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‥とゆうか、もはやこれのどこがエヴァなのかと
 
 
この物語は USO氏 きのとはじめ氏 T.C様 の作品と世界観及び登場人物の一部を共有しています
 

 
 
平行世界GS9031 地中海沿岸 某都市の市街
 
 
栄えある数千年の歴史を持つ都は、最後の時を迎えようとしていた。
 
既に市街のあちこちで火の手が上がり、急速に燃え広がりつつある。
火事を消そうとする住人はいない。
恐慌状態の住人達は ただひたすら逃げ惑うか、石畳に伏して『神』に慈悲を求めるか、とゆう無意味な行動しか取っていないのだ。
なかには剣を振るって事の元凶‥の手下どもと戦う者達もいるが、彼らの行動も勇敢でありはするが無意味なことに変わりはない。
 
 
雲一つない筈の空が陰っていく。
巨大な影が、都を覆い尽くそうと広がっていく。
 
市街を飲み込むように被さる影と競争するかのように、一人の少年が屋根から屋根へと跳び、走っていた。
都の住人達とは明らかに違うモノトーンの簡素な服‥黒ズボンに白い開襟シャツ、早い話が標準夏用学生服‥を着込んだ少年の頬を青白い光が照らし、数秒の間を置いて落雷の響きが鼓膜を揺さぶる。
 
少年‥もうすぐ12歳の誕生日を迎える予定である碇シンジは、市街地に軒を連ねる古い石造り家屋の屋根を必死に走る。
ただ歩くだけでも困難な場所を 疾走 と言ってよい、凄まじい速度で。
 
 
逃げ足の速さ。それは最も有効な護身術の一つである。
故にシンジは足が速い。42.195キロを2時間で、とまではいかないが5キロ程度なら8分台で走破できるのだ。
シンジは逃げていた。自分ではどうすることもできない脅威から、小さな命を守るために。
 
 
ぱらぱら と、小さくて硬いものが雨のように降り注き、銅版を葺いた屋根に弾かれた。
 
「あいてててててっ」
 
天気によっては、空から氷が降ってくることもある。それら氷の粒は小さければ霰(アラレ)大きければ雹(ひょう)と呼ばれる。
霰は当たると意外に痛い。雹ともなると怪我になりかねない。
氷の粒でさえも痛いのだから、これがもっと密度の高い物質‥例えば大理石とか‥の欠片だと洒落にならなくなってくる。
 
少年の頭から生温いものが流れ出して、髪を伝ってから風に飛ばされていく。
だがシンジの足は決して鈍らない。
恐怖が、内臓が凍りつくような恐ろしさがシンジの全身を駆り立てていた。
 
小さな、しかしよく響く泣き声がシンジの胸元から発せられる。
夏用学生服の胸元から顔をのぞかせる焦げ金色の生き物‥狐の子が発した警告の叫びを受けて、少年は大きく斜め横方向へ進路を変えた。
傾斜角度の大きな屋根を駆け下り、端で踏み切り跳んで隣家の屋根に飛び乗り、また走り出す。
 
ほぼ同時に 空気を抉り取る轟音と共に上空から落ちてきた直径五メートル、長さ40メートルはある大理石の柱が、大通りとその両脇にあった建物を叩き潰した。
瓦や石材の破片が屋根越しに飛び散り、そのうちの一つ‥長く鋭い破片がシンジの足元に突き刺さる。
 
進路を変えなければ、間違いなく破片の渦に巻き込まれていただろう。
破片でこのありさまだ、直撃した場所は阿鼻叫喚の地獄絵図だろう。
だが、気にする余裕はない。
今やこの都市全体が地獄へ雪崩れ込もうとしているのだ。落下被害に遭った場所は千や二千ではあるまい。
 
緑色に錆びた銅板屋根で灼かれた運動靴の底が溶けてべたつく。
気持ち悪いが路上を走るよりは余程マシだ。とゆうか下に走れるような余裕はない。
道は走れない。事故と災害と騒乱で、道路は至る所で寸断されている。
街道とゆう街道、路地とゆう路地は恐慌状態の避難民と暴徒と軍隊と異形の者どもで埋め尽くされ、押し合い圧し合いひしめき合い、多少なりとも暴力を振るう余力のある者どもが争っている。
だから、シンジは屋根の上を走っている。
 
 
ひた走りに走る少年の頭上では、数十キロ四方に及ぶ巨大な都市状構造物がゆっくりと崩れながら落下しつつあった。
山岳にも匹敵する質量が、巨大空中都市が、天使の住まう都が下界に落ちようとしている。
落下推定時刻まで 残り約15分。
 
巨大都市を空中に支えていた力場(バリア)が出力の限界に達し、電子の奔流となって弾け跳ぶ。
傾きながら落ち続ける崩れかけた空中都市と地上の都市との間に、何本もの稲妻が降りそして駆け昇る。
稲妻に打ち砕かれた空中都市の外壁が、大理石の塊が永遠の都と讃えられた都市に降り注いでいく。
 
まさに黙示録的光景。世の終わりを描いた絵画そのものの世界だ。
シンジは市街を覆う影に‥雷が纏わり付く空中都市の下に入らぬように、必死で走る。懐に子狐を入れたまま。
 
シンジの逃走は無意味ではない。シンジだけは、シンジと子狐とはぐれているシンジの連れだけは、この黙示録的破局から逃れる可能性があるからだ。
 
 
 
 
 
「見つけたぞ! 異界の者よ!!」
 
走るシンジに、何者かが急降下しつつ切り付けてきた。シンジは咄嗟に伏せて避ける。
手をついて転がり、勢いを利用して一回転しながら切り付けてきた相手の姿を確認、速度を殆ど落とすことなく起き上がり、再び走り出す。
 
切りつけて来た相手は、薄物を纏った長身の有翼戦士‥両手に短めの剣を携えた『天の者』だった。
シンジたちの頭上で崩れながら落ちつつある巨大都市の住人であり、この世界を支配していた『超越者』の下僕である。
 
「我等の目を盗み『地の者』を手懐けた手並み、見事と言っておこう。だが、旧き盟約を破りし報いは受けて貰うぞ!」
 
上空の城塞都市の戦から叩き出されたのか、体格の良い身体に幾つもの手傷を負う『天の者』は、走るシンジを飛んで追いかけ賞賛まじりの恨み言とともに再度切り付けてきた。
 
軍団(『G』)は この事態とは無関係である。
この世界を縄張りとしている超越者と何一つ約束した憶えはないし、シンジとその懐中の子狐は頭上の巨大要塞が墜落しかけている原因と全く関係がない‥筈だ。
 
この世界へは 只の野次馬としてやって来て、只の避難者として逃げ出そうとしているだけなのだ。
が、それを言ったところで通じる相手ではない。
天使とは融通が利かないから天使なのだ。模造品とはいえそのあたりは変わらない。
 
シンジはズボンのポケットから護身用の護符や小型手榴弾を掴み出して投げつけ、牽制するがあまり効果がない。
『天の者』は投げつけられた飛び道具を避け、あるいは剣で切り払う。
再攻撃のタイミングを若干狂わせ、なんとか避けることはできたが‥それだけだ。
剣が掠めた制服の背中が切り裂かれ、肩甲骨あたりに短い血の筋が浮かぶ。
しかも避けることに集中したために、肝心の足が止まってしまった。
 
『天の者』は 手持ちの飛び道具を使い果たしてしまったシンジからやや距離を取った。
両手に握る剣をシンジめがけて揃えて突き出し、短い気合を発する。
一拍遅れて二本の剣から稲妻が迸る。落雷のような轟音とともに青白い稲妻が学生服姿の少年を襲い‥寸前で弾かれた。
二本の稲妻は、いつのまにやら少年の肩に乗っていた子狐の二本の尻尾で散らされ、跳ね除けられてしまったのだ。
 
一人と一匹の周りにへばりついた球雷を尻尾を振って散らしながら、子狐は『天の者』を見上げ鼻を鳴らす。
 
「おのれ小癪な‥ ならば、これは避けれるかっ!?」
 
小動物に舐められて頭に来たのか、宙で羽ばたく有翼の戦士は大技を繰り出した。剣を持ったまま腕を肩の高さで水平に伸ばし、独楽のように回転する。
すると何の前触れもなくシンジの周りの空気が回転し始めた。
突然の旋風に肩の上から吸い取られた子狐を、シンジは咄嗟に両手で掴みとめ、胸に抱きしめて飛ばされないように庇う。
 
その間にも風の勢いが強まっていく。もはやつむじ風どころではない、竜巻並の勢いだ。
大の男どころか馬でも飛びかねない風速だが、シンジは重心を落として飛ばされないように踏ん張る。
年齢相応の小さな体格と年齢に釣り合わぬ高度な体重制御技術が、ぎりぎりのところでシンジを救った。
もし仮にシンジの身長があと五センチ高ければ、渦の勢いに吸い寄せられ天高く舞い上げられていただろう。
 
「これで、終わりだ!」
 
空中で回転を続けていた『天の者』は、水平に伸ばしていた腕を上げ頭上で両の剣を交差した。
上空へ向けて放たれた矢のごとく一気に飛び上がり、竜巻の上から渦の中‥漏斗状の隙間めがけて急降下する。
 
上方向から迫る必殺の人間‥いや天使ドリル攻撃を、シンジは避けることが出来ない。
ほんの僅かでも体重制御が狂えば、渦に吸い寄せられ巻き上げられ、上空に運ばれる途中で天使の剣に切り刻まれてしまう。
運良く剣を避けれたとしても、数百メートル上空まで舞い上げられてはお終いだ。
半年前ならともかく、今のシンジに翼は無いのだから。
 
 
緑の屋根が連なる市街に聳える 旋風の柱。
その根元で、少年は舞い降りる有翼の戦士を待ち受ける。
諦念ではない。
唯一の機会に、全てを賭けることを決めたのだ。
 
『天の者』との相対距離 あと200メートル
今のシンジは空気の檻に囚われている。脚力を限界まで振り絞っても、螺旋の空気檻は破れそうもない。
 
あと150メートル
強力な飛び道具があればともかく、素手対剣では分が悪すぎる。急降下攻撃を仕掛けてくる敵を撃墜できない。
 
あと100メートル
急降下攻撃を受ければ切り刻まれ、避ければ吹き飛ばされる。
 
あと50メートル
‥‥だが 
 
あと20メートル
シンジは諦めていない。
 
あと6メートルの時点で、シンジは疾った。子狐を胸に抱きとめたまま空気の檻に突進する。
重心が崩れた細く軽い身体は、ひとたまりもなく竜巻に吸い上げられ、宙に浮いた。
地上‥いや銅版屋根の上から3メートルほどの高さで、少年と有翼の戦士がすれ違う。
 
 
 
『天の者』はすれ違う瞬間に剣の交差を解き、少年に切りつけた。
同時に翼を広げ、周囲の風を翼に受けて減速する。速度を落とさねば屋根に激突するからだ。
上から勢い付けて舞い降りる『天の者』を、下から舞い上がる竜巻の力が相殺、減速させる。
 
確かに、相殺した分だけ竜巻の力が落ちる。
風力が落ち檻の強度が落ちれば脱出できる、と踏んでの行動だろうが‥ 竜巻とダイブ状態の『天の者』とでは運動エネルギー量が違いすぎる。
減速しきっても、竜巻の風力は大して落ちない。
旋風の檻に囚われた状態でパニックを起こさず、最も風力が弱まる瞬間を待ち続けた精神力はたいしたものだが、それでも軽く100メートルは飛ぶだろう。墜死は間違いない。
いや、すれ違いざまの斬撃を避けれなければ それで終わりだが。
 
 
 
翼もないのに、空中で避けられるわけがない。
そんなことはシンジにも分かっていた。分かっていても避けられないが。
避けれないなら受け止めるしかない。
シンジは宙で体を丸め、両足の裏で斬撃を受け止めた。
 
シンジが履いている運動靴の底は、防刃防弾衝撃吸収性に優れた特殊高分子素材で作られている。熱にだけはやや弱いが、至近距離から放たれた12.7ミリ機銃弾を完全に食い止める防御力を持つ。
今現在のシンジが身に付けているもので、『天の者』の斬撃を受け止めることができるのは、この靴底しかない。
 
次の瞬間、身体を勢い良く伸ばし 敵が切りつける力を利用して横方向へと跳ぶ。
 
スタート時の速力に、吸い寄せる竜巻の風力、切りつけた『天の者』の腕力、そして最後に加えられた全身のバネ。
四つの力の合計が、竜巻の拘束力を上回る。
 
シンジは地上6メートル付近で空気の檻を突き破り、脱出した。
子狐を抱えたまま宙返りを決め、銅版屋根に着地する。
この程度の高さなら身体のバネと靴底の樹脂だけで衝撃を吸収しきれる。転がって受身を取る必要はない。
元々身体が軽いことに加えて、竜巻に吸い上げられることを防いだ体重制御法とは逆の技術‥中国武術で言うところの軽身功が落下時の衝撃を最小限に抑えている。
 
空気の檻を破るために、シンジは『機会』を造った。
シンジが望み、造った『機会』は減速を見切られた『天の者』が、己のちっぽけな矜持を守るために不必要な行動に出ること。
『天の者』が斬撃を繰り出すことだった。
 
繰り出された斬撃を靴底で受け止める為に、シンジは竜巻の力を使って宙に浮いた。
『天の者』は切りつけたのではない。シンジに 切りつけさせられた のだ。
シンジは賭けに勝った。
勝利を疑うことがない『天の者』が、驕りのあまり蛇足に至る可能性に賭けて、勝ったのだ。
 
 
「小僧が!!」
 
はめられたことを覚った有翼の戦士が吼える。怒りのあまり集中力が途絶え、竜巻があっさりと消え失せた。
 
剣を振りかぶり、突っ込んでくる『天の者』に子狐は口から小さな火の玉を吐き出し、ぶつける。
しかし、子狐の火の玉はあまりにも遅く貧弱だ。『天の者』が振るう剣で容易く打ち落とされ、かき消されてしまう。
 
一拍遅れて、シンジも足元から拾った細長い石片を投げつける。
子狐に比べればマシだが、それでも『天の者』なら充分対応できる速度だ。
もう片方の剣で打ち落とす。
打ち落とせない。
宙を飛んでやって来る、シンジが投げた細長い石の欠片は剣が触れる寸前に90度回転して垂直から水平の状態となり、剣とすれ違うようにして防御をくぐり抜けたからだ。
 
「立てた」状態で投げた短い棒状の手裏剣が、途中で四分の一回転して「寝た」状態になる。
受ける側から見れば、「棒状」の飛び道具が途中で「点」に変わることになり、甚だ見切りにくい。
これが日本古武術の技、直打法である。
 
避ける暇もなく、尖った石片は『天の者』の左目に突き刺さった。
代用手裏剣を放つと同時に体を斜め横へとずらして斬撃を避けた少年の傍らを、有翼の戦士が通り過ぎる。
 
翼を広げて止まり、振り向いた『天の者』の石片が刺さった顔面めがけて、子狐が再度火の玉を放つ。
激痛と、何よりも遥か格下の相手に二度までも遅れをとった事実に集中力を途切れさせていた有翼の戦士は、子狐の追撃をまともに受けてしまう。
 
火の玉の威力は大したものではないが、無意味ではない。
髪と眉毛が燃え上がり、目玉が炎に炙られる。僅か数秒だが『天の者』の視界は完全に塞がれたのだ。
シンジは敵の視界が閉ざされた隙に乗じて すたすた と何気なく、殺気も無しに歩み寄る。
 
 
視界をふさがれた『天の者』が半ば勘で振り回す剣を避け、シンジは目の前を通り過ぎる剣を掴んでいる逞しい右手首に手を添えて、剣の持ち主が振ろうとしている方向へ思い切り押してやった。
押されて勢いが付き過ぎた剣は、持ち主が望むよりも手のひら二つ分ほど余計に動いて‥ 『天の者』の左翼に当たる。
ただ押すだけの、全く殺気が無い動き故に反応が間に合わなかったのだ。
 
翼に勢いあまった剣が当たっただけであり、深手ではない。
だがかすり傷でもない。
白い羽毛が飛び散り、血と肉片が付いた何本もの風きり羽が屋根にばら撒かれる。
 
シンジと子狐は、三度目の不覚‥苦痛と屈辱に悶え絶叫を上げる『天の者』に背を向け、再び走り出した。
遠ざかる足音の方向へ振り向いた有翼の戦士は、怒りのあまり先ほど防がれたことも忘れたのか、逃げていく少年の背に向けて稲妻を放つ。
 
だが、今度は子狐が防ぐまでもない。
放たれた稲妻は少年から家一軒分ほども離れた位置を空しく通り過ぎ、隣地区の教会まで飛んで鐘楼に命中した。
稲妻に打ち抜かれた鐘楼は砕かれ崩れ落ち、ちょうど教会前の広場で群集に向け『世の終わりと救済』について説法を傾けていた神父を、落ちた鐘と石材が押し潰す。
黙示録的天変地異に信仰心を少なからず揺るがされていた群集は、教会前で祈っていても『神の慈悲』が得られぬことを見せ付けられ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 
照準が、どうにもならぬ程に狂っている。狐火に炙られた片目では正確な狙いがつけられない。
 
 
 
『天の者』は、ひびが入るまで歯を食い縛り、怒りを堪える。
外見はか弱くとも、あの異界から来た子供と小動物は 冷静に仕掛けねば倒せない相手だ。
傲慢で融通が利かないのが基本属性だが、それでも『天の者』は戦士だった。学習しない戦士などいない。
 
‥冷静になって考えてみると、攻め手の殆どが封じられている。
稲妻は今しばらくまともに飛ばせない上に、防がれてしまう可能性が高い。
竜巻の檻は、発動から効果が出るまで僅かだが隙がある。もう一度効くとは思えない。
回転突撃は、傷付いた翼では真っ直ぐに飛べない。下手に突撃を掛ければ自滅する。
となれば、少々危険ではあるが接近戦を挑むしかない。
 
痛む翼を羽ばたかせて、『天の者』は敵‥一族と造物主の敵と誤認している少年と子狐を追う。
白と黒の不吉な衣を纏う少年は屋根の端から路地に飛び降り、教会前の広場へとよろけながら入った。
流石に疲労の限界だ。走れないことはないが数分前までの速度は出しようがない。
鐘楼の瓦礫に潰された不幸な神父と善男善女たちの死体を避けて、広場中央に転がっている鐘の傍で立ち止まる。
 
振り向いて、教会の屋根に立つ有翼の戦士を見上げた少年は、しつこい追手に拳を突き出し立てた親指を下に向ける仕草をしてみせる。
『天の者』は少年の挑発に不審な何かを感じ、辺りを伺う。伏兵はいないようだが‥
 
伏兵はいた。
 
上空から落下する、要塞外壁の一部。僅か数メートル四方の大理石。
だが遥か高みから落ちた重量数百トンの岩は、爆弾並の威力で落下地点‥教会を粉砕した。
 
砕け散る石材の破片が『天の者』の胴を貫き、翼をへし折り、崩れ落ちる教会の建材が手足を巻き込み瓦礫の下へと飲み込んでゆく。
有翼の戦士が不審を感じなければ、あるいは不審を感じたときに辺りを確認などせず、即座に離れていれば助かったかもしれない。
結局、彼は四度目も少年にしてやられたのだ。
 
 
 
で、直撃ではないにしろ危険範囲に入っていたはずのシンジと子狐は とゆうと‥
 
「う〜 耳がキーンっていってる‥」
 
岩の落下の煽りをうけて広場の隅まで転がった鐘の中から這い出していた。
子狐はシンジにはない超感覚で、どこに岩が落ちてくるのかが分かる。ただし混乱の極みにある街路を突破する脚力も屋根から屋根へと跳ぶ跳躍力もないので、自力では避けれないが。
 
しつこい追手を始末するために、落下予想地点まで誘導する作戦を即興で立てたのだが、無茶が過ぎたようだ。
大きな破片は鐘に潜り込んで防いだが、振動と衝撃は防ぎきれていない。まだ眩暈と耳鳴りが残っている。
 
 
鐘の淵に手をついて呼吸を整えるシンジに、広場から伸びる道を駆け抜けて一頭の騎馬が寄ってきた。
街路を塞ぐ横転した荷車を飛び越え、着陸点に置かれた樽を蹴り飛ばし、あちこちに転がる死体を踏み拉きながらやってきたのは葦毛の大きな牝馬、乗っているのは『G』のエージェントにしてシンジの護衛役。八部衆の一人、大上マサヤだ。
 
「遅いですよ大上さん」
「話は後だ!」
 
大上は手早くシンジと子狐を馬上に引き上げ、手綱を操り馬を元教会の瓦礫から駆け上がらせて隣の屋根まで跳躍させた。
馬は先刻までのシンジと同じように、屋根から屋根へと跳んで走り出す。
 
動きを見れば分かるとおり、この馬も普通の馬ではない。
外見は馬そのものだが、中身は機械。人造の骨格と筋肉と神経を人工培養した馬の皮組織で覆った、言わばアンドロイドの馬版なのだ。
 
機械馬は胴体内部の有機コンピュータが人間と念話で意思を通じ合うことが出来る。如何なる名馬と馬術の達人にも為しえない、人馬一体の動きが可能なのだ。
こんな馬でも使わないことには、混乱の坩堝と化した中世風都市の市街地を駆け回っての捜索などできようもない。
 
 
「あと5分‥切った 大上さん、このままじゃ‥」
 
大上の腕時計を覗いたシンジは、荒い息をつきながら次元門が閉まる時刻が迫っていることを訴える。
時速にして120キロは出せる機械馬だが、今の状況では蝸牛に乗っているのと同じだ。間に合わない。
 
「大丈夫だ、もっと速いのが迎えに来る!」
「速いの‥?」
 
程なく、迎えの姿が見えてきた。
マッコウクジラを連想させる、丸っこいくせに妙に空力特性の良さそうな緑色の巨体が空を飛んでやって来る。
やってきたのは剣と魔法の世界には場違いな、四発の大型飛行艇だった。
胴体に鮮やかな赤い丸印。尾翼には虎の絵に重ねて十二と漢数字が画かれている。
軍団所属の二式大艇M型機、『虎十二号』だ。
 
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーー!?」
 
悲鳴と歓声が入り混じった絶叫を上げるシンジに
 
「気にするな! ‥分単位の時間で新しい『次元獣』が来る訳がない!」
 
と、大上は怒鳴る。
本来、対象世界に存在しない代物は極力投入を控えるべきなのだ。地元住人の混乱を招くだけでなく敵対勢力や危険な超次元生物の注意を惹きかねないからだ。
しかし、背に腹は変えられない。と言うか既に『危険生物』が一匹来ているのだ、もう何匹か増えたとしても大差はあるまい。
 
四発の大型飛行艇‥『虎十二号』はシンジたちの後方でくるりと横転し、背面飛行に移った。
逆様のまま速度を落としつつ、接近する。
大上は拍車を蹴り込み、機械馬を限界まで増速した。速度差を少しでも減らす為だ。
 
 
馬と飛行艇、両者がすれ違う一瞬のうちに大上はシンジと子狐を抱えて『虎十二号』の天井に開けられた入り口から機内へと飛び込む。
飛行艇がめいっぱい減速していても数十キロはある速度差に、二人と一匹は機内の壁に叩きつけられた。
子狐をシンジが、シンジを大上が自分の身体をクッションにして守る。
 
回収目標を確保した飛行艇は再び半回転して水平飛行に戻り、天井の蓋を閉めた。
翼下のフロート(浮き)を切り放し、加速しつつ上昇する。
 
機体を叩く連続音。
宙を舞う破片と、闘いの流れ弾と、たまたま近くを通りがかった異形の戦士たちが放つ何らかの攻撃が飛行艇の外版に穴を開け、防弾ガラスにヒビを入れ、機体の一部を引っぺがす。
しかし飛行艇には反撃手段がない。速力を稼ぐために機銃も爆弾も、それらを操る人員も全部降ろしているからだ。
逃げるしかない。
 
飛んでいるうちに敵や落下物の密度が落ちたのか機体を叩く音が減ってきたが、そのかわりに機体が軋む音が大きくなっていく。
 
「第二空気弁開け」
「第二空気弁開きまぁ〜すっ」
 
増速。
 
「ロケットモーター点火」
「点火っ」
 
さらに増速。
操縦席から聞こえる操縦士と副操縦士のやり取りから察するに、飛行艇はレシプロ機の限界に挑戦する勢いで速度を上げているようだ。
 
しばらくすると加速が多少緩やかになった。子狐とシンジと大上にも、機内の壁から床に降りて座席に座る余裕ができる。
 
 
「ゲート確認!」
「誘導信号帯、波長合わせ」         
「宜候」
 
ようやく次元間の門が見えてきた。普段は何の変哲もない空間に見せかけているが、今は偽装が剥がされている。
虚空に空いた時空の穴から一筋の細い金色の光‥ガイドビームが伸びて、空中分解寸前の飛行艇を照らし出す。
 
青空の片隅に空いた漆黒の穴は、震えながら徐々に小さくなっていく。
穴の周りを 半透明で金属質に光る細長い大海蛇のようなものが飛んでいる。よく見えないが、あれこそが次元獣‥なのかもしれない。
 
「間に合いますかね?」
 
「さあな。 ‥食うか?」
 
座席に着いた大上はポケットから駄菓子の箱を取り出した。
間に合えば良し。合わねば機体が門に入りきらず分解するか、要塞落下時の衝撃波に巻き込まれるか‥その時は、末期の水ならぬ末期の駄菓子となるだけだ。
 
シンジは迫る次元門と門の周りを飛びまわる謎の生物を割れた窓越しに眺めつつ、大上が差し出した筒形の包みから、4〜5粒の糖衣されたチョコレート菓子を出して口中に放り込み、噛み締める。
 
チョコレートは涙が出る程、美味かった。
 
 
 
 
玄星軍団本拠地 西地区 白浜海水浴場 ‥の浜辺
 
 
「‥あー なんだ、俺らも相当無茶だが、上には上がいるよな」
 
「ホントですねー て言うか人間業じゃありませんよねー」
 
 
シンジたちが座る砂浜は、油くさい海水で湿っていた。浜に胴体着水した衝撃で、飛行艇から潤滑油が漏れているのだ。
幸いにも‥いや、操縦士の絶妙な燃料配分により着水時には一滴のガソリンも残っていなかったので、着水後砂浜に乗り上げて松林の手前でなんとか止まった『虎十二号』は燃えずに済んだ。
フロート(浮き)無し しかも翼は両方とも半ばで折れ その上機体は穴だらけの状態で胴体着水を決めた後、浜辺にどし上げて沈没を避ける。
機体は大破したものの、死傷者は無し。神業とは正にこの事であろう。
 
こんな人間が空母一隻分もいたらそりゃ伝説にもなるよな‥ と呆れ返るシンジの頭の上には、尻尾が二本ある狐の子がちょこんと乗っている。
尻尾の数からも分かる通り、この子狐はただの狐ではない。生まれながらにして強い妖力を持つ狐精の幼体、軍団首領である玄星の姪‥の孫かひ孫に当たる狐妖怪なのだ。
 
「何を言っておるのかね二人とも。こんなことが私にできるものか」
 
子狐を頭に乗せて座り込むシンジに、人の影が被さる。影の主は滝井ヨシロウ大尉、『虎十二号』の操縦士だ。
 
「出来るも何も‥操縦桿握ってたのはヨシロウさんじゃありませんか」
 
還暦を過ぎている筈なのに、背筋は伸び 動作は俊敏 髪は黒々 張りのある声、とおよそ年齢を感じさせるものといえば顔の皺ぐらいしかない老パイロットは大きく手を振り、シンジの言葉を否定した。
 
「全ては天照大神の御加護だ。天佑神助なくして『虎十二号』の帰還はかなわなかった」
 
そう言って滝井大尉は雲間からのぞく太陽に向けて拍手を打ち、恭しく一礼する。
 
「そうゆうものですか」
 
シンジは特にこれといった信仰は持っていないが、他人の精神世界秩序に口出しするつもりもない。
滝井が言うなら、きっと加護があったのだろう と受け入れておく。
 
 
 
 
別次元界における 『天下分け目の決戦』 を弁当でも食いつつ暢気に見物しよう‥などとゆう不埒な考えに罰が当たったのか、今日の遠出は散々だった。
 
まず 遠出に同行していた首領の親族に当たる子狐が、いきなり行方不明になった。
いなくなった子狐は人間で言えば幼稚園児程度の年齢だが、妖怪は妖怪。野良犬やヘボ猟師など敵ではない。
直ぐに見つかるだろう と思いきやこれがなかなか見つからない。
 
そうこうしているうちに地元勢力による天獄要塞の攻略戦が始まるのだが、何故か戦闘は予想をはるかに上回る規模と速さで展開し、要塞を包む結界は破れ、都の上空に現れた巨大要塞都市は浮力を失い、ゆっくりとだが落ち始める。
 
そこへ入った情報が、付近に次元獣‥次元間ゲートを支えるエネルギーを好んで吸収する超次元生物‥が出現した とゆうものである。
このままでは、ゲートは30分も持たない。
それ以上の時間が過ぎれば、良くてこの世界に島流し状態。
悪ければ墜落する要塞都市の爆発に巻き込まれて塵と化す‥ とゆう事態にパニックを起こした同行者たちを纏めて先に送り返して、シンジは大上とともに残り、決死の捜索に乗り出したのだった。
 
幸運の助けを借りて、連れ去られた子狐の行方を探り当てたシンジは市街職人通りの一郭に突撃。
錬金術師の工房に乱入して、怪しい液体が煮えたぎる鍋に浸けられる寸前の子狐を受け止め、誘拐犯の錬金術師が誰何の声を上げる暇も与えずに 掌底→金的蹴り→延髄打ち の三連撃を決めて打ちのめした。
 
師匠の仇とばかりに群がる錬金術師の弟子や人造生物を蹴散らして、工房から出た後はただひたすらに走り抜き‥ 今は砂浜で子狐を頭に乗せて放心している とゆうわけだ。
 
 
子狐は乗っかっている頭の上から肩に降りた。まだ放心している少年に、すりすりと頬擦りする。
少年がお返しに人差し指で子狐の喉や額を掻いてやると、子狐は猫のように目を細めた。
さらにお返し とばかりに子狐は少年の頬や唇を舐める。
 
 
「しかしお前、また妙なものを連れて来たな」
 
「え?」
 
戯れる子狐と少年を見ていた犬系の男‥大上はシンジの奥襟に手を伸ばし、なにやら小さくてぼんやりと光るものを摘み出した。
真昼の人魂とゆうかなんとゆうか、頼りなく光り儚く揺らめく小さな浮遊物を大上は摘み上げ 眺めたり匂いを嗅いだりして調べる。
 
「なんですか、それ?」
 
砂浜から立ち上がったシンジと、その肩に乗ったままの子狐と、滝井が興味深げに人魂じみた光り物に目を向ける。
 
「圧縮霊体状態の天魔だ。天獄要塞の動力炉あたりから零れ落ちたんだな」
 
崩壊しながら落ちていた巨大浮遊要塞都市のどこかから漏れた燃料の欠片が、何時の間にか襟首に入っていたのだろう。
 
「動力炉は‥人の魂を動力源にしてるんじゃ?」
 
死した後、選ばれし善良な魂のみが入ることを許される神の御許、幸福の都市。
しかしその実態は獄舎‥あるいは家畜の檻に過ぎない。
『死後の理想郷』に入ってしまった魂は食料となって『天の者』に食われるか、動力源として擦り切れるまで働かされるかのどちらかだ。
徹底的なマインドコントロールにより、理想郷に入れる魂はどんな目に遭おうと苦痛を感じないのが唯一の救いだろう。
軍団では揶揄を込めて、天上にある獄舎だから 『天獄』 と、『天の者』の要塞を呼んでいる。
 
「要は燃料になれば良い訳だ。役立たずや謀反を起こした天魔は焚きつけ扱いだな」
 
大上は摘んだ霊体‥元は『天の者』であったらしい幽霊もどきを握り潰そうとするが、シンジは大上の目の前に右手を突き出して制する。
 
「返してください。それは僕が拾ったものです」
 
「おいおい‥ 悪いことは言わんから止めておけ。犬や猫と違ってこいつらは懐かんぞ」
 
言ってる内容とは裏腹に、大上はあっさりと光量不足な人魂のようなものをシンジに返した。
光り物が手渡される様子を、子狐は 胡散臭い とでも言いたげな表情で見守る。
 
「来る者は拒まず。これも縁ですよ」
 
数年後、落ちているものを拾わずにはいられない とゆう陰口を叩かれることになる少年は、儚く光る拾い物を受け取り、胸ポケットに入れる。
この予期せぬヒロイモノは彼の人生に少なくない影響を与えることになるのだが、今現在の碇シンジにそんなことが分かる筈もなかった。
 
 
 
 
 
            新世紀エヴァンゲリオン パワーアップキット 第一部 外伝
 
                  『拾われしもの −僕−』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皆様お初にお目にかかります。私はソフィーティアと申します。
座ったままで挨拶とは不躾にも程がある とお怒りになられますでしょうが、私はただいま愛銃の手入れを致しておりますので、席を立つ訳にはまいりません。
どうか無作法をお許しくださいませ。
 
いえ、こちらのM1911は違います。よい銃ではありますが‥私の愛銃はこちらの回転式弾倉拳銃でございます。
 
口径20ミリ 銃身長150ミリ  5連発  総重量11.4キロ
 
ライスマッシャーとゆう名が付けられておりますこの銃は、シンジ様から頂いた銃のうちただ一つ名前が付いている銃なのでございます。
そして、私のためにシンジ様自らが設えてくださった銃なのでございます。
無論、シンジ様は概要をお決めになられただけで、図面は本職の方が引いております。
 
シンジ様のお好みでしょう、全体的に質実剛健と申しますか 簡素で丈夫な造りになっておりまして、マイナスドライバか丈夫なナイフが一本あれば分解も組み立てもできるようになっております。
 
ただ、この銃は頂いた当初は継戦能力に難がありました。と、申しますのも‥いかに優れた冶金技術を用いましても、耐衝撃性はともかく耐熱性には限界があるのでございます。
 
銃身が焼け付いた銃は使い物になりません。いえ、金属以前に弾薬の方が熱の前に持たないでしょう。
 
そこで、シンジ様のお許しを得て銃身と薬室に強制冷却装置を外付けし、銃把を延長して冷却剤タンクを内蔵する改造を施しました。これで百発連続で撃っても大丈夫です。
 
ただ冷却剤タンクを断熱材で覆うぶん、どうしても延長した部分が膨らんでしまいますので‥握る箇所が細くその下が太い形状になりました。
 
改造後の姿をご覧になられたシンジ様は『まるで月ウサギが持つ杵のような形だね』とお笑いになられ、この銃を『ライスマッシャー(餅つき器)』と名付けられました。
 
私は戦士ではありませんが、主のためとあれば喜んで戦いに赴きます。必要とあればこの餅つき器を振るって屍山血河‥もとい血餅肉餅を量産する覚悟でございます。
 
 
さて、銃と申しますものは、言ってしまえば『弾丸の発射機』でございます。
銃がいかに強力でも、弾が良くなくては意味がありません。
専用の20ミリ拳銃弾は私が充填機を使い、手作りで作っております。最近の機械はよく出来ておりまして、素人でも工程さえ守れば良い弾が作れるのでございます。
ただ、対ATF弾などあまりに特殊な弾薬は私の手には負えません。
そのような特殊弾薬は、残念ながら軍団の銃工房にお願いするしかないのでございます。
 
手入れ完了。あとは実験台の方が来るのを待つだけでございます。
 
 
               ・・・・・
 
 
玄星軍団本拠地 東地区 『碧水』射爆場
 
 
 
射撃・爆撃用の演習場上空で、白い軽鎧姿の偽天使が、肩から生えた人造の翼を羽ばたかせていた。
数分前、彼女にしつこく襲い掛かっていた猛禽類は追い払われている。
少なくとも視界範囲内にはいない。
 
偽物の天使‥ヒナが装備する白いウェットスーツ風のプロテクターには、肩当てに赤く光る大型の「栄41型」コア二基と、四肢を被う篭手とブーツに青く光る小型の「光22型」コアを四基、胴体の胸元、腹、背中の三箇所に同じく青く光る「光31型」を三基、合計9個に及ぶ擬似コアが取り付けられている。
 
鎧だけでなく、腰に巻かれたガンベルトも左右のホルスターに吊るされた短剣にも拳銃にも見える武器も、全て白を基調とした色合いで統一されている。
 
 
「水準機能始め感覚器に問題なし、ですぅ」
 
「よーし、では実験再開といくか」
 
光の翼を輝かせ射爆場に降り立つヒナの姿は、『天主』の力と栄光を示すべく下界に光臨した高潔なる天使‥ には見えない。
天使と呼ぶにはいささか暢気とゆうか温すぎる。‥と見てしまうのは堕天使ならぬ駄天使のひがみだろうか。
 
 
受講生の機能診断も無事終了。
講師サキと助手のソフィーティアによる、銃弾の避け方講座兼対ATF弾頭対策の試験が開始される。
 
 
両手に持ったM1911を交互に撃つソフィーティア。
 
「射撃戦において、俺やお前のような細く小さな体格(からだ)は有利に働く。敵が引き金を引く瞬間に30センチ横に動いておけば、射撃が正確であればあるほど命中しなくなる」
 
紅堂サキは解説しつつ、ソフィーティアが放つ45ACP弾を易々と避け続けている。
撃たれる前に銃口の向きから弾道を予測、ソフィーティアの動きから発砲のタイミングを読み取り、撃たれる直前から動き始めて銃弾を避けているのだ。
 
「生身の人間でも、素質と訓練次第でこの程度のことはできるようになる」
 
いつ如何なる時、如何なる状況でも‥とはいかないが、加持リョウジ級の使い手ともなれば銃弾の回避も不可能ではない。
 
「だが次の段階に到達できる者はそう多くない」
 
 
両手のM1911を撃ちつくしたソフィーティアは一旦射撃を中止して、弾倉を交換。30秒程の間を置いて、再び撃ち始める。
 
 
「弾速が360m/Sとして40メートル進むのに費やす時間は約0.11秒、なんとかこの間に弾丸を視認し動くことさえできれば‥発砲の後で避けることも不可能ではない」
 
サキは解説しつつ、先程と同じようにのらりくらりと銃撃を避けている。だが、今は撃たれた直後から動いて避けているのだ。
つまり、今のサキはどんな猛獣よりも早く反応し、速く動いていることになる。
生身の人間では、どうあがいても到達できない早さと速さ。
実際、この域に達した者には並の使い手は敵ではない。射的ゲームに出てくる間抜けなギャングと同程度の標的にしかならないのだ。
一対一なら‥だが。
 
「いくら拳銃弾が遅いといっても、弾幕を張られると厄介だ」
 
ソフィーティアは撃ち尽くしたM1911を置き、UZI短機関銃を構えた。禄に狙いもせず発砲する。
 
「こうなると一々避けるわけにもいかん」
 
うなる短機関銃。
サキは大きく動いて張られた弾幕の範囲外へと飛び出した。外れた9ミリ軍用弾が背後のワゴン車の外版に次々とめり込み、動くサキを追いかけて弾痕の列が伸びていく。
 
「砲口の旋回速度より速く動ける場合なら、このように回避できないこともないが、限界がある。物理的に動ける範囲が制限されることも多い」
 
弾が幕となって全域を覆うから弾幕と言う。どんなに速く動けても、避ける場所がなくては避けようがない。
 
「この点、ATフィールドによる防御の優位は今更言うまでもないな」
 
動きを止めたサキはATフィールドを展開。追いついた9ミリ軍用弾の列は光の波紋を残して不可視の壁に弾き返される。
 
「しかしATフィールドも完璧ではない。対抗手段は色々とある。対ATF弾はそのなかでも頻繁に使われる上に対処も容易ではない物だ」
 
ソフィーティアはUZIを置いて、S&W M66を構えた。六連発の弾倉には、実験中止前に込められた対ATF弾‥ATフィールドを貫く必殺の弾丸‥がそのまま入っている。
 
発砲。 必殺の弾丸が放たれる。
 
「ボディアーマーを始めとする直接的防御手段は信頼できる装備だが、やはり限界はある」
 
サキは穴だらけになってきたワゴン車の運転席側ドアを無造作に引き剥がした。そして、ドアを盾のように構えて対ATF弾を受け止めてみせる。
対ATF弾はATフィールドを打ち消し使徒に致命傷を与えるが、逆に言えばそれ以外の能力は通常の弾頭と変わらない。射程や威力に差があるわけではないのだ。
 
『矛盾』の古事が示すように、攻撃兵器と防御兵器の競争は果てしも無く続いている。
つまり拳銃弾から大型ミサイルまで存在する対ATF弾が、通常の攻撃兵器と同等の性能しか持たないとゆうことは‥ 対ATF弾を通常の防御兵器で完全に防ぐことは不可能だ とゆうことになる。
 
攻撃兵器を同格の防御兵器で防ぎきることはできない。そんなことが出来るなら戦争はとっくの昔にスポーツになっているだろう。
 
「避ける、装甲で止める、以外にも当たる前に打ち落とす、とゆう防御手段もあり得る」
 
ソフィーティアは 防弾処理された車両のドアを盾にするサキの顔面を、続いて足元を狙って撃つ。
弾道を見切っているサキは即席の盾を大きな扇のように振り回し、二発目三発目の対ATF弾が己のATフィールドに達する前に受け止めた。
 
「だがやはりこれにも限界はある。そこで第四の防御手段だ」
 
盾を放り出した標的の望み通りに、ソフィーティアは必殺の気合を込めて四発目の対ATF弾を放つ。
標的は発砲に合わせて右手を振り、何かを前方に押し出すような動きをしてみせた。
すると額中央を狙っていた筈の弾丸は、銃口と標的の中間で軽い爆発音と共に僅かに方向が逸れる。
逸れた弾は標的の頭部を掠めて背後の車両に命中した。標的から数本の鮮やかな赤毛が風に乗り、飛ばされていく。
 
五発目の対ATF弾も同じように弾道を逸らされ、命中しない。
 
「今のはATフィールドですか?」
 
「そうだ。四発目には高圧の空気を詰めたATフィールドの球を、五発目には逆に真空の球をぶつけて軌道を変えてみた」
 
対ATF弾に触れたATフィールドは消滅する。圧縮空気を詰めたATF球が対ATF弾により破れ中身が開放されれば、急激な気圧の変化に曝された弾は僅かにだが軌道が逸れるわけだ。
五射目への対抗手段として放った真空塊も、同じように気圧の力で弾道を曲げてみせたのである。
 
ATフィールドは対ATF弾と接触すれば破られ、消滅する。だがATフィールドによって作られたものは対ATF弾に触れても消滅する訳ではない。
 
サキの力は超速度や防壁としてのATフィールドだけではない。流体‥動き流れるものに触れ、操ることが出来るのだ。
名は体を表す。紅堂サキは使徒能力者‥暴風と洪水の使徒サキエルが人化した存在なのである。
 
「これ以外にもATFを応用した防御手段はある筈だ。この点、俺よりもお前の方がより研究のし甲斐があるだろうな」
 
模造品である擬似コアは出力・強度・耐久性・安定性などにおいて、本物に到底及ばない。
だが擬似コアは技術の産物であるが故に、改良を施す度に、運用経験を積む毎に、性能が向上し機能も拡大するとゆう長所がある。
まさに無限の可能性を秘めているのだ。
 
 
「さて、これで最後だ。最も有効な防御手段は‥」
 
少女の体躯に使徒の能力を押し込められた超常の存在は、ふわりと宙に浮いて飛び‥受講生であるコア使いの背後に降り立った。
 
「仲間を頼ることだ」
 
「え? え!?」
 
突然のことにうろたえるヒナの背後に隠れたサキを、ソフィーティアは最後の対ATF弾が残ったS&Wで狙う。
メイド服姿のモノはコア使いの肩口から覗く標的の顔めがけて、躊躇うことなく発砲する。
 
僅か数メートルの距離を対ATF弾は瞬時に飛び越え、そしてヒナの左手に掴み取られた。
 
 
「ひぃにゃぁ〜 今、手が勝手に動いたです」
 
「流石は最高級防具、たいしたものだ」
 
弾丸を手で受け止めたにも関わらず、驚きながら掌中の対ATF弾を見つめているヒナには全くダメージが及んでいない。
そして、ヒナに掴まれて音速からゼロ速度まで一気に減速された筈の対ATF弾は、サキのボディアーマーで受け止められた弾と違い、全く変形していない。
サキの掌を被う柔らかな素材が、衝撃を完全に吸収したのだ。
 
使徒能力者と同じく、コア使いも対ATF弾をATフィールドで防ぐことはできない。だがコア使いは人化した使徒と違い、対ATF弾に触れただけで致命傷になることはない。
 
ヒナが身に付けている白いウェットスーツじみたプロテクターは、元は玄星首領が作り上げた最高水準の防具であり、シンジが二年ほど前まで外出時に使っていた代物を仕立て直して作った物である。
 
「‥防具の性能だけではありませんわね」
 
ヒナの手を動かしてサキを守った咄嗟の判断力と動力は、ヒナが現在身に付けシンクロしている人造コアによるものである。
そして人造コアに搭載されている戦術プログラムは、ヒナの努力の積み重ねによってこの水準にまで鍛え上げられたのだ。
 
使徒の力と人の知恵を併せ持つ、生まれながらの戦士であるサキが 何故ゆえに頼りなさげな‥
只の鳶に追いかけまわされて泣いているような、ソフィーティアの感覚からすれば惰弱とすら感じられる娘を相棒(パートナー)と決め、一目も二目も置いた扱いをしているのか‥ 
と、少なからず疑問に思っていたわけだが、ヒナ とゆうよりはコア使いの能力を見縊っていたことを、ソフィーティアは今になって反省していた。
 
 
 
とりあえず、手持ちの対ATF弾を全て使ってしまったので、実験は終了。
青いメイド服姿の下僕は、超硬鋼製の銃剣と自慢の怪力を振るってワゴン車の車体やドアを穿り返してめり込んだ対ATF弾頭を取り出している。
回収した弾頭は軍団の工廠に持ち込まれ、再加工されて弾薬に戻る。対ATF弾は貴重品なのだ。
 
ヒナとサキの両名は手伝わない、とゆうよりも手伝えない。
対ATF弾はATフィールドを無効化する。つまり対ATF弾に触れれば超絶の戦闘力を誇る使徒能力者もコア使いも只の人。
特に手袋も付けていないサキの手は軽合金や強化プラスチックの破片ですら容易く傷ついてしまうだろう。そして傷口に対ATF弾頭が触れでもしたら大事になる。
 
程なく全ての対ATF弾頭が回収される。
回収した弾頭と実験に使った銃器を全て手提げ籠に仕舞ったソフィーティアは
 
「さて‥私は午後から所要で出かけますが、お二人は如何なさいますか?」
 
と訊いてみる。
 
「一度造技廠に帰って実験データの引渡しするです。あとお昼ご飯も」
 
「俺は『得物』の調達だ。シンジの刀も砥ぎから帰ってきているから、ついでにな」
 
応えながら黒髪の少女は光の翼を広げて宙に浮び、紅の戦士はワゴン車の荷台に千切りとられたドアを載せ、運転席に乗り込む。
 
そして三人の天使‥天使と偽天使と駄天使は暫くの間談笑してから別れ、射爆場を離れた。
徒歩と車と翼で。
 
 
               ・・・・・
 
 
2015年7月29日 午後1時15分 旧東京 練馬区月見台‥の一郭
 
 
セカンドインパクトの後、海水面は世界平均で約20メートル上昇した。
南極で溶けた氷の総量から換算するともう10メートル程上がる筈なのだが、そこまでは至っていない。
これはインパクトの際に水蒸気の一部が重力圏を突破して宇宙へ噴き出してしまったことと、海水面が上昇した結果内陸部の低海抜地帯へ海水が流れ込み、新たな湾や内海が出来上がった為だ。
 
日本列島もまた然り。
今や旧東京地区は海面上昇と地盤沈下の相乗効果により、その殆どが海の底だ。
旧練馬区一帯は比較的マシだが、半ば潮漬けになった街は急速に朽ち果てつつある。
 
 
 
足元で逃げ惑う船虫の群れを踏まないよう避けながら、ソフィーティアは半ば水没した商店街を抜けて住宅地跡に入った。
青い詰襟のメイド服も白いエプロンドレスも、碧水射爆場にいた時と変わらない。
左手に提げた籐細工のバスケットの中身も、変わらない。
 
 
瓦礫と空き地が連なる元住宅地のなかに、一軒の民家が建っていた。
いや、まだ崩れていないだけ‥と言った方が良いだろう。小さな二階建ての貸付住宅だった廃屋は、今や危険過ぎて玄関の戸を開くことすら躊躇われるような有様だ。
 
廃屋の前に、中背の中年男が立っている。歳は40過ぎ程、ややくたびれた三つ揃いのスーツ姿だ。
場所柄さえ考えなければ営業周りのサラリーマンの群れに容易く紛れ込めるだろう容姿と雰囲気の持ち主である。
男の足元では 数本の線香が湿った土に刺され、煙をたゆらせていた。
 
写真で見た若い頃と違って皺が出来ているし眼鏡もかけていないが、面影は充分に残っていることを確かめたソフィーティアは足を止め、男に声を掛ける。
 
「お初にお目にかかります。Mrパーフェクト」
 
1980年代末の米国で、出場した全ての大会で優勝した一人の少年がいた。
北米のシューティングマニアたちは、海を越えてやってきた少年の腕と偉業を称えて『完璧(パーフェクト)』の称号を送り、少年は英雄となった。
その後、祖国で詰まらぬ騒ぎに巻き込まれた少年は再び海を渡って、今度は帰らなかった。
 
少年は第二の祖国で青年になり、市民となり、夫となり、父となり、そして得たもの全てを失った。
彼だけではなく、多くの人が多くのものを20世紀最後の夏に失ったのだが、それが慰めになる訳もない。
 
 
「君が『手持ち筒(ハンドカノン)』のソフィーティアか‥ 龍兄弟を殺したのは君かい?」
 
「はい」
 
龍兄弟とは、東南アジア一帯を縄張りとしていた双子の殺し屋である。
不死身と呼ばれる程の実力と猟奇趣味的な残虐性を恐れられていたが、SEELEに従うそぶりを見せたため『G』が先手を打って放った刺客の手で抹殺されてしまった。
その刺客がソフィーティアとゆうわけだ。
 
「次は僕の番‥とゆうことかな」
 
「止める訳にはいきませんか。願わくばこれまでと同じように、中立を守って頂きたいのですが」
 
ソフィーティアの主も、『完璧』の偉業に心ときめかせた者の一人であった。できれば殺したくない。
 
「そうもいかないさ。後戻りはできないからね」
 
『完璧』は既にSEELEと契約を結んでいるのだ。今更反故にする訳にもいかない。
 
「セカンドインパクトを起こしたSEELEよりも、『G』の方が憎い と仰るのでしょうか」
 
「家が沈んだのは君らの責任じゃないさ。でも君らの戦争で、僕の妻と娘は焼かれたんだ」
 
セカンドインパクト直後の『七日間戦争』で、北米地域は甚大な被害を受けた。文明地域としての北米は、一時崩壊寸前まで追い詰められたのだ。死者は七千万とも一億とも言われている。
 
「始めたのは中南海、煽ったのはSEELE、迎え撃つは日米連合」
 
「そして君らは止めようとしなかっただけ、かい? 反吐が出るな」
 
ある意味で『G』は世界大戦を望んでいたとさえ言える。セカンドインパクトでは、世界人口の半分が失われることになっていたのだから。
『七日間戦争』が起きなければ、替わりの戦争か疫病か飢饉か‥なにかを起こして人口の調節を試みていただろう。
 
「双方共に憎いのならば、何故SEELEに与するのですか」
 
「君らの方が有利だからだよ。僕が『G』に付くよりSEELEに付いた方が戦いが長引く。少しでも戦いが長引けば死人が増える。どちらの陣営もね」
 
「何故、今になって?」
 
「母さんが死んだ と言えば解るだろ」
 
某国の病院で療養生活を送っていた母親は、ただ一人残っていたパーフェクトの身内だった。
『G』の申し出を受け入れて、『G』系列の医療施設で治療を受けていれば 病状は好転していたかもしれない。
 
だが、『完璧』の母は息子が裏家業から足を洗ってくれることを望んでいた。
日本で過ごした少年時代では何の意味も無かった射撃の才能。だが現在なら『完璧』はトップクラスの射撃選手として、世界の何処ででも受け入れられる。
栄光も、人としての幸せも再び得られるだろう。
しかし母が『G』の医療施設で治療を受ければ、親を人質に取られたも同然。息子は裏家業から抜けられなくなる。
母か息子か、どちらかが死ぬまで。
 
実際のところは、軍団(『G』)はそこまで悪辣ではない。
しかし『完璧』とその母にとっては、それが真実。この局面における情報戦ではSEELEが勝利している、と言い換えることもできる。
 
 
「‥どうしても、駄目なのでしょうか」
 
「くどい。僕を止められるのは言葉じゃない。鉛弾だよ」
 
「‥‥やむを得ません。貴方を討ってでも、止めてみせます」
 
一陣の風が二人の銃使いの間を吹き抜け、潮の匂いのなかに微かに硝煙の香が漂う。
 
「場所、変えないか?」
 
『完璧』は 微かに笑った。
 
 
 
 
歩いて一分もかからぬ、この街が潮に浸かるずっと前から空き地だった場所。
そこが『完璧』が指定した決闘場だった。
周りを囲む塀も殆ど朽ちて崩れた空き地の傍には民家が一軒だけかろうじて残っているが、塩害により盆栽から柿の木まで、庭の草木は枯れ果てている。
 
空き地の隅に置かれた三本の土管の前で、『完璧』は立ち止まった。
 
ソフィーティアが知るところではこの狭い空き地は、少年時代の『完璧』が幼馴染の餓鬼大将と 男と男の喧嘩 を行った場所でもあり、ある意味彼らの聖地とでも言うべき場所の筈だ。
初対面の刺客と渡り合うには、破格の舞台だ。
 
 
「さあ‥ 始めようか」
 
『完璧』は左側を前にした半身の、力が抜けきった姿勢で立っている。いつでも抜ける体勢だ。
もはや語ることなし と全身が語っている。
 
伝説の銃使いと、メイド服のモノとの間に緊張が高まっていく。
『完璧』の得物は、左脇に吊ったS&W M586。際立った性能はないが堅実な、頼れる大型拳銃だ。
 
 
強い。
 
『完璧(パーフェクト)』が見るところ、目の前のメイドは只者ではない。
力みとゆうものが一切ないのだ。
素質か訓練の成果かは分からないが、このメイド姿のものは懐から財布を出すよりも気軽に銃を抜き、飴玉を食べるよりも気軽に引き金を引けるだろう。
ある意味『完璧』と同類なのだ。人を撃つことに何の準備も要らない種類の生き物だ。
 
『手持ち筒』なる異名からすると重たい銃を使うらしいが、油断はできない。
重たい銃は意外と速く撃てるものなのだ。少なくとも軽すぎる銃よりは。
 
『G』が単独で送り込んできた刺客だ。弱いわけがない。
だが、勝機は充分にある。40を過ぎたが、十代の自分が相手でも勝つ自信がある。
速度では及ぶまい‥だが‥
 
 
 
ソフィーティアと『完璧』 双方の右手が同時に動く。
 
伸ばした手が銃把を掴む。ややソフィーティアの方が早い。
 
引き抜く。明らかにソフィーティアの方が早い。
動作速度が、ごく僅かに違うのだ。最初は互角でも格差は徐々に広がっていく。
 
だが発砲は『完璧』の方が早い。
 
拳銃の抜き撃ちは、抜く、構える、狙う、撃つとゆう四つの動作が必要となる。
銃を手に取り、発射体勢を整え、標準を定め、引き金を絞る。だが、例外としてごく一握りの射手は構えながら狙い、撃つことができるのだ。
常人とは桁違いの体内定規と空間把握能力を持つものならば、発砲に至る手順を大幅に省略できる。
素人は銃を目の前に持って来てから発砲するが、早撃ちに慣れた者は銃口を己の体幹軸に合わせた時点で発砲する。目で見なくとも銃口がどの位置を向いているか分かるから、構えながら標準を定めることができるのだ。
 
極端な左半身に構え、左脇に吊ったホルスターから抜く『完璧』はさらに早い。
腰から重力に逆らって抜き、肘を支点とした90度の円運動で銃口を目標に向けるよりも、脇から抜いて銃口を横にスライドさせる方が早い。
距離で言うと ソフィーティアは抜いてから30センチ以上銃を動かさないと撃てないが、『完璧』は10数センチ動かしただけで撃てるのだ。
並の使い手なら、銃を横運動させると手元の微修正に時間を喰われてしまうのだが、天性の感覚とM586の適度な重さが振れを最小限に抑えている。
 
百分の一秒の差で、勝負は決まる。
ソフィーティアが抜いた20ミリ拳銃の照星が目標を捕らえる0.01秒前に、『完璧』は撃てるからだ。
 
発砲は殆ど同時。
『完璧』が放った38口径強装弾は、ソフィーティアの左耳を掠めて飛び去った。艶やかな栗毛が飛び散る。
外れたのではない。ソフィーティアは撃たれた後から動いて避けたのだ。
 
そしてソフィーティアが狙いもせずに放った 散弾 は、数発が『完璧』の防弾着を貫いていた。
 
拳銃でも、散弾を使うことはできる。ただし実用性は低い。
拳銃である為に射程は無いも等しい上に威力が低く、拳銃が本来持っている近距離での精密な射撃とゆう優位すら失ってしまうからだ。
だが、ソフィーティアの持つ化物リボルバーなら話は別だ。
20ミリの大口径から放たれる粒弾は距離次第で面制圧を可能とする。少々狙いが甘くても、撃てば当たるのだ。
 
当たってはいるが、致命傷ではない。防弾着が散弾の効果を半減させている。
ソフィーティアは撃った。3発。続けざまに。容赦なく。
 
 
 
 
 
「この距離で避けられるとは‥思わなかったよ」
 
膝をついた『完璧』はメイド服姿のモノを見上げつつ、M586を湿った地面に置いた。
即死する程の傷ではないが、出血が多すぎる。もはや引き金を引く力は残っていない。
 
「お見事でした」
 
銃弾が掠めた耳たぶから血を流しながら、ソフィーティアは銃口を下ろす。
生身の人間相手にここまで苦戦したのは初めてだった。距離にして数センチ、時間にして0.002秒回避が遅ければ、勝負は逆転していただろう。
人間より多少は頑丈であるが、ソフィーティアも生身には変わりない。38口径強装弾を顔面に受ければ戦闘力を大幅に失ってしまう。
 
主が言ったとおり、恐ろしい程の達人だった。
撃つ側の当てやすさと撃たれる側の避けにくさを期待して散弾を使ってみたが、でなければ負けていた。
これほどの相手を敵に回したことは不幸だが、恐るべき敵を早々に討ち取れたことは不幸中の幸いだろう。
 
 
 
「汚れ仕事ご苦労。後は任せてもらおうか」
 
何時の間にか、どこからともなく現れた作務衣に地下足袋姿の男たちがソフィーティアたちを取り囲んでいた。
付近に隠れていた者たちが、勝負がついたことを覚り寄ってきたのだ。
作務衣姿の男たちは『G』の回収要員である。
 
「お待ちなさい。この方に触れてはなりません」
 
担架や医療器具を手に、倒れ付した『完璧』に近寄ろうとする回収要員の前にソフィーティアが立ちはだかる。
 
「冗談は止めたまえ。今すぐ手当てせねば死んでしまうぞ」
 
 
ちらり とソフィーティアは倒れた『完璧』の表情を確認する。
 
「敵の情けを受ける気はない。‥と仰りたいようですが」
 
「人の意思は如何様にでも変わる。説得できぬとしても、拘束しておけば良いだけだ」
 
これほどの能力、朽ちさせるには惜しい。と回収を主張する回収班員だが‥
 
「この方の処遇について、シンジ様は全て私に任されました。この方の望まれるようにせよ と」
 
来る者は拒まず、去る者は追わず。
参入を決めるものは、あくまでも当人の自由意志。それが『G』本来の流儀の筈。
敬意を払うべき相手だからこそ、無理な勧誘は避けねばならぬ。
それが主の意思。
 
 
「『手持ち筒』の‥我等は『御子』の配下ではないのだぞ?」
 
シンジ本人ならともかく、メイド風情に口出しされる謂れはない。と作務衣姿の男たちは指揮系統を盾に取る。
 
「シンジ様の意思は全てに優先します。そもそもシンジ様の慈悲のお零れで‥」
 
微笑みながら倣岸極まりない言葉を吐こうとしたメイド服姿のモノが、不意に振り向いた。
その視線の先には、常夏の熱気の中を歩く男子中学生がいた。
 
 
 
一中指定の夏用学生服を着た少年は、対峙する作務衣姿の男とメイド服姿のモノとの間に割って入る。
 
「ここは退いて貰えませんか、牛島さん」
 
「い、いやしかし御「シンジ で結構です」 ‥シンジ殿、我々は『完璧』を軽んじているわけではない。むしろ高く評価しているからこそ動いているのだ」
 
死んで花実が咲くものか と牛島‥回収要員の頭‥は説得しようとするが、シンジは聞き入れない。
 
「あまりこうゆう手は使いたくないのですが‥」
 
シンジは懐に手を入れ、細い竹筒を出して見せた。
 
「使徒戦役に関する全ての人員・情報・物資の優先権は僕にあります。閣下から一筆頂いていますけど‥確かめますか?」
 
この優先権の確認書こそが、先日の里帰りの際に最優先で入手した一品だ。
軍団首領の直筆、花押入り。軍団構成員である限り、参謀総長であろうと無碍にはできぬ代物である。
 
 
「い、いや結構だ」
 
勤労意欲に溢れる作務衣姿の男たちも、首領直筆の文書をちらつかされては堪らない。
潔く‥と言っていいものなのかはともかく、担架を畳んで去ろうとする。
が、ソフィーティアに呼び止められた。
 
「牛島様‥ 宜しければ一つ御用をお願いしたいのですが」
 
なにを今更、と不満げに振り向く作務衣姿の男たちの前でソフィーティアは20ミリ拳銃を構え、撃った。
 
轟音と共に 至近距離で腹部へ20ミリ散弾(ショットシェル)が直撃したシンジの胴体は ひとたまりも無く千切れ飛んだ。
 
千切れたシンジの上半身は落下する前に地面へと手を伸ばし、固く踏みしめられた土を突いた反動で勢いを付けて跳び、逃げようとしたところで
千切れたシンジの下半身は足だけの力でその場から走り去ろうとしたところで
まとめてソフィーティアが左手に提げていたバスケットから引き出した太い鎖に絡め取られた。
 
メイド服姿のモノは両手で鎖を操り、絡め取ったシンジ‥ いや、どう見てもシンジではない。
ほんの数瞬前まではシンジそのものだった『何か』を跳ね上げ、地面に重ねて叩き付けた。
半ば潰れて地面に張り付いた『何か』を右手に持ち替えた鎖で滅多打ちにしながら、左手で足元付近に浮いている‥着地寸前の愛銃を受け止める。
 
 
十回ほどで、鎖による殴打が止まる。
ほぼ同時に牛島たちが態勢を整え警戒する構えを取る。事態の急変から反応開始まで約0.6秒。
人間としては、悪くない早さだ。
 
 
千切れたまま重なって潰れている『何か』は‥ 痩せこけた猿と人間‥シンジが入り混じった姿をしていた。傷口から濃緑色の体液が滲み出している。
 
メイド服姿のモノは潰れた手足を動かそうともがいている『何か』に近寄り、まばらに獣毛が生えた頭部を踏みつけた。
 
「私の前で主の名を騙るとは‥ 許せません」
 
『何か』が上げる哀れっぽい悲鳴に構うことなく、踏み潰す。
 
 
「牛島様。お手数ですが、これを始末して頂けませんか」
 
猿じみた生き物と、御子と呼ばれている少年の人体パーツが入り混じった『何か』。
頭を踏み潰されたにも関わらず、まだ生きているらしい得体の知れぬ存在‥を指差すメイド服姿のモノの言葉に、作務衣姿の男達の頭は頷いた。
 
速乾性樹脂や護符を使って『何か』の回収作業を進める牛島たちから離れたソフィーティアは、バスケットから20ミリ拳銃弾を取り出した。愛銃の弾倉から空薬莢を取り出し、詰め替える。
 
 
「‥‥君は‥銃より鎖の方が速いんじゃないかい?」
 
「どうでしょう? 距離次第で勝ち目が出てくるとは思いますが」
 
蒼白な『完璧』の額へ、ソフィーティアは狙いをつけた。
 
「最後に、何か言い残すことがありましたら‥」
 
「良いから早くやってくれないか、目が霞んできた」
 
「では、失礼致します。Mrパーフェクト」
 
六発目の、最後の銃声が 鳴り響く。
 
 
               ・・・・・
 
第三新東京 地下 ジオフロント地表部
 
 
事情聴取が思ったよりも長引いてしまいました。もう夕方でございます。
 
シンジ様の名を騙ったあの痴れ者は狒々の類で、ロクジミコウとゆう一種一体きり、不老にして不死の極めて珍しい、特に変化術を得意とする妖怪なのだそうでございます。
 
元々の気質として 『何にでも化けられる』が故に自力で何かを為そうとゆう気概に乏しく、そのくせ名誉声望を望む欲が強いのだそうでございます。
そのため王侯貴族や著名人に化けて摩り替わり、化けた人物に成りきって飽きるまで人生を過ごすのだそうでございます。
 
なんとも浅ましい変化ではありますが、妖力は並々ならぬものがあり‥ その変化術を見破った例は殆どない と伺いました。
それゆえに「何故偽者と分かったのか」としつこく問い質されたのでございます。
 
愚問と言う他はありません。
主の見分けもつかぬ下僕など、どこに居ると言うのでしょうか。
 
確かに、あの痴れ者はシンジ様によく似ておりました。容姿、血肉、言葉、動作、それらを司る思考と記憶に至るまで、まったく同じと言っても良い程に。
ただ一つ、あの場所に来たとゆう行為以外は。
 
シンジ様は、私に全てをお任せくださいました。
全て任せたからには、シンジ様が旧東京の廃墟まで来られる訳がないのでございます。
 
何か理由あって予定を変更して来られたのであれば、おのずと態度に表れるでしょう。
シンジ様は理由の無いことなど為されぬ御方、偽者の可能性を疑うには充分な理由でございます。
 
は? それだけで主人かもしれない相手を撃つのか と?
 
シンジ様こそが私の主。
私はシンジ様の下僕でございます。下僕が主に仇なすことなど有り得ません。
即ち、下僕が撃てる相手は主ではないのでございます。
相手が真に主ならば、下僕が撃とうとしても決して引き金を引くことは出来ないのでございます。
 
と、まあ このように説明して差し上げましたが、学者の方々には解かっていただけませんでした。
所詮下僕でも主でもない方には、分からぬ事柄なのでしょう。
 
 
 
さて皆様、普段は地下に隠れ潜む私が何故ゆえに地上部を歩いているかと申しますと‥
ネルフ職員の方と接触する為でございます。
我々親衛隊が第三新東京で活動するには、やはりネルフの方々と協力せねばなりません。
 
ただ、少しばかり問題があるのでございます。接触する予定の職員の方が、今現在レイ様の近くにいるのです。
 
レイ様とは、言うまでもなくシンジ様の妹君‥ではなくて血族‥ではないにしろ遺伝子の一部を共有する関係にある、綾波レイ様のことでございます。
 
私はシンジ様から、レイ様に会ってはならぬと命じられております。
理由は『余計な誤解を招きたくはないから』だそうでございます。 
なにやら気になるお言葉ではありますが、主の命は絶対。レイ様に近づくわけには参りません。
 
幸いレイ様の護衛は大勢いるようですが、目標の方は注目されていないご様子。情報戦部隊にお願いして幻影を投射して頂けば誤魔化せるでしょう。
 
辺りを立体式の幻影で覆ってから、すばやく目標を確保。唇に指を当て、お静かにして頂くようお願い致しました。
後は近くの茂みの中へとお誘いするだけでございます。
 
 
 
「‥あんたか、あまり驚かせないでくれ」
 
茂みの中へと引き込んだ接触目標‥マルグリットさんが『ロンゲ』なる符丁で呼んでいる職員の方は私の所業に声を潜めて抗議なされておいでですが、そのような言葉は実際に鼓動の一つも速めてから言うべきでしょう。
 
 
「これが、今回増員致しました人員の名簿でございます」
 
「分かった。後でじっくり読ませてもらうよ」
 
ロンゲの方にお渡しした書類は、私を含めた第三新東京周辺に展開しているシンジ様と『G』の手勢について簡単に纏めた資料でございます。
頂上同士では話が付いているとはいえ、私のような現場の者は全ての情報を引き渡すわけには参りません。様子を見ながら、小出しにしていくしかないのでございます。
ロンゲの方からはお返しにネルフ内部の情報を色々と頂きました。
 
 
「ああ‥済まないが、その格好なんとかならないか?」
 
「なにか問題でも?」
 
本来メイド服とは、主と下僕の見分けが苦手な方も一目見れば区別できるように、とゆう目的で定められたものでございます。
つまりメイド服は、私が主の下僕であることを示す制服なのでございます。この方は、それを脱げとでも仰るのでしょうか?
 
「目立つんだよ」
 
「はあ」
 
「違和感有りまくりなんだよ。ジオフロントにはメイド喫茶なんか無いんだよ。メイドと話してると俺が『G』のエージェントと接触してるのモロばれなんだよ」
 
「一応の結界は張っておりますので、一般職員の方には見えていない筈ですが」
 
「‥あ、そうなの?」
 
「はい。お気に障るようでしたら、次からは目立たないようにお誘い致します」
 
「頼むよ、用心に越したことはないからな」
 
確かに、壁に耳あり障子に目ありと申します。ロンゲの方の為にも、次からは気を配ることに致しましょう。
 
 
 
さて、困りました。ロンゲの方には安請け合いしてしまいましたが、メイド服以外に何を着れば宜しいのでしょうか。
前々から 無理にメイドの格好をせずともよい とシンジ様は仰るのですが、しかしながら女の体に執事服は似合いません。
女の体型に良く似合い、一目で下僕であることが分かり、それでいて奇妙でも下品でもない服装‥ 難しい命題でございます。
 
何故に女の格好に拘るかと申しますと、下僕とはいえ男の姿をしたものが将来の後宮をうろうろしていると、主の不興を買うことは必定だからでございます。
何分にも、シンジ様は嫉妬深いお方でおられますゆえ。
 
なにか勘違い為されている方がおられるかもしれませんが、私は女ではありません。
私は出来の良し悪しはともかく、天使でございます。
故に、男でもなければ女でもなく、女であり同時に男でもあるのでございます。
 
 
‥などと考え事をしつつ歩いておりますと、大上邸前に着きました。
正直申し上げますと、私はあの方に良い感情を持っておりません。
ですが、畑に関する腕は認めましょう。ここの畑はいつ見ても見事な野菜ばかりでございます。
 
 
 
 
ジオフロント NERV本部地下 親衛隊セーフハウス
 
 
セーフハウスとは 隠れ家であり行動拠点となる場所。
此処はかつて『悪魔』マルグリットがこもっていた隠れ家とは異なり、ちょっとした邸宅が入ってしまう程の空間に造られた、本格的な住居である。
特殊鋼とセラミック/カーボンナノチューブ複合材の装甲で囲まれ、計4種類の結界と簡易ATフィールド発生装置で護られたこの空間には、定員6名の住人が1年間快適に暮らせる設備と物資の蓄積が成されている。
元々は『G』が小規模拠点として、NERV本部建設中から計画を立て秘密裏に建造した代物だ。
名義上はシンジの所有物になっている。
 
 
この隠れ家の所有者‥碇シンジは居間と食堂を兼ねた部屋で卓に着き、淡い緑色の手作り炭酸水を舐めるように飲みつつニュース番組を眺めていた。
 
ニュースを映し出す画面は、壁に埋め込まれた形になっている。狭い空間を家具で塞ぐことがないように、とゆう設計思想の表れだ。
シンジは卓の上に置かれたリモコンらしきものを操って番組を変えようとしたが、切り替わらない。
画面には相変わらずGHK(軍団放送協会)による、新じゃが芋の収穫がどうのカワウソの親子がどうのといった平和すぎるニュース番組が流れている。
 
諦めてリモコンを放り出したところで、セーフハウスの表口から分厚い特殊鋼製二重扉を開けてメイド服姿のモノが居間兼食堂へと入ってきた。
 
 
「ただいま帰りました、シンジ様」
 
「おかえり。遅くなった事情は聞いているよ」
 
身振りで差し向かいの席に座れと命じる主人に従い、ソフィーティアは食卓に着いた。
 
「飲め」
 
「はい」
 
主人から渡された手作り炭酸水入りの硝子杯を、下僕は恭しく受け取る。
酸味と糖分は疲労回復に効果がある。
優しい労いの言葉よりも、手入れする価値のある道具だと示す態度の方がソフィーティアには嬉しい。
己が主の所有物であることを、何よりも明らかに感じ取れるからだ。
 
メイド服姿の下僕は、昼間の事件について簡潔に報告する。
『完璧』との交渉が決裂し、決闘に及んだこと。
決闘に紙一重の差で勝ったこと。
『完璧』の意を汲み、軍団による回収を妨害したこと。
瀕死の『完璧』を空砲で撃って気絶させ、脳構造の調査を行い記憶の一部を複写したこと。
死の直前に写し取った情報のうち、生体脳用戦闘ソフトウェア開発などに使えそうな部分を軍団側に渡したことなどを。
 
途中で現れた、主の偽者に関しての話題は出ない。
偽者については、昼間のうちに別経路で報告を済ませている。
 
そのまま 主従の間に無言の時が流れる。
主人が任せると言ったからには全てを下僕に任せたのであり、明らかな失態が無い限りは一々問い質されることはない。
 
実際、失態と言うべきものでもない。
『完璧』本人の意思を最優先する とゆう主人の意向。戦力の拡充を望む軍団。主の敵となりうる存在を抹消したい下僕。死を望む『完璧』本人の意思。
四者の希望を全て満たすには、他の選択は無かった。
 
瀕死の『完璧』が無意識の底で生を望んでいたのならば、彼の脳裏を探っていたメイド服姿の下僕は主の意向に沿って『完璧』に手当てを施し、死の淵から引きずり上げていただろう。
 
 
「ところでさ‥このリモコン、どうやって使うの?」
 
シンジは二杯目の炭酸水を飲み干したソフィーティアにリモコンを渡し、操作方法を尋ねる。
メイド服姿の下僕によると、このリモコンは一機で居間に置いてある家電製品全てを操れる汎用機なのだそうだ。
一機で幾つもの機械を使う代物なので、使い分けるには周波チャンネルを切り替えなければならないのだ。
 
「‥かえって不便なんじゃないか?」
 
「そうでもありません。同じ物を何個か用意すれば一々リモコンを探す手間が省けますし‥元々この部屋の家電製品は音声操作できますから」
 
ソフィーティアは天井の樹脂製カバーで覆われた照明器具を指差し、命令口調で声を掛けた。
 
「天井照明、光量減少!」
 
すると天井の照明器具は光量を落とし、居間兼食堂は段々と暗くなっていく。
 
「なるほど」
 
シンジは壁に向かって手を振り、軍団主宰の夏季運動大会『浜茄子杯』の決勝戦をダイジェストで流しているテレビに、電源を切るように命じる。
 
ぷちん とゆう軽いスイッチ音とともに、ニュース番組が流していた音声は途切れたが‥画面は一瞬暗くなっただけで、光は消えていない。
いや、多少は暗くなっているが電源を切った筈の画面に映る光景は‥
 
このセーフハウスの浴場だった。
しかも入浴中。六人一度に入れる浴場で、サキとヒナの二人が仲良く泡塗れになっている。
 
「‥これ、リアルタイム?」
 
「はい。音声も拾えますわよ」
 
ソフィーティアがリモコンを操作すると、スピーカーから浴室内の音が流れ出した。
 
 
 
 
「‥ふぅむ。ヒナ、少しマッサージしてやろう」
 
ヒナの背中を流していたサキが、不意にスポンジを離し両の手を脇から滑らせてヒナの胸を掬い上げるように掴み、やわやわともみ上げる。
 
「ひにゃぁ〜! なにするですかっ」
 
泡にまみれてはいても形の良さは隠しようもない、半球形の乳房が揉まれている。
 
「胸を揉んでいるだけだ。気にするな」
「気にしますっ 離れるですぅ〜」
 
揉まれている娘さんは陶椅子から立ち上がり身を捩って逃れようとするが、揉んでる側は銃弾ですら届かぬ人外である。振り解ける訳が無い。
暴れるヒナとまとわり付くサキの体から泡が飛び散る。
サキの肩甲骨よりなだらかな双丘やその頂の可憐な桜色の蕾とか、ヒナの細い腰に浮ぶ骨盤の盛り上がりとかその割には充実した尻の上に見える浅い肉の窪みとか‥
色々と刺激的な映像から意思の力で無理矢理目を逸らしたシンジは
 
「電源切れ!」
 
と 食卓に額を打ちつけながら、下僕に命じる。
 
「既に切っております。電源を切るとマジックミラーに戻る仕掛けですので」
「いいから見えないようにしろ!」
 
言われるままにメイド服姿のモノはリモコンを操り、液晶が挟み込まれた特殊な鏡に電源を入れて、深夜番組の視聴率稼ぎショウ舞台と化した浴室を画面から消し去る。
 
「しかし肌触りといい弾力といい、相変わらず文句の付け様もない胸だな」
「えぇぃ 攻撃は最大の防御! お返しです!」
 
「‥‥音声も切れ」
 
再びリモコンを操作して、ソフィーティアは音声を切り、画面を暗い灰色へと変えた。光量を落としてある照明に 戻れ と声を掛けると、居間兼食堂は元の明るさに戻る。
 
 
 
 
「アルとマルはともかく、嫁入り前の娘さんが泊まる家に何を考えてこんな仕掛けを‥」
 
なぜ止めなかった と卓上に突っ伏しながら問う主人に
 
「問題ありません。皆様承知の上での改造ですので」
 
その下僕は事もなげに答える。
シンジは突っ伏したまま呻く。心理的衝撃は小さくないようだ。
 
サキは(外見的には)シンジと同年代、ヒナはやや上といったところか。
本来なら異性として、思春期真っ只中の性少年‥もとい青少年のリピドーを最も刺激する年齢層である。
露出度自体が違う上に、熟れきったミサトやお子様な妹分たちとは裸身の威力(悩殺度)が違う。
しかも不意打ち状態だ。これで平然としていられたらその方が異常だ。
 
 
               ・・・・・
 
 
いささか唐突に過ぎる嫌いがありましたが、まずは成功と言うべきでしょう。
これでシンジ様も、サキさんとヒナさんを『異性』として見ずにはいられない筈でございます。
 
シンジ様は生まれながらの王者。故に優れた資質をお持ちでございます。
 
先を見通す知性。
事の是非を選ばれる判断力。
判断に基づき為すべき行動を定める決断力。
万難を排して事を成し遂げる意思力。
冷酷なまでの非情さと裏腹な深い慈悲。
強運と積み上げた実績が保証する人望。
 
されど、シンジ様には王者として決定的に足りぬものがあるのでございます。
それは行動力でございます。
はっきりと申し上げるならば、シンジ様には 欲 が足りません。
 
欲が足りぬからこそ 全てを投げ出して隠遁生活を送りたい などとゆう妄想を弄んでしまわれるのでございます。
 
言ってしまえば、このセーフハウスこそシンジ様の秘めた願い‥ 決して歩むことがないもう一つの人生、怠惰で平穏な生活とゆう願望の縮図なのでございます。
子供が夢み、絵に描き、見取り図を引き、模型で組み立てる『理想の家』
シンジ様は無意識のうちに『理想の家』を造ることを望まれ、セーフハウスの建設を決められました。
私も含めた親衛隊の面々はシンジ様の意を汲み、この隠れ家を設計致しました。
住人は私を含め六名だけ。
ここは魂の殻。シンジ様が心を許す、真の意味で味方である者だけが入れる‥殿方風に言えば『秘密基地』なのでございます。
 
先ほどのマジックミラーも、親衛隊全員の了承のもとに据えられました仕掛けでございます。
『秘密基地』には仕掛けが付き物 でしょうから。
 
さて 話を戻しますと、シンジ様は拠所ない理由あって欲が薄い御方なのでございます。
そうでなければ、今ごろは親衛隊の面々全員がシンジ様のお手つきとなっているでしょう。‥あ、いえ私は例外でございます。シンジ様の嗜好は同性に向いておりませぬ故。
半分とはいえ、男性要素が入っている私は対象外でしょう。
 
欲は行動力の源でございます。
 
皆様、なにかを 欲しい とお思いになられたときの仔細を思い起こしてくださいませ。皆様が欲しくなったものは、見たことも聞いたことも無いものでしょうか。
 
そんな筈はありませんわね。
ショーウィンドウに飾られたお菓子、玩具、人形、衣装、宝石‥ 
毎日のように見ているものに、ガラスごしに憧れを込めて眺めたものに、街や公園や教室で目に眺め 耳に聴き 時に間近で香りを嗅ぎながら、決して手を触れることが出来ぬモノに憧れ、欲したのではございませんか?
 
欲とはそうしたもの。
欲とは即ち心の飢え。
ゆえに私はサキさんと示し合わせて、シンジ様の心を揺さぶってみたのでございます。シンジ様が自らの飢えと渇きに気付かれるように、目の前に果実を差し出してみたのでございます。
 
果実の味を知らぬ御方に、果樹園の価値を知れとは無理な言い様。
まずは果実をゆったりと賞味して頂くことが肝心。その為には果実の存在からお知らせせねばなりません。
故に私は浴室の鏡に仕掛けを施し、家電製品のリモコンを使い難いように設定したのでございます。
 
 
 
皆様。ここまで私の話を聞いてくだされば御分かりになられたかと存じますが、私は至らぬ下僕でございます。
下僕には本来必要ない、我欲とゆうものがあるからでございます。
我欲に囚われたが故に、私は天界から追いやられました。
 
ですが、そんな私をシンジ様は拾ってくだされました。
私に新たな名と体を、武器と居場所をくだされました。
 
私に約束してくだされました。
決して私を捨てぬ、と。
そして私が役立たずになったその時は、シンジ様自らの手で足手まといとなった私を始末してくださると、約束してくだされました。
 
シンジ様は無理をしておられます。シンジ様はお優しいかた故、たとえ足手まといであっても滅することを好まれません。
しかしながら、シンジ様は必ずや私を滅してくださいます。
主の役に立てぬことが、下僕にとり最大の苦痛であることをご存知なのです。
 
 
皆様 私の主、碇シンジ様とはこのような御方でございます。
私の主は下僕の安らぎの為だけに、己が望まぬ事を成してくだされる御方なのでございます。
 
私は世界で最も幸せな下僕。
良き主に出会い、仕えること。下僕にとってこれ以上の幸せはございません。
 
 
 
さて‥ 時間を置いた甲斐もあってシンジ様も落ち着かれたようです。追い討ちをかけることに致しましょう。
頃合良く、マルグリットさんとアルエットさんが帰って参りました。
 
 
               ・・・・・
 
 
「たっだいまぁー♪」
「おかえり」
 
セーフハウスに親衛隊の残り二人、『魔術師』と『悪魔』のコンビが帰ってきた。二人は夕食の余りもの‥といっても喰い残しなどではないが‥をDrバベンスキィら情報戦要員へ差し入れに行っていたのだ。
抱きついてくる親衛隊年少組の二人を抱きとめ、かいぐりかいぐりと撫で回している主人に
 
「サキさんとヒナさんから就寝中の身辺警護の申し出がありましたが、諾と答えてよろしいでしょうか」
 
と、ソフィーテイアは伺いを立てる。
 
「それってどういう‥」
 
「無論、就寝中のシンジ様の床に侍ってお守りするお役目です」
 
お望みなら添い寝でもそれ以上でも御随意に‥ と述べる下僕にその主は
 
「‥冗談はよせ」
 
と 切り捨てるが、思わぬ所から援護発言が出た。
 
「冗談はゆうとらんぜよ」
 
マルグリットによると、昼間とある賭けをして彼女と従妹は紅堂サキから今夜の『添い寝権』を勝ち取ったのだそうだ。
 
「いや、今夜はコンフォートに帰らないといけないし」
 
今夜も本部に泊り込む予定のミサトから、同居鳥のために新しい缶詰の箱を出しておいてくれと頼まれている。
 
「そんなのダミー人形に行かせりゃ良いじゃないか〜 久しぶりに一緒に寝ようよ」
 
シンジが松本で暮らしていた‥暮らしていることになっていた時期に使っていた影武者人形シリーズは、今は第三新東京のあちこちにある『G』の行動拠点に配置され、出番を待っている。
現に今も影武者人形がNERV本部大食堂で、夕食のきつねうどんを啜っていたりするのだ。
 
 
妹分二人に揃って『ね、ね、お願い』と見上げられると、正直勝ち目がない。
いつの間にやら、シンジがセーフハウスに泊まることは決まっていた。
 
その後で 寝る位置‥つまり誰がシンジの隣で寝るかについてまた一悶着あったりするのだが、誰がどの位置で寝ても結果は大して変わらなかったので詳細は省く。
 
 
その夜、シンジは久しぶりに女の子と一緒に寝た。
一部の期待に反して、何事も起きない平穏な一夜だった。
 
とゆうのも シンジは寝る前にジオフロント内に詰めている八部衆の一人、大徳寺ナナミのもとを訪ねて『調整』を受け、丸一日は性衝動が起きないように処置してもらったからだ。
 
要するに 14歳の少年は、己の理性などとゆうものに何一つ信用を置いていないのだった。
このあたりが『腐れ外道』と呼ばれる原因なのだが、それでも少年の周りにいる娘さんたちは幸せだった。
彼女達は、その欠点ゆえに少年を好いているのだから。
 
 
 
 
 
 
続く。
 

 
あとがき のようなもの
 
 
え〜 需要があるのかないのか解らない外伝編。今回は暴力人外メイドさんのソフィーティアにスポットを当ててみました。
 
如何でしたでしょうか?
破れ鍋にとじ蓋ではありませんが、主従の歪んだ愛と忠誠に作者としては気持ち悪い心地よさ‥とでもゆうような、妙なものを感じているのですが。
 
なお、タイトル前のシーンで手裏剣を『投げる』と表現しておりますが、正確に言えば手裏剣は『打つ』ものです。
しかしながら作者の技量不足で、『投げる』ことと『打つ』ことの動きの差を巧く表現できません。
そのような訳で、あえて不正確な言葉を使っております。ご了承ください。
 
 
この物語は USO氏 きのとはじめ氏 T.C様 【ラグナロック】様 1トン様 難でも家様 戦艦大和様 のご支援ご協力を受けて完成致しました。感謝致します。

読んだ後は是非感想を!! 貴方の一言が作者を育て、また奮起させます

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