福音という名の魔薬

 第参話「心の壁」

「おとんもおじいも冷たいわ。自分の娘や孫の葬式ぐらい最後まで居たってもええだろうに……そんなに仕事が大事なんか!」
 黒いジャージに身を包んだ少年が、血染めのボロ布の前で号泣している。
「ワイがあの時手を離さなんだら……ちゃんと探し出してやっていれば……」
 身内だけの葬式も、後はこのボロを焼いて墓に納める手順だけを残して一段落ついていた。後は業者が引き取って適切な処置をする手筈になっている。
 ……なお、死体そのものは一片も彼…家族…の元へは返却されなかった。
 怪獣の死体が混ざった為、まとめて処分せざるを得なかった。
 それが父が持ちかえったネルフ側の答えだった。
 このボロ布も、厳重なチェックと何重にも渡る消毒を経てやっと手に入れてきた……そう、少年の父は言った。
 使徒と呼ばれる怪獣とそれを迎撃するネルフのロボット。その両者の戦闘に巻き込まれて瓦礫の下敷きになり、死亡。……それが、彼の祖父が調べてきた妹の死因だった。
 しかし、少年は気付かなかった。
 その答えが嘘ではないが真実では無い事を。
 少年は気付かなかった。
 父も祖父も、真実を知っているが故に少年と同席したがらないのだということを……。
 少年の名は鈴原トウジ
 数少ない友人からは直情熱血馬鹿とも評される男であった。



「最終拘束具破断! 対象、抑えられません!」
「硬化ベークライト、内側から引き剥がされました! ATフィールドです!」
「発令所から入電。ATフィールド 現在パターンオレンジなるも青方偏移が始まってる模様です!」
「潮時ね。至急シンジ君を呼んでちょうだい!」
 険しい目で“それ”を見つめるリツコ。
「はい、先輩。」
 即応して葛城家に電話するマヤ。
 ここ、特殊生体解析室は、今現在戦場と化しつつあった。
「まだ寝ているのにATフィールドが展開できるなんて……もしかして無意識の防御反射かしら。」
 リツコやマヤとは特殊防弾ガラスで隔てられた殺風景な部屋の真ん中にででんと鎮座ましまししている各種センサー類が満載されたベッドの上に、一人の少女が一糸も纏わない状態で寝かされている。
 手術台なんかにも見えない事は無いが、どちらかというと改造人間なんかを作っている方が似合う感じの雰囲気だ。
 ただ、その近代設備の大部分は無惨にひしゃげ、ガラクタと化して床に転がっていた。
「あ、葛城一尉……大変なんです! ……あ、寝ないで下さい! 緊急事態なんです!」
 朝早くから起こされる方は堪ったモノではないだろうが、こっちは一昨日の夜から徹夜で調査と後始末をしていたのだ。この程度は許容範囲だろう……と、リツコは考える。
「はい。それでシンジ君を至急本部に送り届けて欲しいんです。……タクシーじゃないって……わかってます、そんなこと!」
 パニックと電話の向こうで暢気な声を上げているだろう親友の言葉にキレそうになっているマヤを横目でチラと見てから、リツコは眼前の相手への対処法を頭の中で幾通りもシミュレートしていた……。
 対爆シャッターを下ろす……向こうの部屋のカメラの類があらかた潰されている為、相手の様子が分からなくなってかえって危険……。
 特殊ベークライトを噴射して固める……暴走した零号機相手にやった手だけど、既にATフィールドを展開している相手に対して効果があるとは思えず、下手に刺激して具体的な敵対行動を引き出すだけに終わる可能性が高い。
 床下に仕掛けてあるN地雷を炸裂させる……足止めにはなるだろうけど、自分達も確実に助からないので、まさに最後の手段。しかも倒せる保証はまるで無い。
 そこまで考えて、リツコは対処策を考えるのを放棄した。
 既に最良と思える策は打ってあるのだから……。


「で、なんだってぇのよ……げっ!」
 最優先緊急車両となってあらゆる交通法規を麻痺させ、破損したアルピーヌ・ルノーが許す限りの速度で到着したミサトは、室内の惨状に目を剥いた。
 そして、半分寝惚けたままの全裸の少女が腕から槍状の光を放って自分に向けられる可動式センサーをことごとく破壊しまくっている光景を目の当たりにして絶句した。
「はぁはぁはぁはぁはぁ……」
 ミサトに少し遅れてシンジも到着するが、こちらは息も絶え絶えで周囲を観察する余裕は無い。
「ちょっと、どういう事よこれ!? その子って一昨日の子じゃないの!?」
「そうよ。……見ての通りだわ。」
 詰め寄るミサトをさらりとかわすリツコ。
「見ての通りって……それで分かる訳無いでしょ!」
 だが、当然そんな返事でミサトが納得する筈も無い。
「今は答えてる時間は無いわ。……シンジ君。」
「……はぁ…はぁ…はぁ………はい?」
「あなたに頼みがあるの。あちらの部屋にいる子を落ち着かせて欲しいの。」
 そう言われたシンジはようやく屈んでいた身体を起こして特殊ガラスの向こうにいる女の子に気付いた。
「昨日……いや、おとといの夜の子だ……。」
「そうよ。あの後こちらで保護していたの。」
「保護ですって! 捕獲の間違いじゃないの!? 勝手にこんなとこに閉じ込めて!」
 リツコの台詞で事情を把握したミサトが食ってかかる。作戦部長の自分に無断でこういう重要案件が処理されていたのが腹立たしいのだろう。
「今はそんな事を言ってる場合じゃないわ、葛城一尉。……やってくれるかしら、シンジ君。」
「(逃げちゃ駄目だ…逃げちゃ駄目だ…逃げちゃ駄目だ……)やります。」
「直通のドアは無いから……マヤ、シンジ君を案内してちょうだい。ガスマスクも忘れずにね。」
「はい、先輩。行きましょう、シンジ君。」
「あ、はい(ガスマスクって……どうしてだろ?)。」
 その時……
「あ、おにいちゃんだ♪」
 防弾ガラス越しにシンジと女の子の目が合った。
「まっててね、おにいちゃん……えいっ!」
 カッ!
 ゴウゥゥゥゥン!!
 十字架型の爆光が、向こうとこちらの部屋を隔てる窓で炸裂する。
 しかし、酷い焦げ目が着き、細かいヒビが縦横に走ってしまっていたが、窓は何とか持ち堪えた。
「むう。じゃ、もっかい!」
 今度は手に出した光槍を壁に突き刺す。
 いや、女の子の掌が窓に向けられ、光の槍の穂先が杭打ち機のように何度も何度も特殊ガラスに叩きつけられる。
 ビシッ! ミシッ! ミシッ! ゲシッ! ミシッ! ミシッ! ミシッ! ミシッ! …プシュゥゥゥ ミシミシ…ビリベリ…………パリンッ!
 戦車砲の直撃にすら傷一つ着かず耐え切れる特殊ガラスが三分と持たずに破れさっていく間、シンジは言葉を無くしてポカンと見とれていた。
 その間、リツコとマヤ、そしてミサトは、こんな事もあろうかと抜かり無く備えつけられていたガスマスクを被っていた。
 ただ、この部屋の常備品のガスマスクは予備も入れて3つ……
「後はエアカーテンとシンジ君自身のATフィールドに期待しましょう。」
 悟ったかのようなリツコの声を小耳に挟んで、シンジは急速に襲ってきた眠気に何とか逆らった。
「ど、どういう事ですリツコさん?」
「向こうの部屋に象でも永眠しそうな量の麻酔薬を散布してあるの。結局役に立たなかったみたいだけど。」
 役に立たないどころか足引っ張ってどうするんです! ……との心の叫びは、ドンッと全身でぶつかってきた柔らかい物体によって堰き止められた。
「おにいちゃん! おにいちゃん! おにいちゃん! おにいちゃん!」
 ……あ、痛いよ……後頭部が床にぶつかって鈍い音立てたし……
 実際には痛さで悶絶するところなのだろうが、吸ってしまっただろう麻酔薬のせいで不思議と痛みは無い。
「おにいちゃん、ハルナこわかったの! とってもこわかったの!」
「落ち着いて、もう大丈夫だから。…………ね。」
 ゆっくりと背中を撫でさすっていると、涙を流して震えていたハルナも段々と落ち着きを取り戻し……すやすやと寝息を立て始めた。
 安心しきっているのか、本当に無防備な微笑みを浮かべて……。

「ふう。何とか落ち着いてくれたわね。」
 やっと状況が落ち着いたと見極めたリツコが、部屋の中に麻酔の中和薬を撒いていく。
 双方の部屋の気圧差を利用した空気の壁のおかげで大量の麻酔薬が押し寄せて来る事はなかったのだが、ハルナがこっちの部屋に窓を破って突破して来る時に少しばかり流入してしまったのだ。
「ところで、いったいどういう事なんですか?」
 やっと寝ついたハルナを腕に抱いたまま、シンジはリツコに質問を投げかける。
「この子をこちらで保護して今まで調査していたんだけど、今朝になって突然暴れ出したのよ。それまではおとなしく寝ていたんだけど。」
「今朝になって……ですか?」
「ええ。原因は不明。」
 シンジにも麻酔薬は効果を及ぼしており、そのせいで頭がハッキリしていなかった。
 いや、今にも目蓋がくっつきそうなぐらい眠そうだった。
 そのせいで気付かなかった。
 実はリツコが発信機などの埋め込み手術をしようと試みたのが暴走の引き金であったという事を……。
 そして、リツコがミサトにこっそりと
「シンジ君に余計な事言ったら、後で酷いわよ♪」
 と耳打ちしていたという事を……。
「すみません。何か着る物を貸して貰えますか?」
「え……と、はい、シンジ君。」
「ありがとうございます。」
 マヤが何故かドキドキしながら自分の白衣を渡すと、シンジは礼を言いつつハルナの身体を借りた白衣で包む。
 ……なお、ハルナに抱きつかれているせいで、シンジが自分の服を被せてあげる事ができないのが、わざわざ他人から服を借りた主たる理由である。
「今後のことについて話す前に、どうやら場所を移った方が良さそうね。……マヤ、ミサト、手伝って。」
 リツコはシンジに手を貸しつつ、この破壊されて不気味さをいっそう増した研究室を後にした。この場にいる全員を連れて……。


 会議室らしい部屋に場所を移した途端、リツコは唐突にこう切り出した。
「ところで、シンジ君にお願いがあるんだけど。」
「なんですか、リツコさん。」
「シンジ君にこの子を預かって貰いたいのよ。どう、引き受けてくれるかしら。」
「僕は良いですけど……」
「ちょっと! 冗談じゃないわ! コイツは使徒なのよ!! 現に研究室だってメチャクチャにしてるじゃないの! どうしてこんなのをウチで面倒見なきゃならないのよ!」
「あら、ミサトに面倒見ろとは言ってないじゃないの。」
「同じ事よ! シンジ君はウチに住んでいるんだから!」
「じゃあ、シンジ君がミサトの家から引っ越せば問題は万事解決ね。それで良いわね、シンジ君。」
「えっと……その前にこの子の意見も聞いてみないと……」
「……そうね。良いとこに気がついたわね、シンジ君。」
 リツコが起こそうとハルナに手を伸ばすが、その手は空中で何かにぶつかったかの如く止まった。
「どうやら私が触れるのは無理みたいね(弱いATフィールドを張っているのね。良い観測データが採れそうだわ。)。では、シンジ君。彼女を起こして貰えないかしら?」
「はい、分かりました。」
 気持ち良さそうな寝顔にちょっと罪悪感を覚えながら、シンジは自分に抱きついたままの少女を揺り起こそうとした。
「ん……んん……むにゃ…………zzz」
 しかし、少女は少々手強かった。
「ほら、起きて……」
 それでも再三に渡ってシンジが耳元で囁くと
「む〜。」
 渋々ながら寝惚けた目を開けた。
「……あ、おにいちゃんおはよう♪」
 が、眼前にシンジの顔を認めるとニパッと満面の笑顔を浮かべるハルナ。
「おはよう。……ちょっと話があるんだけど良いかな?」
「……な〜に、おにいちゃん?」
「お話はこっちの……お姉ちゃんから聞いてくれるかな?」
 シンジは、横にいるリツコを見て言う。
「…………うん、わかった。」
「(お姉ちゃんと言う前に何を考えてたのかしら、シンジ君……)あなたはお家に帰るのと、シンジ君と一緒に暮らすの、どっちが良い?」
「シンジおにいちゃんといっしょにいるっ♪」
 即答であった。
「決まりね。じゃあ早速……」
 思った通りの回答に笑みを浮かべたリツコが話をまとめようとするのに立ちはだかる最後の障害は……
「ちょっと、待ちなさいよ! 作戦部長としてコレは認められないわよ!」
 やはり、ミサトであった。
「あら。どう認められないと言うのかしら、葛城一尉。」
「作戦部長とチルドレン……エヴァのパイロットとは密接なコミュニケーションを育て易くなるように同居が望ましいって、上の方にも認められているのよ!」
「でも、彼女と同居したくないと言ったのはあなたよ。」
「それなら、その使徒娘だけ別のとこに収容すれば良いじゃない!」
 ミサトの剣幕に、リツコもため息を隠せない。
「……無理よ。彼女をシンジ君と引き離して収容できる場所なんて、この第3新東京市には……いえ、世界中探しても無いわ。」
 敢えて言うなら、使徒が封印されていた場所に戻してもう一回封じ込めるぐらいなのだろうが……そんな事ができれば苦労は無い。
「うっ……。」
「それに、彼女の管理を任せられるのは、今のところ世界でもシンジ君ただ一人よ。」
「ううっ……。」
「本日06:25をもって鈴原ハルナをサードチルドレン碇シンジの管轄下に置く事をE計画担当博士としての権限で決定します。この決定にともない、碇シンジには個室が与えられ、鈴原ハルナと同居するものとする。……いいわね、シンジ君。」
「……あのっ。」
「なに、シンジ君。」
「その個室って……ミサトさんの部屋の隣じゃ……駄目ですか?」
 まあ、ある意味シンジらしいとも言える妥協策であった。
「隣って……ええ、良いわよ。」
 ミサトが入居してるマンション、コンフォート17。
 実は、そこは今、ミサトと管理人の部屋にしか入居者がいない状態であった。
 ……それは主に警備上の都合であったが、この場合はまさに好都合である。
 リツコは、シンジ案のメリットに内心ほくそえんだ。
 これならミサトが文句を言う筋合いは激減するし、近所に住んでるなら『作戦指導』とやらも存分にできるはずだからだ。……ミサトにやる気があれば、であるが。
「隣ですって! そんなの我慢できるはずが…」
「我慢してもらうわ、葛城一尉。それとも、あなたがあのマンションを出る? それだとシンジ君を指導する事ができなくなるかもね。」
「な!?」
「あなたも知っての通り、あそこの出入りは管理人が管理しているわ。入居者とトラブルを起こしそうな来訪者は立ち入りを禁止されてもおかしくないわね。」
「なんですって! そんな馬鹿なこと…」
「あるのよ。シンジ君は既にネルフのVIPの一人だし、彼女に対しても迂闊な手出しは控えるように早晩通達が出るはずよ。」
「なんでよ! こいつは使徒なのよ!」
 自分の仇である使徒を庇うのかと、ミサトが人の一人や二人はあっさり殺せそうな視線を送るが、慣れてるリツコにはどうって事は無い。……今のミサトの顔をちょっと見てしまったハルナは、後悔しつつ思いきりシンジに抱き付いて震えているが。
「今はそうじゃないわ。そして、この状態のままであってくれれば被害が出るとは限らない……シンジ君が面倒を見ててくれる限りはね。」
「シンジ君がこいつを抑えておけるか、まだ分かんないでしょ!」
「抑えておけないのなら、シンジ君での使徒撃退は無理……と言う事よ。本当はあなたにも分かっているんでしょ、ミサト。」
 最後の反撃も、至極もっともな論理で正面から撃砕されると、
「ぐぐっ……分かったわよ! 我慢すりゃ良いんでしょ! 我慢すれば!」
 遂にヤケになって観念した。
「賢明ね。」
 論戦の勝利者はニコリともせず言葉を続ける。
「部屋の手配が済んだら担当者に送らせるわ。それまで、その娘をお願いね。ミサトはしばらくこっちで預かるから。」
「預かるって……ここまで言われて何かしたりしないわよ!」
「(どうだか……)そうじゃなくて、あなた何時まで壊れた車でシンジ君を送り迎えする気? って言っているのよ。」
「へっ? ああ、明後日にでも修理工場に持ってこうと思ってるんだけど(うう……修理費でえびちゅが減るのは痛いけど、直さないとしょうがないしなぁ……)。」
「今からやるなら必要経費扱いで修理できるわ。仕事中の事故って事でガレージの使用許可が下りたのよ。……嫌なら止めるけど。」
「そ、そんな! そんなの止める訳無いでしょ、リツコ(これでえびちゅを減らさなくて済むっ!)。」
 溜息をついて気乗りしない表情を装ったリツコを、一所懸命ミサトが引き止める。
「じゃあ、後お願いね、マヤ。」
「はい、先輩。」
 喜び勇んでリツコを部屋から連れ出すミサトであったが、彼女は気付かなかった。
『これで、やっとあれを試せるわね。楽しみだわ。』
 ……と、リツコが内心ほくそえんでいた事などは。



 ハルナ用のIDカードが届き、部屋の手配が終わったと聞いて家具などを揃える資金を所望したシンジは、実は自分が何時の間にかネルフに雇われていて給料が支給されていると言う事を知って驚いた。
 ……更に、ハルナを世話する為の費用として月50万円、支度金100万円がシンジのカードに振り込み済みである事を知って二度びっくりした。
「父さん、相変わらず勝手なんだね。……しかも説明してくれないし。」
 苦笑しつつハルナの手を引いてネルフ本部を出て新居へと向かう。
 交通機関は、迷った末にタクシーを呼んだ。
 ……ハルナが素肌に大きめの白衣を引っ掛けただけという、普通に出歩くには少々刺激の強過ぎる格好をしているからだ。
 そして、今、
 コンフォート17の廊下に二人は立っていた。
「ホントにミサトさんの部屋の隣にしてくれたんだ……。」
 なお、ここのマンションの実際の所有者はネルフであるし、ミサト以外の入居者は管理人だけなので、この程度の事は造作も無い。
 寧ろ、警備と監視の体制を大きく変更せずに済む今回の引越しは、保安部や諜報部には好評であった。……スパイの皆さんにも好評だったのはご愛嬌だが。
「ここがおにいちゃんのおうち?」
「うん。そうみたいだね。」
 鍵を開けて中に入ると、パタパタとスリッパの音を立ててハルナも後に続く。……ちなみにハルナが今履いているスリッパはネルフの備品を許可を得て貰ってきたものである。
 ガランとした室内を一瞥してから、シンジは後ろを振り返って微笑んだ。
「おかえり、ハルナ」
「………………ただいま、シンジおにいちゃん♪」
 この時、この瞬間、この3LDKの部屋がシンジとハルナにとってかけがえの無い場所となる事が決定した。
 ……しかし、
 この場所が彼ら二人にとってだけ大事な処では無くなるだろう事が既に決定済みである事実を、二人ともに気付いてはいなかったのだった……。



「ハルナ、お風呂に入った方が良いんじゃないかな。」
 大暴れしたせいで色々汚れてしまっていた彼女を見て、シンジが言う。
 それは、比較的妥当な発言であったのだが……
「うん。いっしょにはいろ、おにいちゃん♪」
 それはもう下心皆無の無邪気な笑顔で、凶悪な破壊力の発言をされては健康な思春期の男の子には堪らない。
 しかし、ある意味不幸な事に、ことここに至ってもシンジには相手の女の子を押し倒す覚悟などできていなかった。
「(うっ……可愛い……じゃなくて)あ、ええと……あ、ほら僕はミサトさんの部屋から荷物持ってこないと……」
 覚悟さえ完了すれば、あんな事やこんな事のヤリ放題の状況ではあるのだが……
「おにいちゃんは、ハルナといっしょにはいるのがいやなの?」
 目に涙まで溜めてお願いするのは、反則である。
 それはもう威力抜群である。
「い、いや、そうじゃなくて……その……」
「いやなの?」
 結局、
「わかった、一緒に入るよ(自分を抑えられるかな、僕……)。」
 一緒にお風呂に入るのを承知させられてしまったシンジであった。
「ところで、ハルナはお風呂の沸かし方は分かるかな?」
「…………ん〜と……ここのはみたことがないからわかんない。」
 しばし考えた末の答えは、ハルナの知性の意外な高さを物語っていた。……いや、もしかしたら家事とかには慣れているのかもしれないが。
「じゃあ、一緒に見てみようか。」
「うん♪」
 その結果、別に常時誰かが見張っていないと危険な訳ではないと判明した。
 風呂に入りたければ、湯沸し器の電源を入れてから蛇口を捻ってお湯を湯船に注ぐだけで良いのだ。
 問題は、お湯を丁度良いタイミングで止められるかどうかぐらいであった。
「ハルナはお湯の方を見ててくれる? 僕は荷物持って来るから。」
「うん、わかった。」
 シンジと一緒にお風呂に入れる事と自分の仕事が既に提示されていた事から、ハルナは意外にも駄々をこねなかった。
 でも、
「あ、沸いたら先に入ってても良いよ。」
 と言う一言には首を横に振り、
「こっちおわったら、おにいちゃんのおてつだいしていい?」
 と聞いて来た。
「う〜ん、気持ちは嬉しいけど……。ミサトさん……ハルナが部屋に入るの嫌がるだろうから、お手伝いはしなくて良いよ。」
「そうなんだ…………」
 ちょっとだけ寂しそうな口調に気が咎めたので
「あ、もしかしたら……こっちの部屋まで持ってきてから手伝って貰うかも。」
「うん♪」
 慌ててフォローを入れると、明るい声が返ってきたのにホッとしたシンジであった。


 この時点でのシンジ自身の荷物は大き目のダンボール6箱に収まる程度の量しかなく、しかも引っ越してから荷解きもロクにしてないので、ちょっと整理をすれば直ぐに全部を運べる状態である。
 確かに、他人が手伝うほどの仕事ではないとも言えた。
 ちなみに、ミサトの部屋に置いてある家具類は支給品であってシンジの物ではないので運ぶような手間はかけない。……さっき、自分たちの部屋の方にも最低限の家具が据え付けられているのを確認したので、尚更わざわざ運ぶ気が起きなかった。
 何十分かの間必死でダンボール箱と格闘した結果、シンジは風呂の用意が終わるまでに何とか全部の荷物を自室の玄関内へと運び込む事に成功した。
「おにいちゃん、おふろわいたよ〜。」
「あ、もうちょっと待ってね。今着替え出すから。」
「うん♪」
 そこまで言って、シンジは気がついた。
 ハルナの着替えがまるで無い事を。
 いや、それどころか、今着てる白衣さえ借り物であった。
 早急に何とかしなくてはならない。
 とは言っても急場には全然間に合わないので、自分の着替えを二組荷物から抜き出して用意する。
「お待たせ。」
 しかし、シンジは気付いていなかった。この後に彼を待っている事態を……。
 ま、気付いていても結果はほとんど変わらなかっただろうが。


「おにいちゃん、いっしょにはいろ?」
 白衣を思い切り良く脱ぎ捨てた下には、瑞々しい肢体が隠されていた。
 胸はあんまり大きくないが形は良く、引っ込むべきところはちゃんと引っ込んでる小柄な身体は、思春期の男の子の煩悩を刺激するには充分過ぎるほどの衝撃力を備えていた。
「う……うん……」
 ちょっとだけ鼻血が出そうになったのを自覚しつつ、シンジは浴室の中へと向かう。
 軽くお湯で身体をすすいでから湯船に浸かると
 それを真似してハルナも湯船に入ってくる。
 ピトッ
 狼狽するシンジの横に密着する身体。
「ちょ、ちょっとハルナ……(そんなにされたら、我慢が……)」
 もう既に、下半身の息子はシンジの意志を離れて、勝手に元気良く立ち上がっている。
「おにいちゃん……あったかくてきもちいいよ……」
「(う、これ以上ここに居たら襲っちゃう)じゃ、僕、もう出るから。」
 耳元で蕩けるような甘い声で囁かれたシンジは、自らの理性の限界を悟ってカラスの行水で済ませようと思い切るが、
「まって、おにいちゃん!」
「えっ?」
 浴槽を出る前に右腕を掴まれてしまった。
「ゆっくりつからないと、かぜひくよ。」
「あ、いや。僕はさっと入る方なんで……」
 二の腕にプニプニと当たる膨らみを意識しながら、しどろもどろになるシンジ。
「むう……じゃあ、からだあらって、おにいちゃん♪」
 次のお誘いも、凶悪さに満ちていた。
 狙ってやっているんじゃないかと思ってしまうぐらい凶悪な威力でシンジの理性を打ち砕きそうになっているが、あくまでもハルナは自然体である。
「ね♪」
 結局、シンジは懇願に負け、ハルナの背中を洗い始めたのであった……。
 ただ、
「あんっ♪」
 それは……
「いたっ…………んんっ……」
 理性を何とか保とうという者にとっては、
「きもちいいよ、おにいちゃん……」
 ある意味拷問に等しい仕打ちであった。
「はい、終わったよ。どこか痒いとこある?」
 しかし、シンジは超人的な自制心を発揮してソレを乗り切った。
「えと……こんどはまえもおねがい♪」
 しかし、その我慢も、ハルナが身体ごとシンジの方に向き直るまでであった……
 頭の中で何かが切れる音を確かに聞きつつ、
 シンジはハルナの身体を抱き寄せ、
 唇を自分の唇で塞いだ。
 舌で口中を夢中でしゃぶり回してから口を離すと、ハルナの目はトロンと潤んでいた。
「(ミサトさんに聞いた通り、効くなぁ……これ)……いいかい?」
 シンジの息子が膝上に抱き上げているハルナの下腹部に当たっているだけに、その意図は明白だ。
「うん。おにいちゃんになら、いいよ。」
「じゃ、」
 許可を得たシンジは、腰の後ろに右腕を回し、慎重に狙いを定めて貫いた。
 ハルナと一つになるために……

 あのまま1回、湯船の中で1回と都合2回もヤっちゃったシンジは、ハルナが湯あたりしかけたところで風呂から上がることにした。
 そうして、着替えている訳なのだが……
「う〜、きかたわかんないよう……」
 ハルナを見て、シンジは呆然としていた。
 着替えに用意した服のうち白いYシャツを真っ先に着てしまい、ボタンが上手くはめられずに悪戦苦闘しているのだ。
『うわ……ぶかぶかな上に……透けてるよ……』
 シンジは新たな力が息子に流れ込んでいくのを自覚した。
「じゃあ、後で着せてあげるね。」
「うん。ありがと、おにいちゃん♪」
 何の疑問も持たずにシンジに手を取られて立ち上がると、ハルナはベッドが置いてある部屋へと連れられて行ったのだった。
 ……シンジの理性のタガが外れた今、今日3回目になるコトが始まったのは、当然と言えば当然であった。


『はぁ……どうしてこんな目に遭わなきゃならないんだろう、僕……』
 シンジは、女性向け下着売り場の真ん中で密かに溜息をついていた。
 あの後、一緒に着替えなどの生活必需品の買出しに出かける事にしたのだけど、その最初の店で早くもシンジはKOされてしまいそうになっていた。
「ハルナ、やっぱり向こうで待ってても良いかな?」
「だめ。いっしょにいて、おにいちゃん。」
 随伴してくれている店員さんの押し殺した失笑が聞こえる気がするが、問題はそんなささやかな事ではない。
 今のハルナの服は、全部自分……シンジの着替えである。
 透けないように選んだ濃紺のTシャツや、無地の半ズボンはまだ良い。
 靴の代わりにサンダルを履いていて靴下を履いていないのも、まだ許せる。
 しかし、
 下着がブリーフだけという状況は、できればその場に居続けたくないと考えても恐らくバチは当たらないだろう。……全く下着を履かないよりは多少マシだろうと考えた結果なのだが、今になって考えればこっちの方が恥ずかしいような気にシンジはなっていた。
『店員さんのセールストークが、死刑台の階段のように聞こえるよ……はぁ。』
 ブラジャーの役割について懇切丁寧に教えてくれている横で、それをついでに聞かされているシンジは身の縮む思いを絶えず感じている。
『うう……前の学校で虐められていた時の方が、これよりは未だ居心地良かったな……』
 ……ま、ただでさえ男には場違いな場所であるから、身の置き所が無くても仕方ない。
 だが、これでも序の口であった。
 ようやくめぼしい下着を選び終わったハルナが向かうのはレジではない。
 そう、まずは試着室である。
「え、えとさ……サイズが合わなかったらまた買いに来ればいいんだから、すぐに買わない?」
「それだともったいないよ、おにいちゃん。」
 恥ずかしいとの理由で切り上げを目論んだシンジの発言は、ハルナの正論に正面から撃破されてしまった。
 そうして、試着室の中に消えるハルナであったが、ほどなく唸る声が中から聞こえ始めた。
「ど、どうしたのハルナ。」
「うまくきられないの……おにいちゃん、きるのてつだって♪」
「そ、そういう訳には……」
「てつだって♪」
「………………はい(うう、逃げちゃ駄目だ……ううっ……)。」
 周囲の目を気にしつつ、試着室のカーテンを潜るシンジ。最早、涙目だ。
 試着室を出る時、真っ赤になって俯きながら
『逃げちゃ駄目だ……逃げちゃ駄目だ……逃げちゃ駄目だ……逃げちゃ駄目だ……』
 シンジが必死に自己暗示をかけて、あまりの恥ずかしさに店を飛び出して逃げようとする自分を抑えきったことを褒めるべきだろう。
 何せ、レジでの決済はシンジがしなければならないのだから……。


「おにいちゃん、だいじょうぶ?」
「う、うん。大丈夫……。」
 気苦労でげっそりとやつれてしまったシンジと、終始楽しそうながらもシンジを心配してかはしゃぐ素振りの減ったハルナは、シンジの主観ではやっと我が家に帰って来た。
「ちょっと待ってて、今御飯作るから。」
 今日使う分を残して買ってきた食材を冷蔵庫に収納しながら言うシンジ。
「てつだおっか、おにいちゃん?」
「ハルナって料理できるの?」
「すこしならできるよ。」
「じゃ、ちょっと手伝ってくれるかな。」
「うん。」
 料理を始めてから数十分、シンジはハルナの手際の良さに感心していた。
「上手いね、いつもやってるの?」
「うん、うち……おかあさんいないし、おとうさんはごはんのときにはかえってこないから……」
「ご、ごめん……。」
「おにいちゃんこそ、どうしてじょうずなの?」
「僕も母さんがいなくて、父さんとも離れて暮らしてたから、料理とかの家事は慣れてるんだ。……ほとんど一人暮らしみたいなものだったからね。」
 苦笑混じりの答えに、悄然となるハルナ。
「…………ごめんなさい。」
「いいよ。僕の方から先に聞いたんだしね。……っと、できたよ。食べようか?」
「うん、おにいちゃん。」
 並べた食器に惣菜を盛り付け、炊いた御飯を買ってきた茶碗に盛り、味噌汁を御椀に注ぐ……昨夜のレトルト・インスタント・缶詰めの夕食とは格段に違う家庭の雰囲気がそこにはあった。
「う〜ん。作り過ぎたかな……。」
 品数はほぼ互角であったが……。
「おにいちゃん、はやくたべようよ。」
「そうだね。冷めたらもったいないし。」
 テーブルに対面する形で座り、
「「いただきます。」」
 行儀良く食べ始めた二人であったが、
「おいしい……おにいちゃん、おりょうりじょうずなんだね。」
 一口食べただけでハルナがどこかへ魂を飛ばしていた。
「ほんとだ……ハルナのおかげかもね。僕はこんなに料理が上手くないはずだし。」
 実際には、シンジは今まで“誰か”に美味しく食べて貰う為に料理を作った事が無いのと、本当に気の置けない相手と一緒に御飯を食べるといった経験が乏しい為に、今まで食事の味を目減りさせていただけで、本来これぐらいの腕はあるのだ。……プロのコックとしてやっていける程では無いにせよ。
 それが、ハルナという『家族(?)』を得て、一気に開花したという訳なのだ。
「ううん……ハルナもこんなにおいしいごはんつくれないもん……」
「そうなの?」
「うん。…………あ、わかった!」
「何? 何が分かったの?」
「おにいちゃんといっしょだから、おいしいんだ♪」
 シンジは顔から火が出そうになりながら、昨夜ミサトが夕食の時に言った台詞をしみじみ噛み締めていたのであった……。
『楽しいでしょ。こうして他の人と食事するの。』
 と言う言葉を……。


 楽しい食事の時間が過ぎ去ると、もう夜と言っても良い時間帯となっていた。
『う……朝早く起こされたから、もう眠いや……。』
 実際には、さんざん味わった気苦労や一食しか食べてないのに激しい運動をした疲労などが積もり積もったのであろうが、シンジの肉体は切実に休息を欲していた。
「僕、そろそろ寝るけど、ハルナはどうする?」
「じゃあ、ハルナもねる。」
 すっかり習慣化した動作で戸締りやガスの元栓などを点検するシンジ。
「あ、ハルナの部屋はそっちだから。」
「うん……」
「じゃ、おやすみハルナ。」
「……おやすみ、おにいちゃん。」
 ただ、シンジは予想して然るべきであった。
『ここも知らない天井か……当たり前か。僕の部屋と同じ間取りの部屋はハルナが使ってるしね。』
 なお、シンジが寝ているのは、ミサトの部屋ではミサトの寝室に当たる部屋である。
 シンジが寝ている部屋の扉を開けたハルナが
「おにいちゃん、いっしょにねていい?」
 と、聞いてくるのを。
 なお、ハルナはパジャマ代わりに、昼間に着替えとして渡していたシンジのTシャツをすっぽりと被っている。
 ……大き目なので、ずり下がりそうになっていたり、すそがスカートっぽくなっていたりするのが、尚更劣情をそそる風情である。
「え、ええと……」
「だめなの?」
「……分かった。良いよ。」
「ありがとう、おにいちゃん♪」
 ハルナは既に色々されたというのに、未だ無邪気さを保った微笑みを浮かべ、シンジのベッドに潜り込んだ。
『……う、この感触はまさか……』
 身体を摺り寄せてきたハルナの着ているものは……Tシャツ一枚。
 いや、より正確に言えば“Tシャツ1枚しか着ていない”のだ。健康な青少年が飢えた狼さんに変貌するには充分過ぎるほどの誘惑がシンジに襲いかかった。
「くっ……(逃げちゃ駄目だ…逃げちゃ駄目だ…襲っちゃ駄目だ…襲っちゃ駄目だ…)」
 滾るリビドーを抑えつつハルナの方を見ると……
 彼女は、もう眠りの世界に御招待されていた。
「そうか。……今日は色々あったからね。」
 その安らかな寝顔に毒気を抜かれ、シンジもまた睡魔の手に自らを委ねたのであった。
 暖かな温もりをその手に感じながら……。



福音という名の魔薬
第参話 終幕



 今回の題名はきのとさんにつけていただきました。あと、きのとさん、峯田さん、【ラグナロック】さんに見直しへの協力や助言をいただいております。この場を借りて感謝の意を表させて頂きます。どうもありがとうございました。
 あと、ハルナは自分の父親がネルフの研究所に勤めていると知っているので、家族に自分のことは伝わってると思い込んでます。

☆突発薬エヴァ用語集
 青方偏移(ブルーシフト):本SSでは、対象のATフィールドの波動が使徒のものに近付く変化を表わしてる言葉です。……と、無理に納得して下さい(笑)。

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