鬼畜魔王ランス伝

   第46話 「翌日」

 そもそもの発端は、魔王城防衛戦の後、ランスが「疲れたから寝る」と言い出して、まだ日も高いうちから寝室に引き上げた事であった。その時は、皆も事態を深刻には考えていなかったのであるが……。
 翌朝、ホーネットは政務のためにランスを起こしに行った。
 これは別に特別な行為ではなく、ほとんど毎朝の習慣と化した行動となっていた。ホーネットが担当しているのは、単に魔王城にいるモノで彼女以外にこの任に耐える者がいないというだけである。一度、サテラがこの役をやりたがったが……起床時間を聞いた途端にパスしたという不名誉な記録を持っている。実際、寝起きのランスを起こそうとした場合、美女ならベッドに連れ込み、それ以外なら只では済まないどころか命の危険すらあるという事は、既に嫌と言うほど証明されている。リーザス王時代でも、平時の場合は朝に起こす事はマリスにしかできなかった程である。……殺気や兵気には熟睡していても反応する癖に。ホーネットでさえ3回に1回は失敗する困難な任務である。
 そういう訳でホーネットはノックをしてからランスの寝室の扉を開けた。すると、奥から弱々しい声が聞こえてきた。
「ぐぐ……頭が痛てえ……」
「魔王……様?」
 その声はいつもの荒々しい迫力を失ってはいるものの、ランスの……魔王様の声に間違いは無い。慌てて周囲を見回したホーネットが見て取った状況は以下のようだった。
 魔王様はだるそうに寝ている。
 同衾している女性(日によって複数)は見当たらない。
 豪快な寝相のハズの魔王様が、寝具の真ん中辺りで普通に寝ている。
 細かく震えているように見える。
 寝汗が凄いらしい。
 枕元に寄ったところで、次の声が漏れた。
「寒い……」
「寒い、とは……」
 いくら冬とはいえ、魔王の寝室であるからには充分な暖房がなされている。その辺の事を確かめると、火照っているかに見えるランスの額に手を伸ばす。
「熱っ!」
 触れただけでも熱いと感じるほどの熱だ。思わず手を引っ込めて、もう片方の手で押えて冷しにかかる。
 魔王が体調を崩すなど普通はありえない。あえて挙げるなら魔王としての寿命が終わる時ぐらいなのだが、どうもそれらしい症状ではない。
「これは……医療の専門家を呼んだ方が良さそうですね。」
 元々魔人の世界には病気が少ない。いや、病気にかかるような個体は、自力で回復しない限りは淘汰される運命にある。魔王や魔人、使徒などの支配者たちは、そもそも病気自体にかからない……ハズだった。
 つまり、魔物の世界には病気を治す為の専門家はいないという事である。従って医療関係者は必然的に人間の世界から連れて来なければならない。
「リーザスに連絡した方が良さそうですね。」
 部屋を辞去した後でホーネットが呟いた一言をランスが聞きとがめていたならば……いや、それでも後々起こるであろう事を防ぐ事は出来なかったろう。
 メガラスに医療関係者の送迎を依頼すると、ホーネットは政務に立ち戻っていった。
 魔王ランスが不在ならば、彼女の仕事は増えこそすれ減る事は決してないのだから。


 魔王病臥。この情報は瞬く間に魔王城全域に知れ渡った。
 そして、その情報を聞きつけた一人の馬鹿が、ここ魔王の寝室にやって来ていた。
「そんなの簡単よ。熱があるなら冷やせばいいのよ。スノー…」
「駄目っ!!」
 身を呈して庇ったハウゼルのおかげで、サイゼルのスノーレーザーは未然に防がれた。
 彼女は、姉が魔王の元に向かっているのを見つけたので、念の為にその後を追っていたのだったが……どうやら、彼女の危惧は杞憂ではなかったようだ。
「何で止めるのよ、ハウゼル。」
「何でって……姉さん。今、自分がしようとした事の意味分かってる?」
「意味って……あ!」
 その意図はどうあれ、魔人が魔王に向けて攻撃しようとしたと取られても文句が言えない状況である。魔王様の意向次第では粛清される事すらありえる。いや、普通の魔王が相手であれば間違い無く処刑されているだろう。今更気付いてガタガタ震え出すサイゼルであったが、救いの声は標的にされた男本人からもたらされた。
「枕元でキャンキャン騒ぐな。今なら見逃してやるから、とっとと出てけ。」
 頭を押えながら苦々しげに言うランスに頭を下げながら、ハウゼルは姉の手を引いて退出した。
「お騒がせして申し訳ありません魔王様。では、失礼いたします。」
「ごめんなさぁい。」
 姉妹の対照的な謝罪の言葉と頭痛と倦怠感のせいか、それ以上は追求しなかったランスであった。

 その頃、サテラは……
「あ〜〜〜、看護用ガーディアンって……何させて良いかわかんないぃぃぃ!!」
 良く捏ねた最上質の粘土の前で煮詰まっていた。
「サテラサマ……」
「もう! シーザーは黙ってて!」
 何とかフォローしようとするシーザーも、意見や助言を述べる前に黙らされてしまう。
 相当煮詰まっている証拠であるが、こういう時は何事も上手くいかないもの。
 案の定、両手で頭を抱えて突っ伏してしまいました。
 頭、大丈夫なんでしょうか? さっきまで粘土を捏ねていた手ですけど……

 他にも何人もの魔人・使徒・魔物・人間がランスの手当てを試みたが、結局出来た事といえば、こまめに氷嚢を取り替える事と、寝汗を拭く事、そして……添い寝をする事ぐらいであった。
 この手詰まりっぽい状況は、メガラスとホルス部隊が2人の女性を連れて来た夕方近くまで崩す事が出来なかったのだった。


 一方、ゼス王国では。
 ドラゴンが戦線離脱して対空戦力が激減した闘神都市群の戦力整備を進めると共に、領内や周辺地帯にいる魔物の掃討を始めていた。
 登山道を閉ざし、ハイ・ドラゴンの守護者が空を舞う翔竜山には流石に手を出せなかったが、聖女の迷宮は掃討対象となっていた。
 なお、この魔物掃討戦の主力が奴隷兵である事。
 戦死者の遺体はできるだけ防腐処置をした上で後送する事。
 戦功をあげた奴隷兵は市民権を得る事が出来ると布告された最初の戦いとなった事。
 そのような特徴のある戦いであったが、戦術的には大して見るべきものはなかった。手枷足枷の鎖から解放されたとはいえ、奴隷兵による人海戦術である事には変わりはないのだから。


 メガラスが連れて来た女性2人、リーザスから派遣された医療スタッフのうち一人は、アーヤ・藤の宮という女医であった。リーザス王時代のランスの主治医でもある。彼女は手早く診察を終えると、
「あ〜〜〜これは〜〜〜〜過労か〜〜自律神経失調か〜〜〜いずれにしても、恐らくは〜〜〜心因性のものですね〜〜〜」
という診断を下した。
 闘神都市Ρ(ロー)とΒ(ベータ)の破壊の為に少々無理をし過ぎたのが祟ったのか、この頃の精力的な『夜の』活動が祟ったのかどうかは分らないが。
 ともかくも、休養こそが大事と云う診断が下り、“安静治療”が採られる事になった。
 だが、しかし、その“安静治療”を妨害する要因が看護婦姿でやって来ていたのだ。
「ダ〜リンの休養の邪魔しちゃ駄目! さあ、出てって、出てって。」
 見舞いや報告などの目的で来ていた人間を軒並み追い出したリアは、久しぶりの2人きりの状況を満喫していた。
 そう、もう一人の医療スタッフとは仮の姿。元リーザス女王にしてランスの妻、魔人マリスの使徒、リア・パラパラ・リーザスその人である。
 甲斐甲斐しく夫の世話を焼きたがる姿は可愛げがあるが、いささか困ったちゃんな性癖と自己中心的な性格を持つのも厳然たる事実。
 ランスにとっては相手するのにも疲れる人種なのだが、よりにもよって専属看護婦としてベッドの横に張りついているのである。休養も何もあったもんじゃない。
 だが、そんな状況に気付いている者は……抵抗する力も尽きかけているランス本人だけだったりする。
「リア、お前も出てけ。」
「病人を一人にする訳にはいかないもん。」
 言い争いをする気力にも不自由しているランスは、浅い眠りに落ちていった。
 夢の中にまでリアが出て来ない事を願いつつ。


 魔の世界の荒野を行く旅人がいる。
 洗っても落ちない汚れで、どす黒くなった衣を着た、
 闇より深いオーラを放つ剣を抜き身で持ち歩く男は、
 天の御使いの導きによりて北西に進路をとっていた。
 荒野に待ち受ける危険のどれよりも危険な男は、敢えて街道を無視して進む。
 今、出会う訳にはいかない敵から身を隠す為に。


 控えめなノックの音に答えたのは、乱暴に開けられたドアの音と罵声一歩手前の怒声だった。
「ダーリンは寝てるんだから静かにして!」
「お前の方がよっぽどうるさい、リア。」
 部屋の奥から聞こえてきた声は、リアの剣幕を粉々に打ち砕いた。
「だって……だって、だって、だって……」
 ふらふらの足で何とかドアの所まで歩いて来たランスを見て、来客……美樹と日光は自分達の予測が正しい事を知った。
「魔王でもなくなった只の小娘が、今更ダーリンに何の用なの!?」
「いいから…リアは黙ってろ……」
 リアの投げつけた毒舌の矢でよろめきそうになりつつも、ランスの援護もあってか何とか踏み止まる美樹。そして、美樹の後ろから睨みつけた冴え冴えとした視線がリアの動きを縫い止めた。
「あの……これ、今の王様に必要だと思うから……」
 オズオズと差し出されたそれは……
 ヒラミレモンであった。
 ランスは鷲掴みに受け取ったそれを口元に運び、握力で握り潰して搾り汁を啜った。
 すると、
 見る見るうちに回復した。
 見ている方が呆れる程の速度で。
「がははははは、ふっか〜〜つ!!」
「早っ!」
「王様……良かった……」
「がはははは、サンキューな美樹ちゃん。でも、どうして分かった? 俺様でもヒラミレモンが要るなんて、それを見るまで気付かなかったぞ。」
「だって……ヒラミレモンが切れて魔王の血に目覚めそうになったわたしに似てる気がしたんだもん。」
 ヒラミレモンは魔王の血を抑える効果のある伝説の果実で、美樹はこれのおかげで魔王としての覚醒を免れていた。リーザスの資力で定期的な購入が可能になるまでは、何度か危ない状況もあったのだという。
 そんなこんなでランスが魔王としての力を使い過ぎて暴走しかかっていると予測した美樹は、護衛役となった日光を連れて世界で唯一のヒラミレモンの自生地サーレン山にまで採りに行っていたのだ。
「さあ、風呂に入って寝るぞ。御褒美として久しぶりに添い寝してやる、がはははは。」
 無茶な強行軍で疲労困憊している美樹を気遣ったのか、ランスは美樹を抱き上げてここを立ち去った。
「あ〜! ダーリン、あたしの立場は!」
 と、わめくリアを残して。


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 45話の終了時点ではコンセプトさえ決まってなかったこの話。ランスの動きがないので筆も進まず苦労しましたが、何とか出来ました。
 看護に奔走する皆様のドタバタぶりが上手く書ければ、なお良かったとも思えますが腕とサイズの問題で断念せざるを得ないとは痛恨の極み(笑)。
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