鬼畜魔王ランス伝

   第88話 「ヘルマン解放軍、南へ」
 
 良い値で売れるカラーを、そして如何なる宝石よりも価値があるパステル母子を万が一にも逃がさぬよう、ヘルマン解放軍のならず者達は北側からじわじわと包囲の鉄環を縮めながら進軍していた。
 主力であるヘルマン装甲兵が重装備の為に速攻に向かないと言う事。かと言って軽装備の歩兵のみで襲撃しても、少なくとも数千のモンスター兵が待ち構えていると予想される魔王軍のカラー族防衛隊とぶつかっては勝ち目が薄いと判断された事により、遅攻策が採られている訳なのだ。
 敵がいると思われる辺りで謎の大爆発が巻き起こったり、敵が送って来た援軍を壊滅させたと言っても、相手は魔人に率いられたモンスター軍と恐るべき呪いを操るカラー族である。決して侮って勝てる敵では無い事が、ヘルマン解放軍の兵士一人一人の骨身に染みて悟られていたのだ。
 しかし、本隊に先行して敵の様子を探る斥候兵たちから、急遽遺棄されたと思しき屯所跡を幾つか発見したとの報告が入ってからは……
「全軍急速前進! 一人たりとも逃がすな!」
 一気に全速での行軍に変わった。
 流石に走り出しこそしないが、大勢の兵士の大股で早足な歩調が、地面をリズミカルにドラミングして閑静な森の只中に重低音を響かせる。
 そう。
 ヘルマン解放軍の将軍達は、カラー族が森を捨てて逃げ出した可能性に気付いたのだ。
 もし、パステル母子を確保するのに失敗したなら、ヘルマン解放軍はとんでもない苦境に立たされてしまう。
 現在、ヘルマン解放軍の拠点はラボリ1都市だけである。
 この街は要害の地では無いので、魔王軍が本腰を入れて侵攻して来たならば、とうてい支え切れないだろう事は火を見るよりも明らかであった。
 また、交易物資の集積地点という訳でもないので、ヘルマン解放軍の万に近い数の兵を長期間支える事は不可能だろう。
 更に、ラボリの人口はたかが知れているので、兵力の大幅な増加も見込めない。
 ただただカラーの森を攻略するのに最も適した“地の利”を備えているというだけの理由で、ラボリを旗揚げ場所に選んだのだ。
 現有兵力では、魔王軍とまともに戦っては勝ち目など有り得ない。
 その容赦の無い現実を、先日の魔王軍のヘルマン侵攻によって嫌というほど良く思い知らされてしまっていたのである。
 地を踏み締める一万八千の軍靴に、
 将軍達が声高に下す命令に、
 ここが天下分け目であると言わんばかりに必死さがこもる。

 だが、彼らヘルマン解放軍には、自分達がいかに後ろめたい行為に及ぼうとしているかの自覚はなかったのだった。



 魔王城。
 その巨大な城に見合う広大な玄関ホールの一角に、
 高価な防弾防刃耐魔法ガラスの分厚いケースに入れられた水晶球が陳列されていた。
 陳列ケースが設置されている床には複雑怪奇な魔方陣が敷かれ、侵入者を拒むように設けられた二重の柵の内側には弱い電撃が走っている。おまけに、迂闊に中に踏み込めば非常ベルが鳴り響く仕掛けになっているのだ。
 これほどに厳重な警備システムに守られ、陳列されているモノは何かと言えば……
 それは、

 人類最凶の生物、小川 健太郎。

 彼が封じ込められた水晶球であった。
 また、二重の柵の間に立てられた看板には、彼の罪状がでかでかと明記されていた。
┌───────────────────────────┐
│                           │
│     重犯罪者  小川 健太郎          │
│                           │
│  右の者、殺人、殺人未遂、強盗、強姦、建造物損壊、 │
│ 人肉食、女の子を泣かせた罪、俺様に逆らった罪によっ │
│ て、晒し者の刑に処す                │
│                           │
└───────────────────────────┘
 と。
 これが決して楽な刑罰でないのは、何か人型のモノが内に封じられていると判別できる水晶球の内に、苦悶の表情を浮かべてやつれ果てている健太郎の表情を遠目からでも何とか読み取れる事から分かる。
 もしかしたら、安易にバッサリ殺ってしまうよりも惨い刑罰なのではないかと、日光に連れられて健太郎を封じた水晶を見に来た美樹は感じていた。
「日光さん。アレ、何とかならないの?」
 さすがに可哀想になったのか、美樹が傍らから訴えかけてくるが……
「いえ。どうにもなりません。ランス王の言によれば、刑期は元の世界へ強制送還するまでの半月あまりだとか。健太郎殿が今まで犯してきた罪を考えれば、これでも軽い方だと言わざるを得ません。」
 日光は、その訴えを一刀両断に切り捨てた。
 死罪になっても当然過ぎるぐらいに無益な殺戮を繰り返し、挙句の果てには護るべき対象だったハズの美樹にすら刃を向けたのだ。
 日光の健太郎に対する思いは、とんだ見込み違いだったという失望感も手伝って、液体ヘリウムに漬け込んだぐらいに冷え込んでいる。
 その延長線上の発言だったのだが、
「王様が言うなら……」
 実にあっさりと納得されてしまった。
 ランスの名を出しただけで、こうまであっさりと納得すると言う事は……明らかにランスへの精神的な依存が進んでいるという証拠である。こんな状態で元の世界へ帰って大丈夫なのだろうかと、日光は心配で顔を曇らせていたのだった。


 一方、カラー族とその護衛部隊は、クリスタルの森を西へ西へと急いでいた。
 道無き道を行く為に荷車を放棄したので、手持ちの食料はおよそ3日分しか無い。
 それだけの時間で、最寄りの大所帯の補給ができそうな場所…このルートだとカスケード・バウ…にまで到達するのは、かなりの困難が予想された。
 しかし、軍事教練を受けた屈強の戦士という訳でも無いカラーの面々がそれ以上重い荷物を担いで歩いたならば、当然ながら歩速は落ちてしまうだろう。最悪の場合、脱落者が続出する事も有り得る。
 とは言え、メガラス配下のホルス兵の一部を伝令として先行させてあるので、飢える心配の方はあまり無い。
 やはり心配と言えば、とっくの昔に到着しているはずの援軍が着いていないと言う事であろう。何せ、魔王様から直々に『急いで援軍に向かうよう命令された』と、メガラスが援軍を率いる魔物将軍たちに伝えておいてあったのだ。のっぴきならないトラブルが起こったとしても、何らかの連絡なり何なりが着いていなくてはおかしいのだ。
『これは、まずい事になっているかもしれませんね。』
 と考えたケッセルリンクの頼みで、サイゼルとハウゼルの姉妹が殿としてカラーの集落跡に残る事になった。
 集落の跡にまで敵が来てしまった場合、一行が大人数で歩いて出来た道を辿れば、難無く追い付けるだろうからだ。……さすがに総勢7000もの大人数ともなると、通った跡を偽装して隠すのは不可能と言っても良いぐらい困難である。
 それで、機動力があって戦闘力も申し分無い二人に残って貰っていると言う訳なのだ。
「ヒマだね〜、ハウゼル。いっそのこと帰っちゃおうか?」
「駄目よ、姉さん。私達が帰った後に敵が来たりなんかしたら、魔王様にどんな目に会わされるか……」
 この状況で職場放棄したのが知られてしまったのなら、愛しい姉と離れ離れにさせられるのは充分考えられた。更に、それでパステルかリセットのどちらかに害が及ぶような事態になってしまえば、二度と会う事すら許されないだろうとハウゼルは予測していた。
 何としても、そんな事態になるのだけは避けなくてはいけない。
「あ、そうか。ごめんね、ハウゼル。」
 悲壮感で眉根が寄せられた妹を見て同じ結論に達したのか、それとも単に愛しい妹に苦しげな表情をさせたのが心苦しいのか、サイゼルは即座に謝った。
 が、ハウゼルの表情は一向に冴えない。
「……ハウゼル?」
 静かに目を閉じ、姉の呼ぶ声をも意識から締め出して、耳から入って来る音の選り分けに集中する。
 小川のせせらぎ、木々のそよぎ、そして……たくさんの軍靴の音が。
「大変! 姉さん、敵が北から来る!」
 音からして直ぐに来ると言う訳ではないだろうが、確かにたくさんの軍靴が地を叩く音だ。であるからには、来るのは援軍のモンスター軍ではありえない。モンスターは揃いの軍靴など履かないから、どうしても足音にばらつきが出るのだ。
「え! 本当!? ……大変!」
 妹に遅れてサイゼルも気付いたようだ。見る見るうちに顔色が蒼ざめる。
 味方は、幾ら魔人とは言え二人。
 敵は少なく見積もっても数千人。
 愛用の武器…魔道ライフル…の代わりは未だ調達できてないし、失った部下の補充も全然進んでいない。
 “絶対加護”の法則があるので自分達がダメージを受ける事はないだろうが、この戦力差で敵の足止めを図るのは難しいとしか言い様が無い。
 しかし、
「行くよ! ハウゼル!」
「ええ、姉さん!」
 ここは行くしか道は無い。
 そうでなければ、残った意味が無いのだから。

 両の翼は風を切り、木立の間をすり抜けて細身な身体を軽快に運んで行く。
 森の中という事で飛速が落ちていたにも関わらず、人の足では数時間もかかる距離をわずかな時間を飛び抜けた姉妹は、遂にむさ苦しい軍兵の群れにぶち当たった。
「そこの連中! とっとと帰りなさい!」
「今なら、まだ間に合います! お帰り下さい!」
 空中から放たれた警告に対する答えは、
 山ほど放たれた弩の矢と、無視して突き進む兵達の人波であった。
「そういうつもりなら……白冷激!」
「仕方ありません! 火爆破!」
 悲しげな表情を浮かべたハウゼルと、そう来なくちゃと逸るサイゼルは、人波に立ちはだかるように降下して魔法攻撃を開始した。
 愛用の魔道ライフルが無いせいで、いつもより1段階低位の攻撃魔法を使う破目になってしまったが、それでも呪文の威力は並みの魔法使いの攻撃を遥かに上回り、たちまち二種類の死体の山が築かれる。
 また、分厚い装甲に任せて魔法に耐えたヘルマン兵達が二人の魔人に殺到するが、絶妙のコンビネーションから繰り出されるキックの雨が次々に兵達を沈黙させて行く。
 空を飛べる利点を生かしてヘルメットごと頭を蹴り飛ばしてしまえば、例えヘルメットを破れなくても首の骨の方が持たない。それに、蹴倒される身体そのものが凶器と変じ、後続の連中を襲うと言った副次効果もある。
 瞬く間に軽く三桁に達する犠牲者を量産されて、重武装のならず者達は思わず足を止めてしまった。
 が、
「左右に散開して進め! 敵は少数だぞ!」
「弩部隊、敵の動きを押えろ! 第二装甲兵中隊は、ヤツらを食い止めろ! 後、誰でも良いからアレを準備しろ! 急げ!」
 ヘルマン解放軍の将軍たちも負けじと檄を飛ばし、指示を下す。
 容赦無く放たれる飛礫が二人に次々と横殴りに降りかかり、視界を奪う。
「くっ、生意気な。たかが雑魚の分際で、邪魔だったら!」
 通り易い小道を外れて散開し、バラバラにカラーの集落跡地に向かうならず者達。
「しまった。二人じゃ、防ぎ切れない……。」
 次々と凍死させ、焼死させ、蹴殺しているものの、ならず者は後から後から湧いて出て来て、一向に途切れる気配が無い。
 そして、遂に……絶対防御を誇る魔人にも通用する武器が持ち出された。
「わぷっ!」
「ね…姉さ……きゃあ!」
 それは……投網であった。
 カラーや女の子モンスターの密漁に良く使われる、人間大サイズの獲物を捕獲する為の特大の投網である。
 幾ら魔人がダメージを受けないとは言っても、物理的に拘束される事までは防げない。
 また、森の中というのも姉妹にとっては不利に働いた。
 いつもなら、こんな物は軽くかわせるのであるが、立ち並ぶ木立ちに阻まれて回避し損なってしまったのだ。
 一人を抑え込むのに数十人がかりという有様であったが、とうとう二人の身動きは封じられてしまった。
「こんな網など、炎の矢! ……切れない?!」
 ハウゼルが網の結び目に向かって攻撃呪文を放つが、縄には毛ほどの焼け焦げもつかない。
「ふっ、諦めるが良い。この網は、邪悪な化け物を捕える為に作られた聖なる縄でできている特製の品だ。そう簡単には切れないし、燃えもせんよ。」
 尊大な口調で勝ち誇ったヘルマン解放軍の将軍の一人は、
「何を偉そうに! 白冷激!」
 切れかけたサイゼルの怒りの一撃によって、不恰好な氷像と変わった。
「ええい離せ! 白冷激! 白冷激! 白冷激! 白冷激!」
 更に、網を押えている兵士たちに魔法を連発するサイゼル。
「では、こちらも…火爆破! 火爆破! 火爆破! 火爆破!」
 それにハウゼルも同調して魔法を連打する。
 しかし、
「死体を網の上に投げ捨てろ! 急げ!」
 敵の将軍の沈着冷静な対応が、状況を更に悪化させる。
「むぎゅ……」
「わぷっ……」
 重い鎧を着けた大柄な男達だったモノが積み上がると、二人の魔人は即席の塚の下に押し潰された。

 こうして、ヘルマン解放軍は二人の魔人の守備陣を突破し、心置きなく先へと進軍する事に成功した。
 しかし、それが彼らにとって地獄へと続く扉を開く選択だったと気付いていたものは、今この時には存在していなかったのだった。

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 ヘルマン解放軍……最初は単なる雑魚の予定だったのだけど、意外に健闘してます。まぁ、頑張ったからと言ってどうなるものでもないかもしれませんが(笑)。
 果たして、サイゼルとハウゼルの姉妹はこのまま漬物と化すのか?
 それとも、雪辱の第二ラウンドが始まるのか?  ……は、まだ決めておりません。
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