの槍のオリジナルを振るうゼーレのメシア様を相手にするには無謀に過ぎるATフィールド出力しか持たない者を有効活用する為の方策であった。
 ……まあ、厳密に言えば一応残留組のミサトも、その意味では役者不足なのだが。
 手っ取り早い垂直移動手段として槍が開けた大穴に飛び込んだ6人を見送り、ミサトは残った全員に発破をかける。
「後は、あのクソガキ締め上げれば終わりよ! 気合い入れてくわよ!」
 徐々に押され始めてしまっている皆の恋人を助太刀する為に。


「S−653通路、第5隔壁A破壊されました! 第5隔壁B閉鎖!」
 返り血とオイルと爆炎で黒く煤けた純白だったプラグスーツに身を包んだ少年の姿をした殺戮兵器達が織り成す破壊の交響曲が、発令所のオペレーター達の悲鳴じみた報告を引き出してゆく。
「S−435通路、第4隔壁B突破されました! 第5要撃帯域起動!」
 今や最重要施設に指定された民間人を収容した避難シェルターに続く通路を、
「本部第3層Fブロックに侵入者!」
 本部基地のジオフロント地表に近い階層を、数々備えられた防衛設備を木っ端微塵に撃砕しながら伸し進み。
「第356シェルター、避難進捗率35.5%……このままでは間に合いません!」
 電磁コーティングを施された厚さ30pのハイパー・チタニウム複合装甲の隔壁を僅か数太刀で斬り破りつつ、逃げる事も叶わぬほど迅速に駆けてゆく擬似チルドレン達。
「天蓋部北部トラップゾーンを突破されました! 恐らく第12旅団です!」
 かてて加えて、麻薬と流血に狂った凶賊と化した軍隊だったモノが、仲間の屍を乗り越え、あるいは盾にして突き進んで来る。
「S−356通路、第6隔壁A突破されました! 第6隔壁B閉鎖!」
 戦闘員も一般人も関係無く、生きとし生けるもの皆全てを殺し尽くす為に。
 与えられた命令を愚直なまでに忠実に堅持して。
「保安部が反撃許可を求めてます!」
 ただ待つだけの戦況に堪えかねたのか積極的応戦論の上申が聞こえて来たが、何時の間にか戦闘指揮まで済し崩しで任されてしまっているリツコは冷静に却下した。
「保安部は民間人の避難が完了するまで現状位置を死守。命令に変更は無いわ。」
 第10隔壁の前、つまりは避難所の前を動かず敵を迎撃せよ……と。
「しかし……」
「これ以上無いほど大事な任務よ。」
 現場からの突き上げに押されて異論を挟もうとする日向に対し、リツコは改めて首を横に振る。
「S−677通路、第5隔壁A破壊されました! 第5隔壁B閉鎖!」
 ATフィールドを纏ったアーミーナイフに堅固な防壁を厚紙を裂くが如くあっさりと破られてしまうが、すかさず予備のシャッターが下りて人型生体兵器の行く手を阻む。
「ところで、何で最初から両方とも下ろして置かないんです?」
 わざわざ時間差で閉鎖する理由を日向が問う。
 主隔壁と予備隔壁を同時に下ろせる構造にしてあるのに何故、と。
「マギの計算で、両方合わせても一発で貫通されると出てるからよ。」
 それへの回答は、明確なだけに身も蓋も無かった。
「……なるほど。時間稼ぎってヤツですね。」
 二重の隔壁の強度にリツコの…つまりはイロウルの…ATフィールドの力を加算したとしても一撃で破壊されてしまう事には変わり無い。ならば、何度も破壊を強要した方が時間が稼げるのだと。
 そして、時間を稼ぐ理由は一般市民を逃がす時間を稼ぐ事の他にも、もう一つあった。
「ええ。ミサトにこっちの状況は伝えてあるんでしょ? なら、必ず援軍を寄越すわ。」
 敵主力の迎撃に出ている親友がこの苦境を聞いたら、何は無くとも援護を向かわせるだろうと確信していたのだ。
「信頼…してるんですね。」
 良くも悪くもそういう性格なのだと分析しているが故に。
「腐れ縁なだけよ。」
 そんなミサトの行動に付き合わされて今まで散々苦労して来たし、全面的に賛成できもしないのだが、こんな時には妙に頼もしいとリツコは苦笑を漏らした。


「みんな! 一斉に攻撃するわよ、良い!」
 両手に敵から奪った黒剣を1本ずつ携えたミサトが、シンジと交戦中のケンスケを見据えて音頭を取る。
「はっ!」
 現職の下士官でもあるマナは短な返事。
「何時でも良いわよ。」
 真紅のプラグスーツに身を包んでいるアスカが、朱金の長髪を翻して元クラスメイトの憎らしい顔を睨みつける。
「分かりました。」
 眼鏡越しに見える相手に対してどんな攻撃が有効だろうと思案するマユミは、結局初撃は他の使徒の中でも最大の砲撃威力を誇るラミエルの加粒子砲をコピーする事に決め、荷電粒子プラズマの加速を始める。
「集中攻撃は良いねぇ。リリンが生み出した戦術の極みだよ。」
 他の全員が飛び道具を用意してるのを見て、カヲルもまた飛び道具で攻撃するべく、自分のATフィールドを凝縮した投げナイフを左手に具現化させて構える。
「……今よっ!」
 シンジと間合いを空けて体勢を立て直そうとしているケンスケに向かって、号令と共にミサトの右手が黒剣を投げ付ける。
 マナとマユミが息を合わせて放った加粒子砲の光条が螺旋を描いて絡まり合い、ケンスケへ向け一直線に突き進む。
 カヲルが左手首の捻りで手にしたナイフを投げ放ち、自分のATフィールドで更に後押しして意志力の白刃を猛加速でケンスケへと突き進ませる。
 ミサトが投擲した柄の両方に刀身がついた黒剣が、ケンスケが展開した八角形の光壁に触れた瞬間捻れて変形し、穂先が二股に分かれた槍へと変じて防壁を突き抜ける。
 アスカの双眸が輝き、加粒子砲とナイフと槍がことごとく直撃したケンスケの全身を十字架型の火柱となった白い閃光の向こう側へと消し去る。
 だが……



 最愛の妻の身体をここまで乗って来たエヴァ・パペットのエントリープラグに委ね、碇ゲンドウはターミナルドグマに広がるオレンジ色の湖に浮かぶ護衛艦“ひえい”の後部飛行甲板に駐機してあった観測ヘリコプター“バット”の操縦席に滑り込んだ。
「……良い仕事をしているな。」
 目立った異常が無いと判断しイグニッションを捻ると、高出力の電動モーターが唸りを上げてローターを回す。
『待っていろ、シンジ。』
 ほどなく充分な揚力を得たと見るや、ゲンドウは操縦桿を静かに引く。
 己が成すべき事を成しに行く為に。


「かはっ……」
 マヤは短めで揃えた黒髪を汚して流れ落ちる血で塞がっていない右の瞳で自分の左胸を三叉槍が貫いているのを見詰めながら、血と一緒に肺に溜まっていた空気を吐き出す。
『……もう、駄目かも。ごめんなさい、シンジ君。』
 コアへの直撃だけは身体を捻ってどうにか避けたのだが、代わりに左肺を潰され、左の鎖骨まで折られてしまった。
 こうまで酷い負傷を受けてしまっては、傷を塞いで治すどころか、次に襲いかかって来るだろう攻撃を凌ぐ力すらも無い。
 せめて止めを刺しに来た瞬間を狙って自爆し、自分と戦っていた5人だけでも道連れにしてやろうと残された右眼で金髪碧眼の白人少年が振り上げた剣を睨んだ時、冗談のように乾いた音を立てて剣がカランと床に転がった。
「え? ごふっ!」
 全身にべっとりと浴びた何か分からない飛沫の中に、驚きに触発された吐血が混じる。
「まだ生きてる?」
 抑揚の少ない問い。
 マヤは、その声にとても聞き覚えがあった。
「レ…イ……」
 マヤの乳房を抉っていた耐え難い熱さが一瞬強まり、鈍い痛みへと変わる。
 次いで聞こえる乾いた金属音。
「じゃ、行くわ。」
「あり…が…と……」
 足早に立ち去ってゆくレイの鼓膜が、切れ切れに紡がれたマヤの礼を捉えたかどうかは分からない。
 ただ、マヤが再び目を開けられるほど回復した時に、ネルフ本部の1階ロビーの床に歪なカタチをした水溜りと放置された血塗れの武器が5つあった事は確かだった……。



 だが、流石に無傷では無いにしてもケンスケは健在で、両の足で削り取られた丸岳の山腹を踏み締めていた。
 額に突き刺さっていたナイフはガラス細工の様に脆くも砕け散り、腹に深々と刺さっている複製の槍は、真の槍が放つ波動に耐え切れず塩の塊となって風化する。
 あまつさえ恒星内部にも勝る高温で灼かれて焼け爛れた全身の火傷も、瞬く間に治ってしまった。
「S機関による超回復……いや、寿命を縮めてまで限界以上の能力を発揮しているようだね。……信じられない事をするね、リリンは。」
 カヲルの分析を無言で肯定したケンスケは、激烈な敵意と憎悪を込めた視線で自分に攻撃してきた5人の女性達の全身を上から下までねめつける。
「優しくしてりゃ付け上がりやがって! 良いよ! そっちがその気なら、お前等も皆殺しだ! 立ち上がれ、俺様の下僕! その売女どもをぶち殺せ!」
 ドス黒い怨嗟に満ちた狂気の呪いを叫びに変えて吐き出し、ケンスケは背から禍々しい金色の輝きを放つ4枚の鋭角な翅翼を生やす。
「なんて酷い……」
 狂猛な金の輝きに照らされた地面に生えていた草花は枯れて灰となり、逃げ遅れて巣の奥で震えていた野ネズミや小鳥達などの小動物達は見る見る痩せ細って白骨と化した。
「うえっ!! 何アレ! 気持ち悪い!」
 そして、ドス黒く変色した粘つく地面と水面から立ち上がって来る、あちこちから腐汁を垂れ流すゼーレの老人達の仮面を被っていた死骸が12体。
「みんな! 見物してる暇は無いわ!」
 ミサトの叱咤で我に返った面々は、ミサトが撃った紅い熱光線に続いて手持ちの火力をありったけゾンビ爺達に注ぎ込んだが、攻撃の全ては死骸に新たな傷を増やすだけで一向に効いた様子が無い。
「そういう事ならっ!」
 ゾンビに攻撃が効かないならとマナは術者へ直接砲撃を加えるが、プラズマの奔流はケンスケの手に握られた槍の穂先に真っ二つに割られてしまって傷一つ与えられない。
「ぬわんて、インチキっ!」
 一方、猛攻撃に切り刻まれ、焼かれ、貫かれまくってる老人達の死骸は、内蔵やら血管やら脳漿やら目玉やらをはみ出させたままドンドン筋肉が怒張してゆき、それにつれてカヲルの面影を残していた容貌がさっきまで被っていた仮面に合わせた老人のそれへと無惨に変貌してゆく。
「ははははははっ! 見ろ! これが神の! 正義の力だぁっ!」
 自分達が降り注いでる攻撃の雨霰の向こうで膨らんだ殺気を感じて、
「拙いわ! 散って!」
 ミサトが警告を飛ばしつつクレーターに流れ込んだ芦ノ湖の水に飛び込むのとほぼ同時に、老人達が振りかぶって下ろした腕の延長線上にATフィールドの刃が走る。
 次の刹那、逃げ遅れたカヲルの右足が太股からばっさり斬られて宙に飛んだ……。



 街灯がことごとく壊れ、月明かりと星明かり…そして、遠くに見える戦火が頼りの夜闇の中、血と泥に汚れた迷彩服姿の男達は、血走ってギラつく瞳で“それ”を見た。
「やった……やったぞ……」
 第3新東京郊外に広がる、静まりかえった市街地を。
「ようやく抜けたんだ……」
 強羅絶対防衛線に設けられていた執拗なまでの対人迎撃兵器と、悪意に満ちた数々の仕掛け罠を徒歩だけで強硬突破して。
「行くぞ。任務はまだまだこれからだ。」
 お国の出した命令に従い、テロリスト全員を殲滅する。
「はっ!」
 それが、彼等、第7師団を含む戦略自衛隊員に下された命令であった。
 例え、どう見ても一般市民に見える人間だったとしても。
 残弾の乏しさを心細く感じながらも進撃を再開して、無人になった住宅地の路地を歩いている時、
「ぐああああああああ!」
 月明かりが生んだ家の影に、男の身体が減り込んだ。
「石輪! うわあああああ!」
 いや、徒党を組んでいた男達全員の身体が黒い平面に吸い込まれて消えた。
 まるで、最初から何も無かったかの如くに。

 そして、何時の間にか何処かの道端に倒れていた。
「ここは……どこだ?」
 他の同僚達と一緒に。

 ヒトの目では白く染まって見えるディラックの海の中、黒髪を2本の三つ編みにまとめた小柄な女の子は、新横須賀市……つまり、旧小田原市の郊外に戦自隊員達を放り出してすぐ、次なる敵の迎撃に赴くべく第3新東京空域へと戻って行った。
 放り出した戦自隊員を回収して貰えるよう連絡するのを発令所に任せて。
 だから彼女は、その時は気付かなかった。
 戦自の幹部がネルフ側の言う事を全く信用せず罠だと思って迎撃しようとした為に、彼女が放り出した二千人以上の兵士が、戦闘前に受けた麻薬と暗示に突き動かされるまま新横須賀市に駐屯していた第7師団の後方支援部隊と一般市民に襲いかかって血みどろの大虐殺を繰り広げてしまう事を……。
 そして、次に相手をする第12旅団でも同様の事件が起こってしまう事を……。



「そら、死にやがれ!」
 ケンスケの命令一下、右足を失って地面に倒れ伏しているカヲルに向けて、今や筋肉ムキムキに変貌した腐肉の老人達が歯を剥き出して殺到する。
 老人の顔だと言うのに妙に鋭くキラリと光る歯をカチカチ鳴らし、ピンク色にヌメヌメ光る舌から腐汁混じりの黄色いよだれを垂れ流しながら。
「危ない、カヲル君!」
 そんな老人達からの熱烈過ぎる抱擁とベーゼに掴まえられてしまう前に、間一髪でシンジはカヲルの左腕を掴んで引っ張り上げ、夜空に血の虹を描く。
「助かったよ、シンジ君。」
 空中で両腕に抱き直されたカヲルは、顔色までプラグスーツと同じ青に染めながら切り落とされた右足を再生した。
「あれは、まさにリリンの生み出した醜悪の極致だね。」
 心底嫌そうに元は自分の分身だったモノを見て呟いたカヲルは、名残惜しげにシンジの腕の中から身を起こして自力で空中に浮かぶ。
「くっそ〜! ちょろちょろしやがって! いいさ! 今度は避けられないように撃ってやる!」
 4枚羽根を広げて飛び上がったケンスケの周囲に12体の動く死骸が円陣を組み、大きく腕を振り上げて、眼下を見据える。
 もはや迎撃戦闘機能を失い、電気の供給が止まって灯りが絶え、所々にクレーターが開いて水が溜まり、ビル群が倒壊して瓦礫の小山と化している第3新東京市の街並みを。
「死に…やがれえぃっ!!」
 そして、その中心にぽっかりと開いた真っ暗な縦穴を。
「止めてよっ!!」
 直下に向かって放たれた13本の衝撃波の前に転移したシンジは、己のATフィールドを全力展開して地を襲う筈の“死”の波動を全身で防ぎ止める。
 しかし、街にもジオフロントにも攻撃を1発も落とさなかった替わりに、シンジの頭から血がしぶき、左腕が肘から有り得ない方向に捻れ、右肩が抉れて腕がプラプラぶら下がり、脇腹が抉れて腸が腹腔内の圧力で飛び出していた。
 また、両膝が砕かれて有らぬ方向に曲がり、あまつさえ左足の足首から先が吹き飛ばされて無くなり、背の12枚の光翼も傷付き破れてボロボロにされてしまっていた。
「思った通りだったよ、シンジ。ゴキブリみたいに逃げ回るお前に攻撃を当てるには、こうするのが一番だってな。」
 そんなシンジを優越感に浸って見下ろし、次なる攻撃の力を溜めるケンスケ。
 だが、ようやく良い気分になった彼の余裕ある態度はすぐに崩れた。
「相田君……君は、なんて可哀想な人なんだ。」
 彼を見るシンジの瞳に、純粋な哀れみが満ちているのに気が付かされて。
「なんだよ、それ! 俺のどこが可哀想なんだよ!」
 シンジの放つ弱々しいオレンジの光が広がり、ドス黒く変色していた地面や水面は豊穣な黒土や澄んだ水へと変わる。また、枯れた草花の替わりに新たな緑が芽吹き、白骨化した小動物達は風化して土に還ってゆく。
「ゴメン、相田君。僕の存在が相田君をそこまで傷付けていたなんて……」
 この後に及んでも向けられてくる哀れみといたわりは、憎悪や怨嗟や怒りよりもなおケンスケの心を鋭く抉る。
「少しでも済まないって思ってるんなら、死んで詫びろ!」
 これ以上は聞きたくないとばかりに再び降り注ぐATフィールドの凶刃は、今度はシンジの前に飛び込んで来た影達にぶつかって止まった。
「こ…これであの時の借りは返したわよ。」
 両腕が付け根から折れ飛んで朱金の長い髪と真紅のプラグスーツを大量の鮮血で染めているアスカと、
「シンジ君……良かった……」
 背骨が腰の部分でへし折られた激痛の嵐の中、それでもシンジに攻撃が当たらなかった一事だけで微笑みを浮かべているマナと、
「ちょ…ちょっち、ヘビーだったわね。」
 衝撃波に両腕と両足をぶつけて粉々に砕かれても威力を相殺し切れず、仕方なく身体を張って止めた結果、右胸に風穴が開いてしまっているミサトさんと、
「シンジさ…ん……」
 直撃をマトモに食らって手足と胴体と頭部がバラバラになり、レンズが砕けた眼鏡と一緒に湖に落ちていったマユミと、
「結構堪えるね、これは。」
 右腕と胴体半分吹き飛ばされながらも、口元に皮肉な笑みを浮かべたカヲルと、
「碇君は私が守る。」
 纏った蒼い鎧に亀裂が走り、首や手足が有り得ない方向に折れ曲がっているレイとに。
「みんなっ!」
 ちなみに、普通の人間なら完璧にアウトなダメージであるが、コアへの直撃は全員が何とか免れたので一応ながら生命に別状は無い。
「これでも、俺が可哀想かよ! え!」
 手加減全く抜きの攻撃を再び用意しながら吼えるケンスケへと向けられるシンジの視線に宿る憐憫の念は、憎悪に変わらず寧ろ強まった。
 ……確かに大事な人を傷つけられて悲しいし苦しいのだが、ここに来て色々な人に出遭えなかったら、もしかしたら自分もこうなってしまっていたのかもしれないと痛ましく感じてしまい、怒りが全くと言って良いほど湧いて来ないのだ。
「相田君は可哀想だと思うけど、僕にも守りたい人がいる。譲れない事がある。……だから、みんなは僕が守る!」
 だが、そうだからと言って、ここで道を譲ってしまう訳にはいかない。
 背中に守りたい人達がいるのだから。
「やってみろよ! やれるもんならな!」
 死から甦らせた腐肉の下僕12体が周囲から狩り集めた力を束ねたケンスケと、
「お願いだよ……みんな、力を貸して……」
 みんなを包むATフィールドで受けた怪我の痛みを和らげながら、互いの力を循環させて力を高めてゆくシンジの力は、今にも激突しようとしていた。
 息詰まる視線の対峙が続く中で……。



 決戦が続いている第3新東京から遠く離れた地球の何処か。
 カヲルの予備クローン・ボディに人格転写した操り人形とのリンクが切れ、事前に服用していた睡眠導入剤の効果も切れていたキールは、身体を優しく抱き止めている柔らかな羽毛布団からガバッと跳ね起きた。
「いかん!」
 寝る前に用意させておいた壁一面を占めるプロジェクターテレビが映している映像を見て、キールは急いでベッドサイドに置いてある通話システムのスイッチを捻る。
「メシア様。」
 指向性の高い電波をゼーレ専用回線の人工衛星を使って照射し、受け取り側の能力を利用して黒い石版として結像させる。
「なんだよ。」
 水を差されて不機嫌になるほど素直に憎悪をたぎらせている最強の手駒に、伝えておくべき事を教えてやる為に。
「その青い鎧の女……“それ”がリリスの化身です。」
 箱根地下に埋まっていたジオフロントで発見されたモノ……リリス。今や全き姿を取り戻したファーストチルドレンがそれである事を、キールの脳に未だ残るカヲル・コピーとのリンクの残滓が悟らせたのだ。
「綾波がか!? ……解っ」
 ブツッ!
 急に途切れてしまった音声に通信が何らかの手で断ち切られたのを悟り、キールは忌々しげに壁に映り続けている画像を睨みつけた。
「碇の部下の仕業か。……まあ、良い。必要な情報は伝えた。後は祈るだけだ。我等のしもべ“メシア様”の勝利をな。」
 勝てるなら良し。勝てば“メシア様”に仕込んである仕掛けを使って、サードインパクトを好きなように起こせる。また、万が一負けたとしても、刻みつけてある聖句を介して聖槍を動かして疲弊し切ったサードチルドレンを葬り去れば、後は我等の思うがまま。
 数手先の“詰み”を確信して、キールは生きた死骸と化した自分の精神の複製が送って寄越す映像に向けた視線から力を抜く。
 口元に薄ら笑いを浮かべて。



 ジオフロント地表と第653シェルターを直接結ぶ通路、S−653。
 その第10隔壁前にネルフ本部保安部普通科連隊第4中隊第5小隊は、4両の装甲支援車“ドルアーガ”を2列に並べて通路を塞ぎ、欠員3名を除く隊員37名全員が重装防護服“ギルガメス”を着込み、遠くから刻一刻と近づいてくる破壊音に息を呑んでいた。
「諸君、我々の任務は一秒でも長くここを守る事だ。各自、電磁バリアを最大にして、待機せよ。」
 敵は化け物だが、幸いにも対戦車ミサイルの直撃すら防ぎ止められるギルガメスの電磁バリアは、本部施設内では無線電力供給システム“カイ”のおかげで使い放題である。
 隔壁を一撃で破る攻撃に対しても、当たり所が悪くなければ一発で致命傷を受けないで済む見込みは充分にあった。
「はっ!」
 仲間達の悲愴感と使命感に溢れた返事は、背中に家族の命を守っているが故か。
 ……このシェルターそのものにいるかどうかを確認する術は無いが、どれかには避難しているのは違いないのだ。
 そして、希望もある。
「援軍が来るまでの辛抱だ。焦って死に急ぐな。」
 今まで肩を並べて市民を護ってきた守護女神達。彼女らが来てくれたならば、自分達では身を盾にして時間を稼ぐ事しかできそうもない化け物でも退治できるに違いない。
 ──長くても半年に満たない期間ながら、熾烈な戦闘を共に戦い抜いてきた信頼感は兵士達の心の中で信仰じみた域にまで育っていたのだ。
「小隊長殿、援軍は本当に来てくれるんでしょうか?」
 横合いから聞こえてきた気弱な声に小隊長を務めている三等陸尉殿は『軍法会議ものだぞ』と言わんばかりの呆れた声ながらも、無理からぬ事と苦笑交じりで答えて下さる。
「司令部から連絡があった。今こっちに向かっているそうだ。」
 それはもう、自信たっぷりに。
「おおっ!」
 悲愴感が和らぎ、希望が広がる。
 肝が据わり、全身の毛穴が開く心地がする。
 ガシュッ、グシャッ…と、着々と近付いて来る破壊音と耳慣れない足音を頼りに、妙にクリアになった頭を回転させて敵の居所を掴む。
 足音は…2……いや、3つ。
 距離は……第8…いや、第9隔壁の向こうか。
 早鐘を打つ自分の心臓の音が煩いが、我慢できない程では無い。
 うっすら汗ばむ両手で銃剣付きの89式小銃を持ち直し、前を見据えてその時を待つ。
 審判の時を。
 ガッ!
 ブシャアア!
 ひときわ大きな音を立て、斧の刃がチタン合金の隔壁を突き破った。
 だが、直後に聞こえた鈍い音は何だろう?
 口を細くしたホースから水をぶちまけるような……いや、あれは……
「お〜い、無事?」
 !
 この声は……“双天使”の秋月スズネ!
 助かった!
「はっ! 全員無事であります!」
 おひおひ…嬉しさのあまり三曹殿に敬語使ってるよ、三尉殿。
 気持ちは解るけどね。
 ついさっきまでの重苦しい雰囲気が払底された歓声溢れる通路に立ち、俺もまた咽喉の奥から溢れて来る喜びを思う存分解き放ったのだった。
 生き残る事ができた喜びを。

 しかし、第677避難所では……
 このシェルターとジオフロントを直接繋ぐ唯一の通路S−677に続く隔壁の向こうから、濡れた布か何かを堅い物に叩きつける音や金属の塊を無理矢理軋ませる耳障りな音が響き渡る中、恐慌に陥る寸前の一般人達に向け、1人の女性が落ち着いた声で告げる。
「皆さんは避難を続けて下さい。ここは私達が防ぎます。」
 自動拳銃を手にチタン合金製の隔壁の左右に訓練された動きで背中を預け、敵を待ち構える2人の女性達。市民達を鎮めた女性と同じく警官の物に似たデザインの紺の制服を着ているが、僅かな違いが示す通り、彼女らは警官では無く警備員だった。
 もっとも、コンフォート17マンションを常駐警備しているネルフ職員なので、民間人と言う訳でも無いが。
 やがて、シンと静まり返る。
 空気が固体化して押し潰すのでは無いかと誤解してしまうほど、嫌な沈黙。
 だが、
 しかし、
 何処の世界にも、
 何時の時代にも、
 空気が読めない人間と言うのは存在する。
 ただ、
 それを罪と言うには酷だろう。
 ことに、
「……ペーター、どこ〜?」
 それが小学校に上がる前ぐらいの歳の子供であれば。
 寧ろ、目を離した大人の責任を問うべきであるのだが、彼女を預かっている施設の保育士は他の子供の面倒も見なければならないので彼女一人に構っている余裕は無く、彼女を預けた父親は残念ながら二度と迎えに来れない場所へと旅立ってしまった。
 ついでに言えば、母親も数年前に他界している。
 幾つもの不運が重なり、避難しようとする人波に父親から貰った大事なクマのぬいぐるみをもぎ取られた幼い少女がのこのこ取りに戻ると言う状況が生まれてしまった。
 まるで、何かの奇術の如くに。
 ガキョオオオオオオン!!
 何本もの紫色に光る刃が丈夫なチタン合金製の隔壁から突き出し、
 ミリミリミリミリミリ!!
 必死に押し止めようと力を振り絞るオレンジの輝きごと隔壁扉を切り裂いて、
 ボグオッォォォォォン!!
 二重のシャッターだったものを踏み倒して踊り込んで来た浅黒い肌で黒髪を丸刈りにした小剣を携えた少年を狙った2人の女性の身体は、
 ブンッ! グシャッ!
 ほぼ同時に飛び込んで来た縮れた黒髪で黒い肌の少年が振り回した長柄戦斧と、赤毛で白い肌の少年が叩きつけた諸刃の直剣によって壁に叩きつけられ嫌な音を立てた。
 そして……
「きゃああああ!!」
 迫り来る死神の大鎌をキョトンとした瞳で見ている幼女の肩がトンと押された。
 プシャアアアア!
 小さな女の子を押し退けた拍子にバランスを崩した白いドレスを着たアッシュブロンドの少女は、自分から流れ落ちる血溜まりにドウと倒れた。
「お、おねえちゃん……チ、でてるよ?」
 左の二の腕をザックリと切り裂いたものの致命傷になっていないと判断した丸刈りの少年が、再び小剣を振り上げる。
「大丈夫ですわ。それより早く向こうへお行きなさいな。」
 心配そうに覗き込む小さな女の子に微笑みを返すナスターシャの脳裏に、今まで起きた事が次々と思い出されてくる。
 彼女の王子様と最初に出会った地下牢。
 王子様と交した初めてのキス。
 ダンスを共に楽しんだ夜会。
 ベッドを共にした幾多の夜。
 そして、何よりも、
 身体の奥の奥に何度も何度も注ぎ込んで貰った愛情の証。
 引き伸ばされた時間の流れの中で、首筋を目掛けて迫り来る紫色の光を帯びた小剣をナスターシャは睨みつける。
『イヤダ、シニタクナイ』
 自分の命を断つであろうモノを。
『ココデシンダラ、オウジサマガ』
 どんなにか悲しみ、傷付くだろう。あの優し過ぎる少年は。
『ソンナノ、ユルセナイ』
 その時、彼女の頭の中で何かが弾けた。
 それは『声』。
『ボサッとしてるヒマは無いぞ!』
『危ないっ!』
『敵は人間の姿をしてる化け物ですわ!』
『後ろに10p下がれ。』
『援護するわ、伏せて!』
 距離も様々、人も様々な、仲間達が発した心の『声』。
 シンジを通して結び合わされた心の絆。
 彼女は、
 そうして繋ぎ合わされた心の圧力を
 眼前の“敵”に叩きつけた。
「下がりなさい、下郎!」
 オレンジ色に光る八角形の壁として。



「覚悟はできたかよ。」
 背に4枚の翅翼を輝かせ、金と銀で彩られたプラグスーツを着ているケンスケは、レンズを失い歪んだ丸眼鏡のフレーム越しに怨敵を睨む。
「もう止めようよ。こんな事して何になるのさ。」
 その殺気に満ちた視線を自然体で受け流しつつ、自分の負傷よりも自分の大事な人達の回復を優先するシンジ。
 彼の青と白で彩られていた筈のプラグスーツにはドス黒い赤が混じり、引き裂けて肌が露出している場所もあった。
 また、背に淡く輝く12枚の光翼は、今にも消えてしまいそうなほど弱々しく、当人の疲弊を何よりも雄弁に語っている。
「俺の気が済む。」
 絶対的な有利を確信し、手にした紅い槍の穂先をシンジに向けて言い切る。
「……そう。」
 シンジの瞳が自分には哀れみしか向けてこないのに、苛立ちながら。
 更に続けて、
「だが、お前の出方次第では殺すのはお前だけにしてやっても良い。お前の女を俺様に全部寄越せ。そしたら、そいつらは生かしておいてやる。……どうだ?」
 勝手な要求をさも自分は慈悲深いんだぞ、感謝しろとばかりに胸を張って通告する。
 が、あまりに恥知らずな要求に、
「ふざけんじゃないわよ! この盗撮魔がぁ!」
「女の子を物扱いするなんて、最低ね!」
「……やっぱり、あの時殺しておくべきでした。」
「そういう態度は好意に値しないよ。……嫌いだって事さ。」
 シンジでは無く交換材料だと宣告された女性達から猛烈な抗議が殺到する。
 ちなみに、傷を治してシンジの右斜め後ろに浮かんでいるマユミは、口を聞くのでさえ汚らわしいとばかりに無言で睨みつけていた。
 最後に、
「碇君が死んだら、私も死ぬ。」
 限りなく本気で言い放ったレイの言葉に、シンジは溜息を一つ吐く。
「……ごめん。せっかくの申し出だけど、辞退するよ。みんな嫌がってるし。」
 御丁寧に軽く頭すら下げるシンジの態度に、ケンスケの頭の中で未だしぶとく残っていた線が何本もまとめて弾けた。
「なら死ねよ!」
 ロンギヌスの槍に集束されたケンスケの禍々しい金色のオーラが、淡いオレンジの輝きの中心に佇むシンジへと向け放たれた。



 空の上でも地下でも激闘が繰り広げられている頃、発令所に続々舞い込んで来る情報の津波の中に、巨大な岩塊が紛れ込んでいた。
「第677避難所にて新たなATフィールド発生! パターンはオレンジです!」
「個体パターンの判別はできるか?」
 青葉の報告に、司令塔に立つ冬月が過敏なまでに素早く訊ねた。
「該当パターン無し! あ、更にATフィールド発生! 場所は……ここです! 第1発令所内で発生しています!」
「なんだと!」
 驚きの声を上げながらも、冬月は如何なる事態が進行しているのかを半ば悟っていた。
 彼とゲンドウは、こうなるように色々と誘導していたのだから。
 推測を確かめるべく心当たりに目をやると、そこには淡いオレンジの光に包まれている女性達がいた。マリィ・ビンセンス、最上アオイ、阿賀野カエデ、大井サツキ……いずれも、シンジと身体を重ねた彼の恋人達が。
『遂に覚醒したか……第18使徒リリンが。』
 最強の隠し札ジョーカーが発動したのを確信し、冬月は思わず呟いた。
「……勝ったな。」
 金の光を押し返す、オレンジの光を見守りながら。



 第677避難所を守っていたネルフ本部保安部普通科連隊第6中隊第4小隊40名を皆殺しにして押し入ってきた10人の“矢”の少年は、今や10倍以上の数の敵に包囲されていた。
 共通しているのは、その全員が若くて美しい女性であること。
 そして、全員がシンジと身体を重ねた事があることだった。
 そんな彼女達に向け血染めの長柄戦斧を振り上げた黒い肌の少年の頭は、女性警備員が撃った拳銃の弾丸が当たってポンと消し飛んだ。
 少年をこれまで無敵ならしめていた紫色のATフィールドを、仲間達みんなから集めたオレンジ色のATフィールドで打ち消して。
 まだ事態が分かっていない白い肌の少年が、起き上がって再びナスターシャへと凶刃を向ける。
「まだ分からないのですか、愚か者ですね。」
 だが、かつてのセカンドチルドレンをも凌駕するパワーの一撃はナスターシャがみんなの力を借りて展開したオレンジ色のATフィールドにあっさり弾かれ、彼自身の胸に肋骨を砕いて突き刺さる。
 更には、ナスターシャの切り裂かれた二の腕だけではなく、先程吹き飛ばされて動けなくなっていた女性警備員達が受けた致命傷も急速に癒え始めていた。
 第18使徒リリン。人間であって人間でない、群体の使徒として覚醒した事によって。
 恐れを知らぬ殺戮兵器である筈の少年達が攻撃をしばし躊躇し、後退る。
 だが、脳に植え付けられた指令は逃亡を許さない。
 最後の捨て身攻撃に出ようとそれぞれの武器を構え直して身構えた時、
「みんな、無事か!?」
 彼らの背後から襲って来た鉄拳が、僅かな勝機すらも根こそぎ奪い去った。
「カスミお姉様!」
 バルディエルの使徒能力者、鈴原カスミが。



「てめえ! 厭味か、それ!」
 大きく狙いがそれて芦ノ湖の水面に落ちる筈だった攻撃の真ん前にわざわざ移動して受け止めたシンジの姿に、ケンスケの眉がこれ以上無いほど釣り上がる。
「違うよ。この攻撃落ちたら大変な事になるから……」
 ケンスケだけではなく老人12体の攻撃をも受け止めているシンジの身体は、そろそろ限界なのかあちこちが切り裂かれて血がしぶいていた。
「なら、そろそろ死にやがれ! ご立派な建前抜かしながらな!」
 顔色が蒼白なシンジが力尽きてゆくに従ってATフィールドもどんどんと弱まり、彼の放った破壊エネルギーがじりじりと近付いてゆくのが見える。
 あと5m……3m………
「ありがとう、みんな!」
 だが、“それ”がシンジの身体に達する直前、シンジの放っているオレンジの光が突如強くなった。シンジの身体から噴き出している血が止まり、顔色にも血色が戻り、ボロボロになっていた身体は見る見るうちに治ってゆく。
 そして、何より再び輝きを取り戻した12枚の翼。
 第18使徒リリンの覚醒の影響で、シンジの力も飛躍的に高まったのだ。
「お前! 騙しやがったな! 卑怯者!」
 押し返され始めて焦るケンスケは、エネルギーの奔流になお一層の力を込める。
「下僕ども! サボってるんじゃないっ!」
 加えて、既に限界まで酷使されている老人達のコピーに更なる力を搾り出させる。
 恐ろしいまでの破壊エネルギーを。
 これでシンジも破壊エネルギーを発していたのなら、箱根一帯……いや、日本……それでも足りず東アジア全体が破壊し尽くされてしまっただろう。
 しかし、シンジが発していたのは破壊エネルギーでは無い。
 心の器を広げ、猛り狂う破壊エネルギーを受け止め、鎮めていたのだ。
 ケンスケが放つ“破壊”とシンジが受け止める“鎮静”。
 言い替えれば“拒絶”と“融和”、あるいは“死”と“生”。
 大気を震わせる激しい力の拮抗は、100を数えても続くほど互角に近かった。
 持久戦ならば、S機関を持たない為に戦闘中のエネルギー補給をLCL錠剤に頼り切っているシンジの方が不利。しかも、さっきまで息を切らしていたと言う事は、その錠剤ですらも既に使い切ってしまっている可能性が高い。
 シンジに自らの力のほとんどを託しながら、ミサトは分の悪い展開に歯噛みした。
 が、転機は空の果てから訪れた。
 衛星軌道から降り注いだ光が動く死骸の1体を照らすやいなや、その老人は狂ったように周囲の味方だったモノを攻撃し始めた。
「これよ! 山岸さん!」
 あの人造使徒の自爆に巻き込まれて行方が分からなくなっていたショウコが、今このタイミングで援護射撃をしてくれたのだ。
「はい!」
 ミサトの指示の意図を正確に読み取ったマユミが、ショウコの使ったアラエルの能力をコピーして、別のゾンビ老人へと精神攻撃光線を向ける。
『汝の真の敵は、汝等なり!』
 ごく単純な暗示。
 しかし、ゾンビ老人の人格データの転写元が元々互いへの敵意を押し隠しており、しかもケンスケに再生されたせいでただでさえ薄い自我がなお薄れていたのが功を奏した。
 おかげで、たちまちの内に仲間割れを始めた12体のゾンビ爺は、シンジを攻撃するのもそっちのけで殺し合いに没頭してしまう。
「負ける? この俺が? ここまで来て!?」
 こうなってしまっては、もはやケンスケがシンジから放たれ続けているオレンジの光に包まれてしまうのも時間の問題だった。
「そんなの、許せるかよ!」
 しかし、吼えてみたところで現実は変わらない。
『どうする?』
 じっと手元を見たケンスケ。
『邪悪を滅する神の槍……言われたほどでも……』
 内心で文句をたらたら並べた時、脳裏にパッと閃いた。
 彼の強靭なATフィールドを貫いた複製の槍のことを。
『そうだ、それしかない。』
 もう迷ってる猶予は無い。
 さっきとは逆に、力の奔流がケンスケの鼻先まで迫ってきているのだ。
「死にやがれ! サタン!」
 奔流の根源目掛け、ケンスケはロンギヌスの槍を思い切り投げつけた。
 ありったけの殺意と呪詛を込めて。

「え?」
 相田君が槍を投げたのは見えた。
 それが、僕のATフィールドを突き破って向かって来たのも。
 でも、それからが分からない。
 何が槍にぶつかって、
 何が爆発して、
 そして、
 今、
 紅い槍が貫いている黒い服を着た大きな背中の持ち主は、
 誰だろう?
「シンジ、大丈夫か?」
 とても、聞き覚えのある声。
「と…父さん?」
 認めたくない現実。
 父さんが、父さんがこんな事になるなんて……
「シンジ、これを使え。」
 父さんは懐から取り出したプログナイフで自分の右手首を切り落とすと、ポンと僕に投げて寄越した。
「え?」
 サラサラと音が聞こえる。
 いったい、何の音だろう?
 血の滴る父さんの右手首を受け取った僕の耳に、何か心に障る音が聞こえる。
 これって、何の音だろう?
「シンジ、すまなかったな。」
 え?
 父さんの首は、
 父さんの身体は、
 父さんの顔は、
 どんどん白く染まってゆく。
 僕に手渡した右手を残して。
「父さん…父さんっ!!!」
 僕と綾波……そう、何故か分かったけど、僕と綾波を見て薄く微笑んだ父さんは……
 胸に刺さっている槍が放った波動に弾かれる様に四散した。
 塩の粉になって……
「碇…司令……」
「そんな……」
 僕の大切な人達が口々に嘆き悲しむのが聞こえる。
「相田君……おのれ!」
 僕の心の奥底から、ふつふつと滾るマグマの様なエネルギーが噴き上がって来るのが分かる。
「お、俺が悪いんじゃない! そいつが……お前の親父が勝手に……。そうさ、俺が悪いんじゃないんだ!」
 今すぐ、この馬鹿を消し飛ばしたい欲求で心が一杯になりそうだ。
 父さんを殺した、この槍で!
『待て。』
 え? この声は?
『怒りに溺れるな。』
 と…父さん!?
 声の出所をキョロキョロ探し回ると、右手に持っていた父さんの手首が目に入った。
 え?
 僕が何もしてないのに、僕の右手から入り込んで来るナニか。
 とても大きな、大きくて温かい命と、
 父さんの想い、父さんの記憶が、
 僕の中に流れ込んで、僕と一つになる。
 ああ、父さんって、こんなに僕を愛してくれてたんだ。
 息子として。
 未来を託す存在として。
 僕の事を。
 ごめん、父さん。
 父さんの真意が解らない馬鹿な子供で。
 だから、
 だから、せめて、
 父さんの遺志は僕が継ぐよ!
 僕は3秒だけ父さんの為に瞑目して祈ると、父さんを殺した槍に再び手を伸ばした。
「させるか!」
 相田君が突っ込んで来るけど、アスカやマナやマユミやミサトさんやカヲル君が足止めしてくれている。
 邪魔が入る恐れは無い。
「いくよ、父さん。そして、みんな。」
 今度は憎悪じゃなく、希望を掴む為に。


「ロ…ロンギヌスを……食う……だと…………」
 聖句を刻み完全に支配下に置いた筈の聖槍ロンギヌスがシンジの身体に吸収されてゆく信じ難い光景を目にして、キールはまず映像システムの不調を疑った。
「槍よ! 我等に応えよ!」
 次いで、槍を操る呪文を改めて唱えるが、先程以来ピクリとも反応が無い。
 奪われる寸前に槍を操ってシンジを殺そうとしたのだが、動き出した槍がシンジのATフィールドを貫くのに手間取っているうちにシンジの左手で掴まえられ、融合捕食されているのだ。
「馬鹿な!」
 それが、キールが肉体の口で発した最後の言葉となった。



 オレンジ色の柔らかな輝きがシンジから発し、地球の隅々まで広がってゆく。
 慈愛に満ち溢れた命の輝きが。
 輝きはセカンドインパクト以来広がり続ける南極の赤い死の海を青い生命溢れる海へと戻し、人の手が破壊し続けた多くの緑を甦らせ、生態系を形作る多くの生き物達をも再生した。
 あまつさえ地軸の歪みを正し、セカンドインパクト以前の季節を復活させてしまった。
 地球の自然とシンジが融和し、調和し、助け合う関係を成立させて。
 そして、輝きに包まれた人間達はと言うと……
 ある者は輝きの中に溶け、生命の流れと一体化するのを望み、
 ある者は輝きから多くの祝福を受け取るのを望み、
 ある者は特に何も望まなかった。
 その心の有り様こそが、彼等の未来を分けた。
「す、素晴らしい! これが! これが神の力! 人類の進化! ギャアアア!!」
 ゼーレの老人達のように際限無く力を求めた者は、進化の極限に達して自滅した。
「ええい! お前等にやるもんなど無い! ウワアアアアアア!!」
 欲深な者は、その欲ゆえに己が持ち切れる以上のモノを抱え、自滅した。
「何故、あんな奴等にも恩恵を! 我等こそが選ばれた民じゃなかったのですか!」
 偏狭過ぎる者は、心に抱いた敵意の刃で鏡写しになった自分自身を貫き、自滅した。
「おお……これが、天国か……」
 永劫の安息を求めた者は、土や水に還り、休息を得た。
 特に何も望まなかった者も、いつかの日の為に進化の可能性を受け取った。
 そうして、人類はシトと呼ばれる者達とヒトと呼ばれる者達の二つの要素を併せ持つ新たな存在へと進化した。
 アダムとリリス……いや、碇シンジと綾波レイの祝福の下に。


 だが、
「なんで、なんでなんだよ! なんでお前が神になるんだ!」
 世界でたった一人だけ、シンジとレイからもたらされる恩恵から目を背けている少年がいた。
「メシア様は俺なんだぞ! 止めろ! 騙されるな!」
 それどころか、憎悪に駆られ、再生されてゆく地球を、生命を破壊し尽くそうとしている少年がいた。
 そんなニキビ顔の少年が撒き散らす一発でさえ街を楽々消し飛ばせる飛礫の雨を、シンジは今や地球全ての命を背景にした圧倒的なATフィールドで消し去る。
「違うよ。……そんな事してるんじゃ、今に誰も相田君を認めてくれなくなるよ。」
 そして、近付いて行く。
「や、やめろ! 来るな! 来るな来るな来るなあ!!」
 蛇に睨まれた蛙の様に、足がすくんで動けないケンスケに。
 足が動かない替わり、矢継ぎ早に槍……いや、ミサイルを生み出してシンジにぶつけてくるが、シンジは一瞥しただけで攻撃の全てを消滅させた。
「あ…何だよ、それ!? 反則……反則じゃないか!」
 ほどなくしてケンスケの目の前に立ったシンジは、ロンギヌスの槍を吸収した左手をケンスケの腹にズブリと突き刺す。
 血も流させずに。
「相田君。相田君の力は危険過ぎる。……それは、僕が預かるよ。」
 ゼーレに与えられた力が、何が何でも奪われまいと必死に抵抗するケンスケから次々に剥ぎ取られてゆく。
「止めろおおおおおおおおおおおお!!!!」
 絶叫が響いた。



福音という名の魔薬
第弐拾八話 終幕



 決戦、終わり〜。後は、エピローグやね〜。ふう。長かった〜。……と言うのは、早過ぎるか。気を抜かずに逝きましょう(違っ
 今回の見直しと御意見協力は、きのとはじめさん、【ラグナロック】さん、峯田太郎さん、八橋さん、老幻さん、犬鳴本線さん、USOさん、関直久さん…でした。皆様、大変有難うございました。

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